1章#31 私は先輩が好きです

「なあ。やっぱり俺、外で待っててよくないか? めちゃくちゃ居た堪れないんだが」

「先輩はわがままですねー。手は放してあげたんだから、ちゃんと一緒にいてくださいよ。寂しくて死んじゃいますよ?」


 寂しいと死んじゃうの、とかRINEのプロフィールコメントに書いている地雷女みたいなことを雫が言う。いや、最近はインスタか?

 俺の服の裾をちょこんと摘まんでおり、可愛く甘えているようにしか見えないかもしれない。摘まむというより握り締めると表現した方が適切なほどに力は強く、俺からはとても怖く見える。


 そんなわけで、俺はランジェリーショップにいた。

 しつこいようだが、今日は日曜日。しかも武蔵小杉という場所は少し前から再開発され、今では高層マンションやショッピングモールなどが幾つも建てられており、歓楽街となりつつある街だ。何度かテレビでも取り上げられたことがあるほど。

 混雑しているというほどではないが、やはりランジェリーショップには他にも客がいる。その中に男がいるわけがなく、俺は非常に気まずい状況を味わっていた。


「はぁ……俺、不審者とか変質者に見えてないか? 通報されるのとか嫌なんだけど」


 げっそりと聞くと、雫はくつくつと可笑しそうに笑う。


「先輩ってそーいうところありますよね」

「そういうところ?」

「やたらと自虐したがる、みたいな。やっぱりラノベの影響ですか?」

「や、別にそういうわけじゃねぇけど……」


 と言いつつも、何となく納得できてしまう部分はある。

 ラノベに於いて自虐ネタはかなりポピュラーで伝統的なものだ。ぼっちや陰キャといった立場のキャラがフォーカスされるようになってからは特にそれが顕著だと言える。

 そして大抵の場合、自虐ネタって現実だと痛いんだよな。

 たとえば、クラスで目立たない方の男子が『俺たち陰キャなんで……』とか言ったら、ちょっと鳥肌立つでしょ?


「それに、今のは自虐っつうか常識的な判断だろ。下着売り場に男がいたら誰だって警戒する」

「そーですかね? 私はそう思いませんけど。だって……」


 雫との距離が一気に縮まる。

 世界から隠すべき秘密を告げるみたいに、雫はそっと囁く。


「私たち、カップルだって思われてますもん」

「なっ」


 気付いたときには、雫はもう俺から離れていた。

 悪戯っぽく微笑むと、視線を俺から下着の方に移す。してやったり、とでも言いたげだ。


 くそっ……心臓に悪すぎる。

 小悪魔な雫には慣れているつもりだったが、今日は雰囲気が違う。

 髪型や表情。

 そういったものを、後輩ではなく女の子として見てしまうのだ。

 思えば、それは今日に限ったことではない。二人と同居生活を始めてから、ドキドキする回数は増えている。


 もしかしたら、と少し前向きな考えが湧いてきた。

 出会った頃は美緒の代わりでしかなかった雫のことを、今はしっかり女の子として見れているのではないだろうか。代わりにしてるって感じてるのは単に兄として振る舞う癖がついてるだけで、ただの杞憂なんじゃないか?


「――ぱい。先輩ってば」

「あ、悪い。ちょっと考え事してたわ」

「うわぁ。下着に囲まれながら考え事とか、絶対えっちじゃないですか。先輩って変態ですね」

「違うからねッ⁉」


 何を考えていたのかを説明できるはずがない。

 胸の奥で蹲る考えをクシャクシャに丸めて、ぽいっとゴミ箱に捨てる。


「で? 俺になんか用か?」

「あ、はい。先輩ってどんな下着が好きなのかなー、と思いまして」

「ぶふっ」


 真顔で何言ってんだ、こいつ……。

 つい吹き出してしまうと、店員さんが怪訝そうな視線を向けてきた。これって俺が悪いん? 社会っていつもそうよね。


「その質問に俺が答えるとでも?」

「答えてくれないならお姉ちゃんに言いつけます」

「卑怯すぎる!」


 セフレの妹に下着の好みを聞かれる気持ち、答えないとセフレに言いつけるぞと脅される気持ち。どちらも絶対に理解されない気持ちだと思う。

 本当は答えたくないが……まぁ、二次元の趣向の話をしていると思えばなんとかなるだろう。


「あー、あれだ。黒とか、濃い紫とか。そういうのがいいんじゃないか」

「ふむふむ。セクシー系がお好みなんですね」

「いや、まぁ……そうかもな。誘惑してくれる系のヒロインって萌えるだろ」


 付け加えるような誤魔化しを雫はまともに聞いてはいなかった。

 雫との付き合いも長めになる。俺のやり口なんてお見通しなのだろう。


「先輩。買ってきちゃうので、先に外出てていいですよ。私が一緒じゃないと変質者感やばいですし」

「聞きたくなかった。その感想は絶対に聞きたくなかったんだよなぁ……」


 もう絶対にここには来ない。

 そう、固く決意した。



 ◇



 その後も買い物は進む。

 下着さえ買ってしまえば、後は慣れたものだった。

 目についた服を試着した雫に褒め言葉を求められるのもいつものこと。ランジェリーショップが最初だったおかげか、雰囲気の違う雫に対しても普段通り褒め言葉を言えた。


 本屋に行くと、それぞれおすすめの本だとか気になっている本だとかの話をする。見た目はイマドキJKなのにがっつり文芸や文学への造詣も深いあたり、雫ってオタクの妄想を詰め込んだような子だよな。


 ちなみに、雫は本よりもノベルゲームの方が好きだったりする。元々は本の虫みたいな奴だったのだが、一度プレイしてからはその沼にずぼずぼとハマっているとのこと。最近では俺の方がおすすめのゲームを教えてもらっているくらいだ。


 そうして、気付いたときには随分と時間が経っていた。

 午後5時。

 それでも空は、夕に丸焼けにされてはいない。青と朱と、それから俺の語彙にはないような不思議な色。自然が作った絵の具のパレットは、綺麗で、不綺麗で、やっぱり綺麗だった。


「先輩。帰る前に寄りたいところがあるんですけど」


 そう言って雫が俺を連れてきたのは、家からほど近い小さな公園だった。

 きーこー、きーこー。

 ブランコをベンチの代わりにして、俺と雫は二人並ぶ。


「ふぅ。楽しかったですね、先輩」

「疲れたけどな」

「またそーいうこと言う。照れ隠しだって分かっちゃうんですからね」

「……長い付き合いだからな」


 小学五年生の秋から数えて、五年くらいの付き合いになる。

 それはともすれば短い付き合いだと思われてしまうかもしれない。たった五年だ。大人からすれば一瞬だろうし、高校生にとっても人生の三分の一に満たない。

 けど、俺は人と長く関わり続けるのが苦手な人種だ。

 明確な理由や名前のある関係がなければ、たとえどんなに仲がいい相手だとしても、関わることを躊躇してしまう。


 そんな俺にとって、雫は紛れもなく貴重な存在だ。

 ふわふわとどこかに飛んでしまいそうな俺を掴み続けれくれる物好きなんて、雫以外には誰もいない。

 いや、最近は八雲もそんな節があるか。あいつは誰にでもそんな感じだし、例外だと言えるかもしれないけど。


「その間に雫がこんな変貌を遂げるとは思ってなかった。最初はほら、超冷たかっただろ」

「思い出させないでくださいよ! あれは私にとっても割と黒歴史なんです」


 きぃ、きぃ、とブランコが鳴く。

 その度にポニーテールがゆんわりと揺れ、その根本を飾るシュシュに目が引き寄せられた。


「っていうか、本当の本当に最初だけじゃないですか。五年生になる頃にはもう、こんな感じでしたよ」

「あー……それな。小学生ながら、『ヤバい小学生だわ』って思ってた」

「ひどっ! 先輩が小悪魔系後輩ヒロインが好きって言ったんですよっ?!」

「そうだったか?」

「そうでしたよ! 忘れるとかサイテーです!」


 冗談だ、と俺は肩を竦めた。

 ちゃんと覚えているに決まっている。だって、雫の変貌は俺にとって衝撃的だったから。


 よく言われることだが、人が変わるのは大変なことだ。

 でも雫はあっさりと変わって見せた。その姿はあまりにも眩しくて、鮮烈で、口では言わないが心から尊敬している。


「雫は凄いよ」


 らしくもない言葉が零れたのは、センチメンタルな黄昏時だからだろうか。

 或いは、歩き回ったせいで疲れているからなのかもしれない。


「ですよねー。私ってば頑張り屋さんなんです。勉強もおしゃれも、とっても頑張ってるんですよ」


 えっへん、と胸を張る雫。

 普通なら自分で言うことではないんだろうけど、雫の場合はびっくりするくらい『頑張り屋さん』という言葉がしっくりくる。

 誰もが雫のように在れるのなら、世界はちょっとだけ前向きになるんだと思う。


「ねぇ先輩。いいお知らせと悪いお知らせがあるんですけど、どっちが聞きたいですか?」


 雫がこちらを覗き込むように前傾姿勢になった。


「え、怖いんだけど。普通にどっちも聞きたくないぞ」

「あー、はいはい、そういうのはなしです」


 呆れたように俺の言葉を流すと、雫はブランコから降りた。

 とっとっと流れるようなステップを踏み、俺の前に立つ。

 ぎゅっと握られた拳は、ほんの僅かに震えているように見えた。


「雫?」

「……だめですよ、先輩。今はシー、です」


 真っ直ぐに俺を映す瞳は、太陽みたいに真っ直ぐだ。

 真剣なんだな、と察する。

 ならばもう、無駄なお為ごかしをしてはいけない。きゅっと口を結び、雫の言葉を待った。


「まずはいいお知らせです。とっても、とーってもいいお知らせですよ?」


 天の雫みたいにキラキラと笑って。

 雫は告げる。


「なんと、私は先輩が好きです。先輩の彼女になって、いつかはお嫁さんにしてほしい。そう思っています。そういう好きを、先輩に対して抱いてるんです」


 軽くて、重くて、温かくて、熱い。

 言葉から伝わってくる甘やかな微熱が、喉元で言葉を詰まらせた。


「……雫。俺は」


 それでもやっぱり、答えを出すべきなのだ。

 雨粒は、一度落ちれば逆戻りできないのだから。

 なのに、雫は横に振った。

 

「まだ話は終わってないですよ、先輩。ちゃんと話を聞きましょう」

「……っ」


 どうして、そんなにもいつも通りでいられるんだよ。

 お前は告白してるんだろ、勇気を出して『好きだ』って告げたんだろ。

 それなのにどうして……っ。


 頭の中では色んな言葉が渦巻くのに、ちっとも声が出てくれない。

 雫は優しく続ける。


「ドキドキしちゃっている先輩に悪いお知らせです。残念ながら、先輩はまだ私とは付き合えません。可愛くてセクシーな私を今すぐ彼女にしちゃいたいかもですけど、まだダメです」


 体の前で手をクロスしてばってんを作る。

 どうして、と視線で問うと、雫はにへらっと笑った。


「何故なら、先輩はまだ私を好きじゃないからです。後輩としてはめちゃくちゃ大好きですよね、私のこと。超甘々ですし、私ほど先輩と仲がいい後輩はいないだろうなって思います」

「……そう、だな」

「けど恋人としては、まだダメだと思うんです。ドキドキしてくれて、女の子だと見てくれて、少しずつ近づけてるんだろうなって感じますけど……でも、そんなんじゃ足りません。私は先輩にとってヒロインでありたいんですよ。もっともっと、大好きになってほしいんです」


 ずくん、と心臓が跳ねた。


「だから今日のこれは、告白じゃなくて宣戦布告です。私は、先輩が私のことを好きで好きで堪らなくなっちゃうくらいに頑張ります。頑張り屋さんですからね」


 ほんのりと焼けた夕空が、雫をほんのりとオレンジ色に染める。

 びしっと俺のことを指さして、雫はにっと快活に笑った。


「先輩は悩んでください。私を勝ちヒロインにするのか、それとも負けヒロインにするのか。ゲームの主人公みたいに悩んで、悩んで、悩みまくってください。もしも先輩が勢いで答えを出しちゃうようなことがあったら――」


 春の風が吹いた。

 その風で消えてしまうほど、雫の声はか細くはない。

 この子は、強い子なのだから。


「――そのときは、もう絡んであげないんですからねっ」


 ああ、まったく。

 この子は本当に凄い。眩しくて強くて、どうしようもなく尊い子だ。

 せめて誠実で在ろうと思い、俺は真っ直ぐに雫を見つめた。


「……っ、そうだな。誓うよ。中途半端な気持ちでは絶対に答えない」

「はい。約束、ですからね」


 5時を報せる『夕焼け小焼け』が、さながら日没のようにじんわりと鼓膜に染み入る。

 つい先ほどまで噛んでいた唇が、不意に柔らかな感触を想起した。


 忘れてはいけない温もりがある。

 忘れることができない味がある。

 なのにどうして俺は――。


「約束、だ」

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