1章#19 どういうつもり?
中学校の頃。
俺と綾辻は同じクラスだった。綾辻は今と変わらず孤立というより孤高を貫いている女の子だったが、俺は今より少し違った印象を抱いていたように思う。
あれは、中学一年生のときだった――。
中学校に入学してから三日が過ぎた。
初日は入学式、二日目は学校紹介、三日目は部活紹介。
三連続で行われたイベントのおかげで小学生気分はだいぶ薄まり、まだ体より二回りほど大きいブレザーも着馴染んできた気がする。
クラスにもだいぶ馴染めてきた。仲がいい奴はいないが、へらへらと上っ面の関係を構築することはできる。
――キーンコーンカーンコーン
チープなチャイムが鳴り響き、隣の奴との会話を切り上げた。
ついさっきまで教卓のところで座っていた担任が立ち上がり、教室全体に向かって言う。
「今日は昨日の帰りに言ったように委員決めをします」
昨日、帰りのHRで言われたことを思い出す。
委員の数は八つ。各委員に二人ずつ所属することになる。三十人弱のうちのクラスでは、半分ほどが何かしらの委員会に所属することになる、とのこと。
正直な感想を言うと、ちょっとだけ興味はあった。委員会に入れば、上手いこと友達を作れるかもしれない。
「まずは学級委員から。やりたい人はいますか?」
担任の呼びかけに、誰も手を挙げようとはしなかった。
どこかの委員に入りたいという奴でも、一年生から学級委員に入るのは流石にハードルが高いのだろう。嫌な役回りを押し付けられる可能性もあるし、それで中学校生活をおじゃんにしてしまえば元も子もない。
挙手はなく、次第に空気が悪くなった。じっとりと嫌な気配が肌を這う。
誰かやれよ、という無言の圧力。
はぁ、と溜息をついた。
悪い空気を振り払うためにも、俺が挙手しようとして――
「――はい」
一人の少女が、先に手を挙げた。
廊下側の最前列に座る彼女の名前を俺は知っていた。
綾辻澪。
ミディアムボブの黒髪が綺麗な、どこか寂しげな印象の女の子だ。
「綾辻さん、やってくれるんですか?」
「やりたい人がいないなら。上手くできるかは分からないですけど」
「いいんですよ。失敗して成長するのも大事なことですからね」
「そう言ってもらえると気が楽になります」
普段の無愛想さからは想像できないほど、綾辻さんは作り笑顔が上手かった。その姿を見て、無性に切なくなる。
その理由は――。
いいや、考えるべきじゃない。一度考えてしまったら、その思考は腫瘍となって心をうじうじとダメにしていくはずだ。
綾辻さんは、この三日間だけではっきり分かるほどに、一人でいることを好む女の子だった。
アニメでよく見るぼっち少女といった感じ。綾辻さんの気高さは、遠巻きに見ているだけでもよく分かる。だからこそ、彼女が挙手したことで男子の方の学級委員に立候補しにくくなったこともまた、手に取るように分かった。
「先生! 自分もやりたいです」
気まずい空気に逆流する前に申し出る。
色んな方向から視線がチクチク突き刺さってきた。それでも、ここで手を挙げない理由にはならない。
彼女を独りにはさせたくなかったから。
「はい、分かりました。じゃあ他の委員決めは綾辻さんと百瀬くんに任せますね。前に出てきてください」
「「はい」」
言われるがままに教壇にのぼる。
綾辻さんと顔を見合った俺は、握手をしようと手を差し出した。
「よろしく、綾辻さん」
「百瀬くん……よろしく」
向けられた鉄仮面にシクシクと泣きそうだった心は、控えめに握られた手のおかげですぅぅと凪いでいく。
――こうして俺は、綾辻澪と出会ったのだった。
◇
「えー。というわけで、面倒ですけど委員会を決めなきゃいけないらしいです。高校生って面倒よねぇ」
おいそれでいいのかよ、とツッコミたくなる言葉で切り出したのは我らが二年A組の担任。
それなー、というラフな声がチラホラとあがるのが高校生だと言えよう。っていうか、中学生から高校生への変化が凄いよな。中学生のときは鬼か神のように思えていた先生が、高校生になると一気に身近に感じる。
年齢が近づいて大人になった、ということもあるのだろう。
でもそれ以上に、先生の生徒との距離の取り方が変わっているのだと思う。
今の俺たちは、中学生だった頃よりも自分でやらなければならないことが多い。
そうしたいし、そうすべきなのだ。
「というわけで、学級委員をやってくれる人~」
あの日、俺は綾辻に先を越された。
だからこそ、今度はすぐにピンと手を伸ばす。
「はい! 先生、俺やりたいです!」
「お~、いいわね。手がかからなくて楽でいいわぁ。まぁ、ちょっと地味めな子なのは意外だったけど」
「正直すぎません⁉」
「ふふふっ、ごめんごめん。それで名前なんだったかしら」
「絶対分かってて言ってますよね、それ!」
この人、去年も俺がいたクラスの担任だったからね?
まぁ、流石に本気で言っているとは思わない。学級委員として俺がやりやすいよう、空気を和ませてくれているのだろう。若干痛いムードになっている気もするが、笑ってくれている人の方が多いのでモーマンタイ!
ぱちっと上手なウインクをしてくるなんちゃってチャラ男のことはスルーして、一応クラスメイトに向けて自己紹介をしておくことにした。
「百瀬です。百瀬友斗。よろしくどーぞ」
「あー、そうそう、百瀬くん。百瀬くんなんかじゃ絶対に嫌だって子がいたら手を挙げてくれる?」
言い方の悪意よ。これで手が挙がったら俺は不登校になる自信がある。
無事誰も挙手しなかったのを見届け、ほっと胸を撫で下ろした。
「じゃ、あとはよろしく。百瀬くん」
「……了解です」
さて、問題はここからである。
担任とバトンタッチして教室の前に立った俺は、教室中に視線を走らせた。
「っていうことで学級委員になった百瀬です。とりあえずは女子の方を学級委員を決めたいんですけど、やってくれる人いますか?」
ここで誰かが名乗りを上げると、その時点でゲームオーバー。面倒な学級委員になった甲斐がなくなる。
ぽつん、ぽつん、ぽつん。
数秒の沈黙が返ってきた。立候補者なし。心の中で全力のガッツポーズをしたくなるが、まだ堪える。
「やっぱりいないか。なら推薦とか、どうでしょう。この人とかいいんじゃね、みたいなことがあったら聞きたいです」
「はいはい! そういうことなら綾辻さんとかいいと思うぜ」
真っ先に答えてくれたのは、ついさっき俺がスルーしたばかりの八雲だった。
予め頼んでおいたのだ。何やらニヤニヤしながらサムズアップしてきたのは腹が立ったけど、背に腹は代えられない。
「ということだけど、綾辻さんはどうですか?」
他の推薦が出る前に、綾辻へと視線を移す。
当然のように綾辻の顔には困惑の色が浮かんでいた。いつもより目を大きく開いているので、多分怒っているのだろう。
「えっと……」
にへらっと作り笑いをしながら、目でチクチクとこちらにメッセージを発してくる。
『どういうつもり?』
『今朝雫に言われただろ。同じ学級委員なら一緒に食べても不自然じゃないと思わないか?』
『マシにはなるかもしれないけど、そのためだけにわざわざやる?』
『やるやる。だってそれ以外に案が思いつかないし』
『……馬鹿じゃん』
『やかましい! いいから俺の案に乗っとけって』
『本気……?』
視線による会話は俺の脳内補完でしかないから、どこまで正しいのかは定かじゃない。
でも最後の一言、その問いだけは間違いではないと断言できた。
問われているのだ、俺は。
その問いには、視線では答えない。
「綾辻さんに学級委員なってもらえると助かるんだけど、……どうですか?」
「……っ」
哀しげで、儚げで。
でも少しだけ上機嫌に見える顔で、綾辻はこくりと頷く。
「分かった。そういうことなら学級委員やるよ。よろしく、百瀬くん」
今度は、握手はしなかった。
それで十分だと思った。
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