1章#13 従姉と

 むしゃり。

 ハムサンドを一噛みすると、程よい辛みとまろやかさが舌に触れた。からしマヨネーズだろう。シャキシャキなキャベツの触感も心地いい。一つ一つのサイズが小さいので、食べている途中でズレたりせず食べやすかった。


「流石は完璧超人……」

「そこは素直に美味しいって言ってくれた方がボクは嬉しいんだけどな」


 ほどけたように笑う時雨さん。

 言ってることは分かるんだけど、一番率直な感想が今口にしたものだったのでしょうがないと思う。


 時雨さんははっきり言って天才だ。

 学業面では一年生の頃から学年一位の座を逃したことがないらしいし、運動面でも体育の授業での活躍や部活動に助っ人として参加したときの話をよく聞く。生徒会長になっているだけのことはあり、処世術にも長けている。

 料理に関しても例外ではない。それだけ完璧超人なのだ。俺とほとんど変わらない血のはずなのに……。


 まぁ、今更悔しがったりはしない。競ったところで無駄だしな。追いつくような努力をしたいと思うほどの熱量もない。俺は俺でやりたいことに熱を注げばいいのだ。

 そもそも、時雨さんには昔から一度だって勝てたことがないし。


 と、くだらないことを考えていなければ平常心でいられないくらいには、昔の記憶がちらついていた。

 父さんが挙動不審になった頃からは胸の奥に追いやってたつもりだったんだけどなぁ……やっぱり自分を誤魔化すのは難しい。


「まぁ、美味しいって思ってくれているのは顔を見たら分かるからいっか。それよりも本題に入ろう」

「本題って言われても、俺が話したいことはないよ?」

「そう思っていても、少しでも吐き出せた方がいいことだってあるかもしれないでしょ。ボクも親戚のことは知りたいしね」

「そっ、か……」


 考えてみれば、時雨さんは綾辻と雫にとっても従姉なのだ。

 義理の従姉ともなればもはや他人でしかない気もするが、今後親戚付き合いをしていかなければならないことも事実。


 時雨さんとあの二人が会ったとき、今のままでは黙っていたいことを顔に出してしまうかもしれない。それは何としても避けるべきだ。


「時雨さんは再婚に反対だった?」

「んー、それはボクがどうこう言うことじゃないって思ってるよ。叔父さんがどれだけ悲しんだのかも知っているつもりだしね」

「それもそっか」


 でも、と時雨さんが表情を曇らせた。


「キミに義妹ができるって聞いたときは驚いたよ」

「リアルじゃなさすぎるよね。義妹が同級生と後輩って」

「……犯罪はダメだよ?」

「疑いの眼差しはやめてぇ」


 へなへなと答えると、時雨さんはけらけら笑う。

 甘やかな涙ぼくろが楽しそうに見えた。


「従弟が犯罪者になっちゃうかもっていう心配は置いておくとして。キミはどう思ってるの?」

「犯罪は良くないなって思ってる」

「そうやって逃げようとしてもダメ」


 口の前で小さくばってんを作った。誤魔化しを許してはくれなそうだ。

 はぁ、と溜息を吐いてから答えた。


「まぁ、正直に言うと複雑な気持ちだったよ」

「それはどうして?」


 真っ直ぐに俺を見つめて、時雨さんが尋ねてくる。

 二人と知り合いだったから。しかも一人はセフレで、もう一人は小さい頃から仲のいい後輩だったから。

 そんなことを言えるはずがないし、そんな答えを求められているわけでもない。

 俺が複雑になった本当の理由を聞かれているのだ。


 もちろん、義妹になったのがセフレと後輩だったことにも複雑な気持ちになった。驚きと戸惑いと動揺と気まずさが綯い交ぜになっている。

 けれど、俺の複雑な気持ちの理由はそれだけじゃない。


「分かるでしょ」

「分かるからこそキミの口から聞きたいんだよ。キミの従姉として」


 その言い方はズルい。

 はぁぁぁぁ、と深く息を吐きだして天を仰ぐ。


 思えば、あの頃もこんな風に問い詰められていた。あのとき俺を問い詰めていたのは美緒で、時雨さんは隣でくすくす笑っていただけだったけど。


 俺には二つ年下に百瀬美緒という妹がいた。

 そして──。

 俺が小学五年生のときに


「美緒のことを忘れられないんだ。それなのに新しい妹ができて……そんなの、戸惑うに決まってる」

「だよね」


 俺が美緒に囚われていることを知っているのは時雨さんだけだ。

 きっとこれからも、それは変わらない。

 幸せな再婚をした二人に言ってはいけないと思うから。そして──。


「どうすればいいと思う?」


 情けないと知りながらも言った。

 生温い風が吹き、時雨さんの髪が綺麗に揺れる。時雨さんは、髪を左耳にかけてから答えた。


「そうだなぁ。二人に言ってみたらいいんじゃない? 家族になるなら、きちんと話し合わないと」

「それは……無理だ」


 自分で聞いたくせに何を言ってるんだ、俺は。

 そんな自責心に駆られるが、それでもやっぱり二人に話せない。話せるわけがない。


「『俺には死んじゃってるけど妹がいて、その子のことが忘れられない。だから義理であっても妹になった二人の存在に戸惑ってる』って言えって? それは無理な話だよ」

「そうかな?」


 時雨さんは、諭すようにゆっくりと言う。


「ボクは、話さない方が困らせちゃうと思うよ。想いは行動に現われてしまうものだからね。口にせずとも、キミが戸惑っていることは相手に伝わってしまうものだよ」

「それは……」

「だったらきちんと話した方がいい。二人だって、義理の兄って存在に戸惑っているはずだろう?」


 時雨さんの言葉は、いつか誰かが言ったものにそっくりだった。

 けれども、返事はできなかった。

 だって――綾辻と雫に話せない本当の理由は、じゃないから。


 もしも相手が綾辻と雫じゃなかったら、俺は実の妹のことを話したかもしれない。

 でも、俺の義理の妹は綾辻と雫なのだ。彼女たちとの出会いを考えたら、時雨さんの言う通りには絶対にできない。


「そうかもしれない。考えておくよ。アドバイスありがとう、時雨さん」

「……そっか」


 優しく子を見守るように、時雨さんが呟いた。

 代わりにスマホ画面に目を落とし、バスケットに残っていた最後のサンドウィッチを頬張る。

 ごっくん。しっかり飲み込んでから立ち上がった。


「さあ行こ、時雨さん。そろそろ行かないと遅れちゃいそうだ」


 もうこの話はしたくない。

 目でそう訴えると、時雨さんは小さな溜息の後で頷いた。空気の重さが、ぐっと変わる。


「そうだね。ボクがいかないと生徒会はダメだし」

「それが冗談じゃなくてマジなあたりが完璧超人なんだよなぁ……」


 ぶっちゃけ、マジで今の生徒会は時雨さんの存在がでかいからな。ワンオペとは違うんだけど、時雨さんがいないと成り立たないってのはマジな話。

 冗談とか誤魔化しではなくて、割と真面目に、こんなところでまったりお話していい人材ではなかったりする。


「じゃあキミにはボクの右手の小指の先っちょとして頑張ってもらおっか」

「せめて小指で留めてほしんですけどッ?! どんだけ役立たずだと思われてんの、俺」

「うーん、どうだろ。なんだかんだ日和ってるヘタレなギャルゲー主人公ムーブメントが大きな減点対象だよね」

「一気にキャラ崩壊するのやめようか⁉」


 ちなみに時雨さんも父さんの影響でゲームとかちょいちょいやります、はい。


 こうやってネタにしてくれることに感謝しつつ、胸をチクチクと苛む罪悪感を隅っこの方に押しやった。

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