1章#15 入学式の帰り
まだ夕食時には遠いから人は少ないだろうと思っていたのだが、意外なことに、スーパーには結構な人数の客がいた。
タイムセールを狙っているわけではないからいいのだけど、人目の多さだけはどうしても気になってしまう。
とりわけ、さっきのことがあったから。
雫を後輩である以上に女の子だと認識してしまったから、余計に人目が気にかかってしょうがない。自意識過剰な非モテ男子の生態の一つだと言えるだろう。
「ねぇ先輩。食べたいものとかってありますか?」
「食べたいもの、ねぇ……」
陳列されている野菜を眺めながら雫が聞いてきた。
変な思考を頭から追い出すためにも、少し考えてみる。
父さんが再婚する前は、ほとんど一人暮らしのようなものだった。
しかし、前に綾辻にも言われたように料理はろくにしていない。袋麺を作ったり、粉末つきの焼きそばを作ったり、冷凍食品を温めたりする程度だ。それで十分事足りていた。
いざ食べたいものって言われると……なかなかピンとこない。
「なんだろう。カレーとか?」
「なんで疑問形なんですか」
「別にカレーが食べたいわけじゃないしな。真っ先に浮かんだのがカレーだった」
「適当だなぁ……そういうのじゃなくて、ちゃんと食べたいものを教えてください! わ・た・し・が、愛情込めて作ってあげますよぉ?」
「はいはい、嬉しい嬉しい」
「二回言わないでください!」
びしっと指をさして言う雫。
ついさっき見たマジっぽい顔と違い、こういう計算尽くの可愛さは受け流せる。小学校の頃からの付き合いは伊達じゃない。
そんなことよりも食べたいものだ。
雫が料理上手なことは以前本人が自慢していたので知っている。綾辻と雫は、義母さんが再婚する前に二人で交互に夕食を作っていたらしい。
……違うぞ、俺が怠け者なんじゃない。二人が料理好きなだけだ。
「あ、じゃああれだ。ハンバーグ食いたい」
料理をしない人間は、そもそもろくにメニューを知らない。
思いついたのは、誰もが知っているようなポピュラーなものだった。
何が可笑しいのか、雫はくすっと微笑む。
「先輩ってハンバーグ好きですよね」
「そうか?」
「そうですよ。一緒に出かけるときも結構ハンバーグ頼んでる率高いですし」
「言われてみれば……そうか」
意識的ではなかったが、確かにハンバーグを食べたがることは多いかもしれない。成長期だからな。肉々しいものを食べたいという欲求が強いのだ。
あとは……そうだな。美緒もハンバーグが好きだった。テストの結果がいいときなんかは、決まって母さんにねだってた覚えがある。普段は物静かな美緒がキラキラ目を輝かせていたので兄として嬉しく感じていたものだ。
「なら今日はハンバーグにしましょう!」
「そうだなぁ。こねるのくらいは手伝うか」
「お、いいですね。じゃあ材料を買ったらこねこねしましょう!」
こねこね、と猫なで声で言いながら、雫は手をグーパーグーパーする。
やけにハイテンションなまま、ひょいひょいっと食材を買い物カゴに入れていく姿は、確かに少しだけ新婚っぽかった。
◇
「というわけでこねこねターイム!」
「ターイム!」
「……えっと、どうしてこうなった?」
買い物を終え、俺は家に帰ってきていた。
部屋着に着替えてダラダラと過ごすこと午後5時。
キッチンには、エプロンをつけた綾辻と雫が元気よく拳をかかげていた。
綾辻を見遣れば、冷たいジト目が返ってくる。
「何も言わないで」
「いや、そう言われても……。こんなことをやってる綾辻なんて想像できなかったし」
「私だって好きでしてるわけじゃない。でも雫が誘ってきたんだから、やらないなんて選択肢取れるわけがないでしょ」
「シスコンが過ぎる!」
いやね、分からなくはないのよ?
時雨さんに打ち明けているように、俺は美緒に囚われている。シスコンとは少し違うけど、妹を想う気持ちは分かっているつもりだ……とか、いい話風にまとめてるのは馬鹿馬鹿しいな。
どちらにしても、やたらとノリノリな綾辻の姿が可笑しくて可愛い。
「というわけで先輩もやりますよ。たくさんひき肉は買ったので、好きなだけこね放題です!」
じゃじゃーん、と大きなボウルにはたんもりとハンバーグのもとが積まれている。買い物の最中から思っていたことではあるが、やはりどう見ても一食分ではない。
「なんか、量が異常に多くないか? こんなの一晩で食い切れないだろ」
「もちろんそーですよ。でもハンバーグのタネって冷凍しておくと使い勝手がいいんです。お弁当に使えたり、味付けを変えて別の料理に使えたりしますから」
「そうそう。だからハンバーグを作るときにはいっぺんに作ることにしてるの。百瀬
「ほーん」
それが生活の知恵なのだろう。
確かにミニハンバーグみたいな肉っ気のあるものが弁当に入ってると嬉しいよな。綾辻と雫の生活を垣間見た気がして、くすぐったさと温かさが胸に広がる。
「そういうわけでやりましょう、先輩! 大丈夫です。ノルマなし、未経験者歓迎のアットホームな職場ですから」
「最悪の募集なんだよなぁ……っていうか、家なんだからアットホームなのは当たり前だし」
「百瀬くん、細かい。さっさと手を洗って準備して」
「……釈然としねぇ」
ぐだぐだ言っていてもキリがないので、言われた通りに手を洗う。
テーブルにはキッチンペーパーを敷いたバットが三つ並んでいる。
「あ、先輩。やり方は分かりますか?」
「ん、まぁなんとなく」
「超微妙な感じで言われても……しょうがないですね。まずは私とお姉ちゃんでやるので見ててください」
「お、おう」
やたらとやる気満々なので、素直に頷いておく。
綾辻も雫も掌より少し小さめになる分だけタネを取り、とっとっとっと軽く楕円形にまとめていく。
ネチネチ、ネチ、ネチ。
成形し終えると、今度は右から左へ、左から右へ、手慣れた様子でタネを軽く投げ始めた。ろくに料理をしない俺でも分かるくらいに手際がよく、すげぇ……という感想しか出てこない。
「上手いもんだな。俺も小さい頃にやったことあるけどもっと手こずったぞ」
「それは百瀬くんが不器用だからじゃない?」
「脈絡のないディスだな、おい……。別に不器用ではないと思うんだが」
だよね、と同意を求めるように雫を見遣る。
もう一つ作り終えたらしい雫は、キッチンペーパーにできあがったタネを載せながら答えた。
「んー、どうでしょう。手先は器用なんじゃないですかね」
「まるで他は不器用みたいな言い方をすんな」
「実際不器用ですし。ほら、さっきも」
「……っ」
制服を褒めたときのことを引き合いに出されると弱る。あの瞬間の俺と雫はいつもと少しだけ周波数が違った。妙な気恥ずかしさを誤魔化すように、げふん、と咳払いをする。
「まぁ、私とお姉ちゃんは慣れてるっていうのもあります。ハンバーグを作る率高かったので」
「ほーん、そうなのか。女子だけの家だと、もっとサラダとかエッグなんちゃら的なオシャレなやつばっかり作ってたのかと」
「百瀬くんのイメージが歪みすぎてる……モテない男子の妄想感がすごい」
「ほんとだよね、お姉ちゃん。女子校に夢見ちゃうおじさんと同じレベル」
「その括られ方は割とマジで傷付くんだが」
っていうか、綾辻も大概容赦ないな? 雫が違和感を抱いていないのをいいことにどんどんいつも通りの態度になっていくじゃん。いつもより多めに毒が回っております。
「もしかしたら他のところはオシャレなもの作ったりしてるのかもですけど……うちの場合は、お姉ちゃんがハンバーグ大好きなんです。だからテストとか、良いことがあったときにはハンバーグを作るんですよ」
「へぇ。そうだったのか」
「…………まぁそうだけど」
意外だったので綾辻の方を見ると、ぷいっと顔を逸らされた。
恥ずかしいのか、返事の声もしょぼしょぼと消え入りそうなほど小さい。
「百瀬くん。そろそろ口より手を動かしたら? 夕食の分を一つと保存用の小さいのを三つ。ノルマを達成しないと食事抜きだから」
「雫はノルマなしって言ってたけど?」
「なんか言った?」
「……はい、なんでもないです」
有無を言わせない圧力とはこのことなのか、と思い知らされる。
そんな綾辻の耳の先っちょだけが赤くなっているのを見て、ほんの少しだけ和んだ。
――ちなみに。
「なるほど。手先
「言い方に悪意しかないんだよなぁ」
いい感じに作れたため、こんな風に罵られたりもした。
器用じゃなきゃ前戯であそこまで感じさせられないだろ、と心の中でだけ思っておいた。心の平穏のためには必要なことである。
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