1章#02 小悪魔な後輩

 ――とぅるるるるるっ


 春休み一日目。

 早速惰眠を貪ろうとしていた俺を叩き起こしたのは、やかましい着信音だった。バイブレーション設定にしておけばよかったなぁ、と思いつつも画面を確認する。


 スマホの画面には、綾辻あやつじしずくと表示されていた。

 ったく、いきなり電話かけてきやがって……。

 恨み事がぷっつぷっつと頭に浮かぶが、電話を無視しても後が怖い。


「んあ。もしもし?」

『先輩出るのおっそーい! もうぷりぷりしちゃいますよ』

「……切るぞ」

『ひどっ。可愛い後輩の電話なんですから、楽しまないと損ですよっ』

「うぜぇ……」


 相変わらずこいつはテンションが高い。

 雫は小学校の頃の後輩だ。中学校は別のところに行ったが、受験勉強を手伝ったり、ちょいちょい絡まれたりして、なんだかんだ仲良くしている。妹みたいな後輩だ。

 頼ったり甘えたりしてくれる珍しい後輩なので、うざいと思いつつも突き放す気にはならなかったりする。


『っていうか、なんか先輩テンション低くないです? 声もいつにも増して変ですし』

「俺っていつも声変なの? 無自覚なんだけど」

『スカしたイケメンボイスって感じですよ』

「朝からディスってくるのはやめろ。いや、そもそもそれってディスってるの?」


 イケメンボイスなら喜ぶべきなんだろうけど、『スカした』ってつくと一気に微妙な感じがする。

 そういえば綾辻もたまに声責めしてほしいって言ってくるんだよな。いい声を持ってるのかもしれない。そういうことにしておこう。


 ……ちなみに雫と綾辻は苗字が同じだけで無関係だ、と思う。

 綾辻とは小学校が別だったし、二人は容姿からして全然似ていないからな。雫はキュートな小悪魔系、綾辻は綺麗なクール系って感じだ。ちなみに、澪は割と控えめなんだが、雫はかなり大きい。どこがとは言わないけど。


「まぁ、寝起きだからな。ローテンションに感じるならこんな早朝に電話をかけてきたお前が悪い」

『早朝って……先輩、マジで言ってます?』

「は?」

『はあ。時計を見てください! もうお昼ですよ、お・ひ・る!』

「そんなわけが――あれぇぇぇ⁉」


 時刻は11時半。

 冗談かと思っていたがマジでお昼だった。


『ちょっと! 耳元で叫ばないでくださいよ』

「あっ、ああ、悪い」

『もう、ぷんぷんです。怒った私は怖いですよ』

「へぇ。何が起こるんだ?」

『一週間無視します』

「別に困らないんだが」

『ひどっ! そこは困ってくださいよーっ!』

「耳元で叫ぶなって言ったのはお前だろ……」


 スピーカーモードにしているから問題ないんだけどな。

 だいぶ目が覚めてきたので、ワイヤレスイヤホンと接続してから部屋を出た。

 電話の向こうでぐちぐちと中身がないことを言っているのを聞き流し、ぱちゃぱちゃと顔を洗ってから会話を再開する。


「ふぅ」

『さらっと健康的な朝を過ごすのやめてもらっていいですー? いや、朝ってゆーかめっちゃお昼ですけど!』

「春休みの11時半は余裕で朝認定していいんだよ。……それで、どうしていきなり電話掛けてきたんだ?」


 冷蔵庫から缶コーラを取り出し、ぷしゅっと開ける。

 寝起きの喉に流し込むコーラは地味にピリピリと痛くて、この感覚が意外と嫌いじゃない。

 はぁ、と呆れるような溜息の後に雫が要件を言ってきた。


『えっと。折角の春休みですし、どうせなら先輩と出かけしたいなーって思いまして』

「ほーん」

『どうですか? なんと今日なら、私を夕方まで独占できちゃいますよ』

「んー、普通にめんどい」

『普通にとか言わないでくださいよぉ』


 そう言われても、普通に面倒くさいのだからしょうがない。

 シャワーを一浴びして着替えと髪のセットをして……と出かける準備をするのは結構な手間だ。前日から言われていれば別だが、こんな時間に言われても乗り気になれない。


「別の日じゃダメか? 明日とかなら考えなくもない」

『それはちょっとどうだろう、みたいな。今日という日は今日しかないじゃん、的な。いますぐ先輩に会いたくてドキドキワクワク、って感じなんですよねー』


 ふわっとした言葉を聞いてくと、話の背景が見えてくる。

 きっと雫は何か俺に相談したいことがあるのだ。しかも、それは今日じゃないといけない。ただ、それは俺に話すのが躊躇われる案件でもあるのだろう。俺に迷惑をかけてしまうかもと懸念した雫は、こんな時間まで電話をするか延々と悩んだ。


 とまぁ、長い付き合いになるのでおおよその察しはつく。

 もしかしたら俺が起きてなかっただけで、既に何件も電話をスルーしてしまっているのかもしれない。だとすれば断るのは先輩としてNOだろう。


「分かった。でもどっかぶらつくのは怠いし、昼飯食うだけでもいいか?」

『怠いとか言われると素で凹むんですけど……まあ、そういうことなら、はい。お昼ご馳走になりますねっ』

「誰も奢るなんて言ってない件。むしろ休日出勤で奢ってほしいレベルだぞ」

『えー? 女子中学生に奢らせるなんて、男子高校生としてヤバくないですか~?』

「そう思うなら、せめて男子高校生を相手にしている自覚と尊敬の念を持って接してほしんだが?」

『あ~あ~楽しみだなぁ、先輩のお・ご・り♪』

「おい聞けや中学生」

『春からJKです! じゃあ、12時半に自由が丘駅で』

「ダブルスタンダードもいいとこじゃねぇか! ……分かったよ、すぐ準備するから待っとけ」


 電話を切ると、家の静けさを実感した。

 家が静かっていうより、雫が嵐みたいに騒がしいだけな気もするけどな。


「さっさと着替えるか」


 1分でも遅刻したら絶対しつこく言ってきそうだし、俺に無理を言い過ぎたかもって不安にさせるのも嫌だし、引き延ばすと怠くなりそうだし、なんだかんだ雫に会うのは楽しいし。


 独り言の間抜けな響きを聞いて、イケボではないな、と苦笑した。 



 ◇



 適当に支度を済ませて待ち合わせ場所まで向かう。

 流石は春休みといったところか、ちらほら学生の姿が見えた。いつもの五割増しくらいで若いエネルギーが渦巻いている気がする。


 そんな自由が丘駅の改札から出ると、すぐ正面の柱に寄り掛かっている少女がいた。

 黒髪のツインテールが今日も軽やかに揺れる。黒いTシャツとショートパンツを組み合わせた今日の恰好は、どこかボーイッシュで大人っぽい。綾辻よりワンサイズかツーサイズくらい大きめな胸部が強調されていた。

 ……あんまりジロジロ見るのはやめとこう。


 ぶんぶんと首を頭を振って邪念とおさらばし、雫に声をかける。


「悪い、待たせたか?」

「ふふー、大丈夫です。全然待ってないですよっ」


 ぱちん、とあざとくウインクしてくる。

 電話越しの会話でも分かったかもしれないが、雫はこういう奴だ。あざとい小悪魔タイプ。出会った頃は大人しい奴だったんだが、俺につられてゲームとかアニメに触れてから変わった。


 中学校では結構告白されてたらしい。全部断っていたとのことなので、雫に惚れた男子諸君にはちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。勘違い男子を量産する小悪魔が出来上がったのは俺のせいかもしれないからなぁ……。


「はいはい。それじゃあ行くか」

「うわー、超適当に流されたんですけど。可愛い後輩のウインクなんですよ? もっと胸を押さえてキュンキュンしてくれてもいいじゃないですか」

「どうせ計算だって分かってるのにどうやってキュンキュンしろと? つーか腹減ってんだよ。来ないなら置いてくぞ」

「むぅ……私はドキドキしながら待ってたのに。しょうがない人ですね」


 雫はムスッとしたかと思うと、呆れたような微笑を浮かべる。そういうギャップを見せるからこいつはズルいんだよな……。


 とはいえ駅前は人が多い。こんなところで話し込んでいたらかなり迷惑だ。

 いるんだよな、周囲に迷惑かけてることにちっとも気付かないカップル。道のど真ん中を歩くな、もっと寄って道を開けろ、といつも怨念を込めてる。


 とりあえず俺たちはその場を移動することにした。昼食の店のセレクトは俺に任せてくれるらしい。特に捻るわけでもなく、目についた普通のファミレスに入る。

 この辺りはオシャレな店が多いので、逆にシンプルなここはお昼時でも空いていたりする。まぁそれでもそこそこに家族連れが多いんだけど。


「ファミレスなあたりが先輩らしいですよね」

「なんでだ、ファミレスいいだろ」

「別にダメなんて言ってませんよ? でも他の男の子なら、もっとオシャレなお店とか、逆に女の子一人じゃ来にくいお店とかに連れて行ってくれそうじゃないですか」

「へぇ。そういう経験があるわけか」

「まっさかぁ。こんな風に二人っきりでおでかけするのは先輩とだけ、ですよ?」

「あー、はいはいそうだな」

「適当に流すのは酷くないですかねー? 今のはほんとなんですけど!」


 不服の意を目と表情で伝えてくる雫。

 そんな所作にもあざとさが垣間見えていて、そりゃ男子も勘違いするわな、と思う。雫の場合は男子にモテることじゃなくて、自分が可愛いと思う自分で在るためにこうしてるんだけどな。


 それはそれとして罪深いと思いました、まる。

 とか言っている間にテーブル席に案内される。椅子を引いて雫を座らせ、俺も正面に座った。


「あざといって言いますけど、さらっとエスコートしちゃう先輩もまぁまぁあざといですよね」

「エスコートってほどのことはしてないだろ。単に慣れてるだけだ」

「女慣れしてる、っと。うわー、悪い高校生だ」

「雫に連れ回されてるうちに慣れただけなんだよなぁ……」

「つまり私のおかげ、と」

「ああうん、もうそれでいいや」


 いつまでも雑談をしていたってしょうがない。

 俺はとんとんとテーブルを指で叩き、雫の目を見て言う。


「とりあえず注文するぞ。その後でちゃんと相談に乗ってやる」

「…………やっぱり、バレました?」

「当たり前だろ。何年雫の先輩をやってると思ってるんだよ」

「っ…ほんっと、そーゆうところがズルいんですからねっ」


 雫が、ぷいっと顔を背ける。

 柔らかそうな頬は、苺味の白い恋人みたいなピンク色になっていた。

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