1章#14 ドキドキしました
「あぁぁぁぁ、マジでこき使いまくったよ、この人!」
「いやぁ、ごめんね。ボクが思っていた以上にてきぱき働いてくれるから頼っちゃったよ」
おやつが食べたくなる午後3時。
俺は、入学式、そしてその後の片付けを終わらせて生徒会室にいた。書記をやっている女子が淹れてくれたお茶をありがたく啜る。うんめぇ。選ばれたのは綾鷹じゃなくて書記ちゃんだったか……。
パイプ椅子の準備や歓迎の演奏をしてくれる吹奏楽部との最終調整、一年生の案内や先生との話し合いなど、何だかんだ、部外者とは思えないほどの活躍をしてしまった。
いや、まぁ他の生徒会メンバーも結構忙しくしてたんだけどね? そもそもとして、うちの学校は生徒会の仕事が多いのだ。
「迷惑かけちゃったみたいでごめんなさいね、百瀬くん……」
「あ、いや書記ちゃんは気にしなくていいぞ。達成感あって楽しいのも事実だし」
「そう言ってもらえると助かるわ。でも書記ちゃんって呼ばないでほしい」
「あ、……はい、すみません」
うわー、完全にやらかした!
別に普段から『書記ちゃん』と呼んでいたわけじゃないのだ。でも、なんかこうね? 役職を意識した方が仕事の上で繋がりやすいじゃん?
俺は入学してからというもの、ちょいちょい生徒会のヘルプに入っている。もちろん時雨さんに頼まれたから断りたくないというのもあるけど、それとは別に、こういう仕事の後の徒労感は嫌いじゃないのだ。
とはいえ、と生徒会室の時計を見遣る。
まるでそのタイミングを狙っていたかのようにスマホが振動した。
【しずく:終わりましたよ、先輩!】
メッセージと共に『待ってます』というプレートを首からさげた犬のスタンプが送られる。
やーねぇ、最近の若い子は。スタンプなんてちゃっかり使いこなしちゃって。好きなアニメのスタンプを買ったはいいけど使いどころが分からず使えてない俺に喧嘩を売っているのかな?
なーんて、もちろんそんなはずはない。いつものことだ。
「待ち合わせしてるからそろそろ行く。待たせたら面倒になりそうだし」
「そっか、分かった。お疲れ様。今度何かご馳走するね」
「了解。皆もお疲れ様。事後処理は手伝えないけど、またなんかあったら声かけてくれ」
「おう! サンキューな!」
副会長の先輩がニカっと笑う。
同級生の奴らも快く送り出してくれるのを見て、俺は小首を捻った。
……どうして生徒会室から出るとこの人たちとろくに話さなくなるんだろうなぁ、俺。
◇
季節は春。
3時過ぎくらいでは、まだ空は青いままらしい。広くて真っ青な大空は、若者たちの青春を応援しているように見えなくもない。
俺も頑張ってクラスに馴染もう。昼間の手応えはいい感じだったし、元からコミュ力がないわけじゃないのだ。ただ関係を維持できない、というだけ。
出来上がった関係を維持するのが苦手、という人は少なくないと思う。俺もそうだし、綾辻だって同類だ。何かしらの理由がないと、俺たちは関係を維持できない。
綾辻と雫は非常にレアだと言えるだろう。綾辻とは性欲という理由だけでよかったし、雫は俺を決して放そうとしなかった。
そういう意味では、雫にも感謝をしないとな……絶対口にはしないが。
「せーんぱいっ」
苦笑をしていると、こつん、と肩を突かれた。
悪戯っ子っぽい甘やかな声の持ち主は一人しかいない。
「よう、やっと来たな」
「そうやって『待ちましたか?』『今来たとこ』のくだりをカットしようとするのやめません?」
「この前は無意識に俺の方から始めちゃったからな。しっかり潰そうと思って」
「むぅ……」
あざとく頬を膨らませる雫。
いつも通りの可愛さが、昼間から続いていた余計な感傷を断ち切ってくれた。
「くだらないこと言ってないでさっさと行くぞ。俺は疲れてるんだ」
「ふぅん。なにかやってたんですか?」
「生徒会の仕事を手伝ってたんだよ。てか、それがなかったらわざわざお前のことを待ってなんてやらないからな?」
「またそーいうこと言う! 可愛い後輩の頼みを断るなんて日本男児らしからぬ行動ですよ、先輩」
「お前は全国の日本男児に謝って来い!」
いや、そもそも日本男児だから全国の男子なのか。
くっだらない考えを広げつつ、雫と一緒に笑った。雫が笑うのに呼応して、ツインテールも楽しそうに揺れる。
「冗談は置いておくとして……先輩、本題に入りましょう」
「お、おう。じゃあ行くか」
「どうしてですかっ?!」
「は……?」
やたらと真剣な顔で言うので俺も従おうと思ったのに、雫は勢いよくツッコんできた。
雫は、スーパーの方へ向かおうとする俺の制服の裾をぐいぐいと引っ張っている。
「むしろ俺が『どうしてですか』なんだけど。これから夕食の買出しにいくんだよな?」
「そうですよ。しかも先輩と後輩、同じ制服を着ていきます」
「……? まあ、そうだが」
同じ学校に通っているんだから、同じ制服なのは当然だ。
強いて違いを挙げるとすればリボンとネクタイの色だろうか。一年生である雫は青いリボン、二年生の俺は緑のネクタイを着けている。
「これでも気付かないとかあれですか? 先輩はギャルゲー主人公の真似でもしてるんですか?」
俺の周りではギャルゲー主人公を引き合いに出して罵るのが流行っているのだろうか。
小馬鹿にするような顔をしたあと、雫はやれやれと手を肩のあたりまで上げた。
「しょうがないですねぇ。先輩、想像してみてください」
「え、なに急に」
「いいからいいから!」
非常に胡散臭くて面倒だが、話を進めるためにも従っておく。
目を瞑ると、普段とは少しだけ声を変えた雫が言った。
「あなたは高校二年生。今日は高校の入学式。小学校の頃からあなたのことを慕ってくれている超絶美少女な後輩から、一緒に帰らないか、と誘われました」
チープだが王道な展開だ。胸キュン必至だろう。
「これまで同じ学校に通うことがなかった後輩が、初めてあなたと同じ制服を着ています。二人で帰る制服デート。あなたがまず最初にすべきことはなんですか?」
「……制服を褒める?」
「正解ですっ♪」
目を開いて答えると、雫が満面の笑みを浮かべている。
何かを待つようにくしゅくしゅと髪を弄る姿を見て、雫が何を言いたいのかようやく悟った。
「え、もしかしてお前、自分のことを『超絶美少女な後輩』とか言ったのか?」
「なんでそんなドン引きした目で言うんですかぁっ!」
じわっ、と雫が涙目になった。
トテトテと胸元に猫っぽいパンチをしてくるのが妙にこそばゆい。ちょっぴりシュンとした上目遣いには、大丈夫だよ、とでも言って頭を撫でてやりたくなる可愛さがある。流石に撫でたりはしないが。
「はぁ……悪い悪い。要するに雫は俺から制服の感想を聞きたいってことだよな?」
「そうです。今朝は時間がズレてたので見てもらえなかったですし……お姉ちゃんがいるから可愛さには慣れちゃってるかもですけど……それでも、先輩に見てほしかったんです!」
もにょもにょと口を曖昧に動かしながらも、最後の一言だけは力強く言い切る。
瞳は真っ直ぐに俺を映していた。
よくできた運命みたいなタイミングで一陣の風が吹く。
桜の花びらは降らない。
清々しい春陽は、ブランケットのように雫を温めている。
――綺麗だな、と素直に思った。
ミニスカートがひらりと揺れる。
ブレザーの下に着こんだ桃色のセーターは、実に雫らしい。身体よりも一回り大きなブレザーは、雫が一年生なのだと改めて教えてくれる。
「あー……そうだな。まぁ、あれだ」
いざ口にしようとすると、どうしても口が重くなってしまう。
とはいえ、ここで何も言えない方が雫に負けた感じがして不服だ。せめてもの抵抗として雫から目を逸らし、勢いで告げる。
「超絶美少女ってのは自意識過剰ではなさそうだな」
「…………」
「…………」
沈黙が流れた。
先に動いた方が負ける。さながら武士のような気分になっていると、雫がぷはっと吹き出した。
くすくす、くすくす。
それはもう可笑しそうに笑う。
「もー! それが褒め言葉ですか、先輩っ! もうちょっといい感じに言えないですかねー」
「いや、可愛いとか急に言ってもゾワゾワするだろ」
「確かに!」
「同意してんじゃねぇ!」
自分で言うのはいいけど、人に言われるのはちょっと複雑なお年頃なのだ。
だがまぁ、とりあえず雫は満足してくれたらしい。どこかフワフワとした雰囲気を纏っていて、いつもよりも何歳分か幼く見える。
「それじゃあ行きましょっか、制服デート!」
「行くのはスーパーだけどな」
「つまり新婚さん?」
「新婚にして制服プレイとか倒錯しすぎてんだろ……」
「ですねー。あ、先輩」
俺より数歩先で雫がはにかむ。
言いにくそうに口ごもってから、雫はしょぼしょぼと呟いた。
「あの、その……不器用って言うか、何それって感じでしたけど……でも、褒めてもらえて嬉しかったです。ちょびっとだけドキドキしました」
――――ッ!
「なーんて。らしくないこと言いましたね。早く行きましょうか」
「……そう、だな」
ほとんど声にならない返答しか口にできなかった。
だって、どうしようもなく心臓がうるさいのだ。
ああ、なんて眩しいんだろう。
太陽が零す恵みの雫みたいだ。
そんな意味不明な感想ばかりが胸をシュワシュワと占めていった。
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