2章#13 三股

「私がお話したいのは、モモ先輩の三股についてです」


 カレンダーの赤字に挟まる無愛想な黒字の日である今日。

 俺にだけ極度に無愛想な後輩が告げたのは、グングニルもびっくりするほどに一本槍の言葉だった。あまりにも直球すぎて、こちらが投げやりになってしまいそうだ。


「ちょっと待て、妹子」

「何を待てばいいんですか?」

「色々待て。なんなら振り出しに戻ってほしい」

「奇遇ですね、私もです。雫ちゃんと出会う前まで戻ってほしいですね」

「雫? あぁ……なるほど」


 雫の名前が出たことでなんとなく入江妹の意図は分かった。真っ直ぐに見上げてくる姿は凛としていて、まるで弓矢のようにしなやかな強さを纏っている。


「妹子が話したい、という気持ちは分かった。その理由もそれなりに察した。けど俺と妹子では多分、共通認識を持ててない。だからまずはその三股って話がどこから来たのか教えてもらえるか?」

「その間に言い訳を考えるんですか?」

「俺の目を見て、もしそんな企みをしようとしてると思ったなら、そういうことでいい。どう思う?」

「…………」


 ぱちっ、と弾けるように入江妹と目が合った。

 新月と見紛うような綺麗な瞳が俺を映す。きゅっと眉をひそめた入江妹は、やがて頭を下げた。


「すみません。今のは少し先走りすぎました」

「いや、いいよ。そうやって謝れる奴は好きだ」

「……四股しようとしてるんですか?」

「違うから! 今のはシュンとした後輩へのしかるべき対応ってやつだから」

「冗談です」

「冗談に聞こえないんだよなぁ……」


 しみじみと言うと、入江妹は小さく苦笑した。

 すみません、とやっぱり謝ってくる。何とも読めない奴だ。引き際を弁えてる割には、弁えてる引き際が明らかに狂っている。


 それで、と話を元に戻す。

 入江妹は腕時計を一瞥してから話し始めた――。



 ◇



 完璧超人の生徒会長、霧崎時雨。

 二年生で孤立気味の美少女、綾辻澪。

 一年生で一番人気の美少女、綾辻雫。


 入江妹曰く、俺はこの三人と重複して付き合っているらしい。この突拍子のない話を生んだのは、俺に関する噂が理由だという。

 もともと、百瀬友斗という名前の男子生徒に関する噂が耳にしていたらしい。生徒会長と仲がいいだの、綾辻と付き合ってるだの……と色んな話だ。とりわけインパクトが強いのが、『百瀬友斗は三股をかけている』という噂だった。


 もちろん、入江妹もその噂を鵜呑みにしたわけではない。

 しかし先日の勉強合宿にて雫が俺のことを好きだと聞き、俺への警戒度を高めた。


 そしてあれから数日。

 俺に関する噂を、積極的に集めていたのだとか。


「どこに行ってもモモ先輩の噂を聞くことができましたよ。生徒会長の『可愛い一番弟子』だとか、雫ちゃんやそのお姉さんの『マネージャー擬き』だとか、その二人とお昼に密会をしているだとか。そういう噂です。……随分と有名なんですね、モモ先輩は」

「うっ、そ、そうか……」


 今度は否定できない話がくる。解釈に違いはあれど、それらの噂は完全に間違いというわけではない。

 時雨さんが俺のことを『可愛い一番弟子』と言ったのは事実だし、綾辻姉妹の『マネージャー擬き』として見られているのも本当だ。昼の密会も、あながち間違いではない。


「以上のことを総括すると、答えが見えてきます」

「……答え?」

「モモ先輩が実際に三股をかけているかは分かりません。ですが、明らかに三人と交際することを狙っています。違いますか?」


 ありえない、と一笑に付すことができればよかった。

 けれど、美緒と雫との関係が頭にチラつき、言葉に詰まってしまう。そんな俺をじぃと監視している者がいた。言わずもがな、入江妹である。


「どうやら図星のようですね。モモ先輩の表情が物語っています」

「……酷いな、妹子。俺の顔は元々こんなだ」

「確かにとても冴えない顔をなさっていると思いますが、さっきまで明らかに『しまった』という顔ではありませんでしたよ」

「俺を追い詰めるためなら後半だけでよかったよなっ? 俺の顔が冴えないという話をする必要はなかったよなぁぁっ?!」


 しれっと入江妹が目を逸らした。うわ、その反応めちゃくちゃ傷つくんだけど……。

 複雑な気分になりつつ、頭の中を整理する。

 入江妹の述べた話は、最初こそ呆れてしまうが、完全に笑い飛ばせるものではない。

 不確かゆえに諸々の噂を無視してきたツケを今になって払わせるような気分になる。


「妹子が言いたいことは理解した。どうして俺が三股をしていると考えたのかも、まぁ、理屈の上では分かった」

「そうですか、話が早くて助かります」

「だが、その上で妹子に言いたい」


 真剣な声色で言うと、入江妹はごくりと息を呑んだ。

 俺はあっさりと三股説を否定する根拠を提示する。


「俺が三人もの美少女に好かれる男だと思うか?」


 自分で言うのはちょっと悲しいが、俺への敵意や警戒が凄い入江妹にはこれが一番よく効くはずだ。

 入江妹は呆れたような溜息をついてから答えた。


「そんなことは百々承知しています」

「重々承知の『じゅうじゅう』は数字の十じゃない!」

「はぁ……そんなことこそ、百々承知しています。造語ですよ、造語。的確なツッコミができるなら、それくらい分かってください」

「わざわざ造語を使ってまで承知の意を強調しようとするところに呆れてるんだよ!」


 やれやれと手を肩のあたりまえで上げて首を振る入江妹。

 その口元がほんの少し緩んでいるところを見るに、多少は俺をからかっている節もある……はずだ。


 こほん、と入江妹が話を戻す。


「とにかく、です。モモ先輩の容姿を鑑みれば、雫ちゃんやその他二人の先輩と釣り合っていないことは百々承知しています。私の美的感覚が間違っていなければ、ですが」

「自分で言うのもなんだが、妹子の感覚は正常だ。俺はどこにでもいるフツメンだよ」


 無論、かっこよく在ろうとはしている。容姿にもそれなりに気を遣っているつもりだ。けどあの三人と比べてしまうと、やっぱり顔面偏差値的には非常に心許ない。


 でも、と入江妹は力強く言った。


「私には分かりませんが、恋心というのは釣り合っているか否かで決まるものではないじゃないですか」

「…………」

「それに、少なくとも雫ちゃんがモモ先輩に恋心を抱いていることは見れば分かります。大変不服ですが……モモ先輩といるときの雫ちゃんはとても幸せそうです」

「それ、は……」


 言葉に詰まったのは、雫の想いを俺が知っているからだ。


 時雨さんが俺に恋心を抱いていることはないだろう。三股をしている、というのは本当にありえない話だ。IFを使うことすら憚られるほど。


 けれど、と良心が俺を詰る。

 俺は美緒と付き合っているし、雫にも告白されている。そうである以上、入江妹の言葉を突き返すことはできない、


「私にはモモ先輩のどこが魅力的なのかは分かりません。けれど、雫ちゃんの想いが本物なのは分かります。だから雫ちゃんと付き合うな、なんてことを言うつもりはないです」


 でも、と言いながら、入江妹が一歩近づいてくる。


「雫ちゃんを傷つけるのは許しません。三股を狙っているなら……雫ちゃんに近づかないでほしいです」


 いつか見た正しい太陽みたいに、入江妹が俺を眼差す。


「雫ちゃんは私にとって大切な友達なんです。入学して一か月で何を言っているんだと思われてしまうかもしれないですが……。それでも、雫ちゃんを傷つけるような真似をしてほしくありません」


 限りなく密着に近い距離なのに、入江妹には退く様子がない。

 一つしか年が違わないとはいえ相手は男。しかも三股を狙っている可能性があると判断しているような相手だ。話の内容から考えても、逆上されるんじゃないかと不安に思ってもおかしくないはずなのに……それでも、入江妹は真っ直ぐだった。


 雫が入江妹と仲良くなった理由がなんとなく分かった気がする。地味にノリがよくて面白い部分もそうだけど、それ以上にこの子は強いんだ。


 入江妹の敵意のこもった眼差しに、俺は心地よさを覚える。

 ドMだから……とかでは、もちろんなくて。

 こうして叱ってもらえるのが懐かしかったから。

 ヒーローみたいな入江妹の眩しさが、痛くて、直視できなくて、心地いい。


 いっそ全てを打ち明ければ、こいつは俺を断罪してくれる気がする。

 綾辻と雫の強さに寄り掛かった情けない俺を、徹底的に罰してくれるように思える。

 でも、それはきっと……。


「妹子の言いたいことは分かった。でも、雫を傷つけないと約束することはできない。浮気とか三股とかそういう話以前に……恋ってそういうものだろ?」

「そうとは限らないと思います。たとえ雫ちゃんの気持ちに応えられなくても、ちゃんと話し合えばきっと――」

「理想論だな。恋をしたことがないから言えることだ」

「そうかもしれません。私は、雫ちゃんの気持ちを分かってあげられません。でも……初めての友達が傷つくのを黙って見ているのは、嫌なんです」


 懐かしい記憶に朝日が当たって、その実像を浮かび上がらせる。

 入江妹の真っ直ぐな視線を受けて、俺は言った。


「だったら、妹子が雫を守ってやってくれ」

「……どういうつもりですか。雫ちゃんを傷つける予定がある、ということですか?」

「それは分からない。けど、もうすぐ答えを出すつもりだ。その答えが雫を傷つけるのかは今の俺には分からないけど……もし傷つける答えだったとき、俺は雫を守れない。だから妹子が守ってほしい」


 入江妹が、俺を推し量るように睨んでくる。

 嘘は言っていない。雫は綾辻の大切な妹だし、俺にとっても可愛い後輩だ。どんな答えを出すにせよ、雫を傷つけるのは本意ではない。

 しばらく経って、はあ、と入江妹は溜息をついた。


「私にはモモ先輩が何を考えているのか、分かりません」

「これでも言葉は尽くしたつもりだけどな」

「言ってないことばかりじゃないですか。嘘は言っていないだけで、本当のことも話してませんよね? 私を煙に巻いているだけに思えます」

「……手厳しいな」

「だから、私がモモ先輩を見張ります。雫ちゃんだけじゃない、雫ちゃんのお姉さんにも傷ついてほしくないので」


 ふあん、とブロンドのポニーテールが揺れる。

 長い刀を振るうように、彼女は宣戦布告した。


「モモ先輩の悪行は私が止めてみせます。誰のことも、泣かせません」

「……なんだよ、俺が悪いことをする前提か?」

「恨むなら、このやり取りの間に私の信頼を獲得できなかったご自身を恨んでください。私はもう決めたので」


 言って、入江妹は体の向きを変えた。

 それでは、と小さく告げた入江妹はたくたくと上履きを鳴らし、その場を去っていく。


「……面白い後輩だったな」


 長い付き合いになるかもしれない。

 そう思った。

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