1章#20 おバカなんですか?

「なぁ綾辻さん。学級委員として話したいこともあるし、お昼一緒に食べない?」


 4時限目が終わり、昼休みになってすぐに綾辻に声をかけた。

 さほど大きい声ではなかったはずだが、教室の前だったことにもあってか耳目を集めてしまう。あからさまな悪感情を持っている奴こそいなさそうだが、全くの無関心というわけにはいかないようだ。


 少し背伸びして黒板の文字を消していた綾辻は、黒板消しを一度置いてから答えた。


「いいよ。でも私、妹とも一緒に食べるつもりだったんだよね。妹も一緒でいい?」

「うん、大歓迎。けど、そうなると教室で食べるのはきつそうだな……場所は俺に任せてもらってもいいか?」

「そうだね、そうしてくれると助かる」

「オッケー。じゃあ、妹さんが来る前に黒板消しちゃおうぜ」


 ニッと無邪気さを意識して笑い、綾辻が使っていなかった方の黒板消しを手に取って逆側から消していく。

 チョークの粉がぱらぱらとブレザーの肩に零れた。

 使う前よりも綺麗になった黒板を満足に眺めつつ、ぱっぱっと肩を払う。


「おねーっちゃんっ! 来たよ!」


 暫くしたところで、教室の前のドアからパァと明るい声がした。

 昨日入学式だった新米高校生とは思えないほど、ちっとも緊張を感じさせない。そんな言動をするのは俺の知る限り一人だけだ。

 我らが後輩、綾辻雫である。


「おい、なんだあの子……超可愛いぞ」

「ほんとだ。後輩だよな?」

「やべぇ、一目惚れしたかもしんない」

「お姉ちゃんって呼ばれるの、いいかも……女の子相手、いいなぁ」


 以上、クラスメイトたちの反応でした。

 三人目くらいからガチになってるのが怖いね。でも三人目の丸刈り坊主は気を付けた方がいいぞ、絶対に雫の恋愛対象外だから。アウトオブ眼中すぎて、告白されても余裕でフラれるどころか癒えない傷をつけられるまである。百合は嫌いじゃないのでいいと思います。


「ふふー」


 ……えー、とても自慢げな姉さまがここにいらっしゃいます。教室じゃ絶対見せないようなデレデレな顔をしていらっしゃる。

 げふん、こふん。

 咳払いをすると、綾辻がハッと気付いてくれた。


「あ、雫。来てくれたんだね」

「うんっ! ご飯食べよ!」

「もちろん。でも、同じ学級委員になった百瀬くんとも一緒に食べたいの。いい?」

「ふぅん……」


 雫がじろりとこちらを見つめた。

 どこか呆れたように見える表情だったが、すぐにきゃるるんっと分かりやすい笑顔に戻る。


「分かったー! よろしくお願いしますね、先輩」

「おう」


 俺は綾辻と雫を連れて教室を出る。

 後頭部を突き刺す嫉妬の視線が、大変痛かった。


 ……対外的な理由を作っても嫉妬されるのは変わらないのね。ぐすん。



 ◇



 半ば逃げるように向かった先は、燦々な太陽の日差しを受ける屋上だった。

 うちの学校では、屋上の鍵を生徒会が管理している。申請さえすれば普通の生徒でも屋上を使えたりするので、たまに部室が狭い弱小部活動の歓迎会や三送会のために貸し出されているのだ。


 とはいえ貸し出されるのは本当に稀なので、いつもは時雨さんが使っている。今回は朝のうちに事情を話し、簡略化した申請書を出して借りることにした。何気に申請手続きが面倒だからな。


「っていうか、先輩って不器用すぎませんっ⁉ おバカなんですか?」


 どうして学級委員などという話が出たのかを説明し終えると、開口一番に雫がそう言った。

 明らかに俺を舐め腐った口調に、少しだけムッとする。


「なんでだよ。俺のと、友達が考えた名案だぞ」

「友達って言うのを照れるとか可愛いですけど、というツッコミはさておいて。自分で考えたわけですらないとか、更に引くんですけど」


 さておかないでほしい。べ、別に照れてなんかないんだからね……っ!


「私も流石にあれはないと思ったなぁ……急に学級委員とか言われても、ちょっとね」

「それは……悪かった。けどこうやって昼を食べる以外にも色々と関わる機会は増えるわけだろ。なら、何かしら分かりやすい理由があった方がよくないか?」

「その発想が超童貞っぽいですよねー」

「「女の子がそういうことを言うんじゃありません!」」

「なんでそこでハモるんですか?!」

「「…………」」


 期せずして息のよさを発揮してしまい、俺と綾辻は雫の方を向けなくなった。

 セフレの妹に『童貞っぽい』とか言われる気まずさを想像していただきたいものだ。童貞なんて中学校の頃に捨てている。綾辻の処女だってそのときに奪っちゃってるしな……。


 俺も綾辻も、セフレであることへの後ろめたさから前のめりになってしまったのだろう。綾辻の場合には雫の姉として注意しただけかもしれないが。


 気まずさとバイバイするためにも、俺は話を戻す。


「まぁ、学級委員って言っても無茶苦茶大変なわけじゃないからな。行事の度にちょっと生徒会にこき使われるくらいだし」

「それのどこが大変じゃないのか知りたいんですけど……。うちも明日決めることになってるんですけど、担任の先生が『うち学校の学級委員は仕事が大変だがその分得るものも多いぞ』とか偉そうに言ってましたよ」

「偉そうとか毒を混ぜるんじゃありません」


 一応ツッコミを入れつつ、学級委員の仕事について考えてみる。

 去年の俺は、学級委員会に所属していたわけではない。ただ学級委員会は生徒会の下部組織であり、時雨さんの頼みで生徒会を手伝っていた俺は学級委員会とも関わる機会がかなりあった。

 その観点から言うと……確かに、他の学校より仕事が多いのは事実かもしれない。何しろ生徒会の活動自体が盛んだからな。


「そんな仕事にお姉ちゃんを巻き込むとかサイテーですよ、先輩」

「そうそう。最低。まるでブラック企業だと分かっておきながら大学生を勧誘するゾンビ目の社畜みたい」

「容赦ねぇなっ?」


 現実が容赦なさすぎて泣ける。悲劇を繰り返す前にブラック企業には滅んでいただきたい。というか滅んでるよね? ……だよね?


「まー、そういうことなので私も色々と助けてあげますからねっ!」


 えっへん、と雫が胸を張った。


「ほーん……そうか」

「軽っ! 健気な妹&後輩ムーブメントでしたよねっ⁉」

「あー、そうかもな。でもそれより腹が減った」

「私より団子を選ぶんですか!」


 自分が花だと信じてやまない雫。いや、間違いじゃないんだけどね?

 もう、とぷんすか怒る雫をよそに、綾辻がバッグから三人分の弁当箱を取り出した。ピンクの弁当箱を雫に、青くて大きめの弁当箱を俺に渡してくれる。


「サンキュー。悪いな、わざわざ作ってもらって」

「当番だからね。それに二人分作るのも三人分作るのも変わらないし」


 綾辻が淡泊に答えた。俺は料理に慣れていないが、実際、二人分と三人分は同じようなものなのだろう。一人分と二人分では違うかもしれないが、複数人作るのであればさほど労力は変わらない気がする。

 それでも感謝しなくてよいということにはならない。

 ありがたやー、と感謝をしつつ三人で声を合わせ、いただきますをした。


「んー、うまっ」

「先輩はそればっかりですねー。もっと褒めるのが上手くならないとモテないですよ」

「弁当の感想からディスに入るのやめない? 君、俺のこと嫌いすぎるでしょ」

「そんなことないです! 私、先輩のこと大好きですから」

「ほんとかねぇ……」

「ほ・ん・と・です!」


 ちょっとした軽口のつもりだったのだが、雫の圧がやたらと強い。

 なんかノリが違くない……?

 ほんのりと顔が赤い雫は、んんっ、と息を整えた。


「そーいうわけで、さあ褒めてみましょう!」

「何故に雫が……? 弁当作ったのはお前じゃないよな?」

「練習ですよ、練習! ね、お姉ちゃん」

「ん……。そうだね、いいんじゃない?」

「テキトーすぎないっ⁉」


 綾辻は素知らぬ顔でもぐもぐと弁当を食べ進めている。


「さあ、褒めるのです先輩!」

「褒めるって言われてもな……」

「さあ!」


 ……ダメだな、これは何か言わないと済まなそうだ。

 とはいえ俺が褒めるべき綾辻はもはや輪の外にいる。この距離感で褒めるのは逆に気恥ずかしい。ここは弁当以外のことに逃げるしかないか……?

 うーむ。

 少し考えてから、雫の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「あー、あれだ。新しいヘアゴム、可愛いな」

「へ?」


 …………。

 ……………………。


「あ、あー、私ですか……えへへ。そっか、そっかぁ……」


 意趣返しのつもりで口にした褒め言葉が、気まずさ爆弾を爆発させる。

 きゅーっと頬を赤くする雫。くるくるとツインテールの先っぽを弄り、視線がクロールを繰り返す。

 そして――。


「あ、ありがとうございます……」


 消え入りそうな声で、しおらしく呟いたのだった。

 いや……もはやお前、誰だよ。

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