1章#22 先輩懲りないですねー

 こん、こん、こん。


 狐の鳴き声ではない。ノック音だ。但し、ドアの向こうにいる少女は狐のように人を騙したりからかったりする悪戯好きな節はあるが。

 ドアには『しずく』と可愛らしく印字されたプレートがかかっている。義母さんが趣味で作ったのだそうだ。その労力をもうちょっと別のところに費やすべきだと思います。


「はーい、ってあれ先輩。どーしたんですか?」


 部屋から出てきた雫は、首にヘッドフォンをかけていた。俺も知っているアイドルグループの曲が漏れ聞こえてくる。


「悪ぃ、邪魔したか?」

「んー、別に問題ないですよ。ちょっとお勉強してただけなので」

「うそ、だろ……?」

「ひどっ。それが頑張る後輩への言葉ですかっ」


 そう言われても、マジで驚いたのだからしょうがない。

 もちろん、頑張るときは頑張れる子だということは知っている。高校受験に際しても、何度か勉強を見てやったことがあった。でもまだほとんど授業が始まっていないであろうこのタイミングでやる気を出すような真面目な奴だとは思っていなかったのだ。


「悪かったって。こんな時期から勉強だなんて珍しいなぁと思ったんだよ」

「それは、ほら。一年生って勉強合宿があるじゃないですか」

「ん、そういやそんなのもあったな」


 うちの学校では、一年生の4月に必ず一泊二日の勉強合宿が行われる。

 高校でどうやって勉強したらいいのかを確認したり、進路についてちょっと話したり、ちょっと大きめの実力テストがあったりする真面目な合宿だ。

 思えば俺も、勉強合宿のおかげで高校生になったという実感が生まれた覚えがある。こんなにがつがつ勉強をするのか、と感心したものだ。


「受験終わってからほとんど教科書触ってなかったので、一応ちょっと確認しておこうかなーって」

「ほーん。いい心がけだな。あれ、合格点に達しないと罰ゲームあったし」

「そうなんですよ! ラブリーエンジェルな私が罰ゲームなんて受けるわけにはいかないので、コツコツ努力しているわけなのです」


 偉いですよね、と雫がウインクをしながら言う。

 そうだな、偉いと思うよ、うんうん。けど――タイミング悪っ!


「あ、それで先輩は私に何か御用ですか?」

「えっと……」


 実を言うと、俺は雫に料理を教えてほしいと頼むつもりだった。教わりながら夕食を作れば一人でやるよりはマシなものになるだろうし、当番の度に教えてもらえればすぐに上達するはずだ。

 お礼代わりのケーキを買い、冷蔵庫の奥に隠している。あとは雫に頼むだけだったのだが……流石に勉強をしていたと言われてしまうと頼みにくい。


「先輩?」


 不安げに揺れた瞳がこちらを覗く。


「いや、何でもない。ちょっと暇してるかなって思っただけだ」

「嘘ですね。先輩はそんな、ちょっとお茶しよーみたいなノリで誰かに話しかけられる人じゃないです。何なんですか、教えてくださいよ~」

「ほんと何でもないって。というか、忙しそうだったから何でもなくなった。だから勉強の方に戻っていいぞ」

「嫌です!」


 何故か、雫がどっしりと仁王立ちをした。腰に手を当てて胸を張ると、大きめの胸が強調される。目のやり場に困るからヤメテ。


「先輩が話してくれるまで私はここから動きません。先輩と後輩の間に秘密はなしですよ」

「なにその、『友達だよね?』で何でも聞き出そうとする嫌な女子みたいな言い方」

「あー、いますよね、そういうの。時々たまに超うざいんですよねー」


 雫の生々しい言い方のせいで、一気に空気がどんよりとした。

 これ以上憎悪を引き出すのも嫌だし、面倒なので話してしまう。


「雫に頼み事があったんだよ」

「頼み事、ですか」

「ああ。俺は料理が不慣れでな。でもこの先自立するなら自分で作らなきゃならん。だからできれば雫に教えてもらいながら夕食を作れればいいと思ったんだが……おい、なんだそのニヤニヤ」

「べっつにぃ。急に早口になっちゃうあたり先輩ってば可愛い♪とか思ってないですよ」


 途轍もなくムカつくな、こいつ。別に早口になってないし。ちょっぴり口が速く動いて、一音一音に要する時間が短くなっているだけだし。


「そういうことならウェルカムですよ、先輩。私が料理を教えてあげます!」


 雫が太陽みたいに屈託なく笑う。


「いいのか? 勉強してたんだろ」

「先輩は私を馬鹿だと思ってるかもですけど、こう見えて結構できる子なんです。もうだいぶ感覚は取り戻せてますから」

「なるほどな。そういうことなら頼むわ」

「はいっ。私にお・ま・か・せ、です☆」

「……そういうのがなきゃ可愛げのある後輩なんだけどなぁ」

「こういうのがあるから、可愛い後輩なんですよ?」


 否定できないな、と苦笑した。



 ◇



「今日はカレーを作りましょう」

「カレーか。無だな」

「ナンだけに、ですか? 先輩、寒いですよ」

「言ってないのに滑ったことにされるのは幾らでも酷すぎる! ……あ」

「うわぁ、先輩懲りないですねー」

「――ッ!」


 初っ端から後輩にからかわれ、あえなく敗北している情けない男子高校生がこちらになります。

 それにしてもカレーか。定番メニューを提示され、ほっと胸を撫で下ろした。カレーなら飯盒炊爨で作ったことがある。


「準備をしましょう。お野菜の処理をします!」

「皮むきとかだな。任せろ、その辺はできる」

「本当ですか~?」


 雫はニタニタと楽しそうな顔をする。めちゃくちゃ自信があるわけではないが、皮むきくらいなら多少はできるはずだ。

 包丁をとり、まずは手近なジャガイモから剥いていく。


 ぎり、がしがし、ぐっ。

 二分ほどかけ、ようやくジャガイモが裸になった。きちんと芽をとると……なんだか、不格好に見える。


「先輩、皮がすっごく分厚いんですけど。ちっちゃくなっちゃってるじゃないですか」

「うっ……確かに」

「大雑把にやるからです。時間をかけてた割に一つ一つの作業はすっごい雑でした」

「面目ない」


 わざと雑にやったわけではない。むしろ丁寧にやっている気になっていた。だが、おそらく時間をかけていたのは作業の最中ではなく合間だったのだろう。


「ふふっ、反省したならもう一回やってみましょう。小さめなので、二つくらいは入れたいですから」

「お、おう。頼む」


 さっきまでからかってきた雫はどこへ行ったのかと思うほど、優しく言ってくれた。


「いいですか? 親指で皮と包丁を押さえるんです。回すのはジャガイモの方ですからね」

「なるほど」

「さっきはああ言いましたけど、最初はちょっと分厚いかなって思うくらいでもいいですから。こういうのは慣れなので、正しいやり方でちゃんとやればできます」

「了解」


 真摯に教えてくれるので、俺もそれに従う。

 剥き終えたジャガイモはやっぱりちょっと不格好だけど、さっきよりはマシに見えた。


「よくできました。でもまだ終わりじゃないですよ?」

「分かってるっつの。ついは人参の皮だな」

「ですねー。まあ人参はピーラーでちゃちゃっとやればいいですよ。どうせカレーなので多少残ってもオッケーです」

「そんなもんか」

「そんなもんです」


 言われるがままに人参をピーラーにかけた。なるほど、確かにそこまで難しくはない。ジャガイモを先にやったおかげで慣れたのかもしれないけどな。

 玉ねぎの皮はもっと簡単で、きゅっと一瞬で終わった。


「さて先輩。下準備も終わったところで、いよいよ今度は食材を切りますよ」

「おう! 今の俺ならできる気がする」

「急に元気になりましたね……それじゃあ頑張ってください。ちゃーんと教えてあげますから」


 キッチンに肘をつきながら言う雫は、いつもよりも大人びて見えた。

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