第十四更 覚悟
磐長が身を潜めながら、コンテナの影に隠れる。そっと覗き見ると、成海が立っていた。そこに数名、スーツの男が歩いてくる。聞き耳をたてながら、磐長はそれを見つめた。
「……お疲れ様です」
「ああ。それがブツか」
「はい。お願いします」
成海が鞄を手渡した。一人の男がそれを受け取り、別の男に渡す。
「金だが、今日は事務所まで取りに来てくれ」
「え……どういうことですか」
「車がある。乗ってくれ」
「い、いや……そんなこと今まで一度も……」
様子が変わった。磐長は身構える。男が成海の腕を掴んだ。
「悪いが頼む」
「ちょっと……! やめっ……」
「!」
振り払おうとする成海を見て、磐長が飛び出しかけた、瞬間。
「ッ、……!」
後頭部に衝撃を感じ、磐長の体が前につんのめる。痛みを覚えるより先に、反射で回し蹴りを放った。背後の男がそれを食らい、倒れる。さっと頭に手をやり、出血が無いことを確認する。溜息をつきながら乱れた髪を整え、磐長は辺りを見回す。すでに五、六人の黒服が彼を取り囲んでいた。
「……ちょっと多いなぁ」
呟き、磐長は横目で成海の方を確認する。成海は腕を掴む男を突き飛ばし、駆け出したところだった。
「ふむ……」
磐長は向き直り、その場で数回跳んで身体から力を抜いた。小さく微笑み、呟く。
「前に、神音たちがやってたゲームで見てから、少し練習したんだよね……ロシアの軍隊格闘術、通称システマ。ちょっと試させてもらうよ?」
呼吸を整え、柔らかく構える。磐長は背筋を伸ばしたまま、男たちに向かっていった。
*
コンテナの影を縫うように、成海は走った。息が上がる。体力の限界を迎える前に、奥まった場所に滑り込み、コンテナに背を預け呼吸を整える。周囲を確認しながら、逃亡の算段を立てる。視認できる範囲にも、黒服の男たちが、数名うろついていた。人数を数えながら、成海はポケットの折り畳みナイフに手を伸ばす。バイクは遠い。そちらまで一人で行くのは、あまりにも無謀だ。
唇を引き結び、成海は覚悟を決めるように、ナイフを握った。
*
攻撃を受け流した磐長が、視界の端に見慣れた茶髪を捉える。振り返ると、谷松が黒服の一人の頭を銃のグリップで思い切り殴っていた。
「やあ、さくちゃん! 始めてるね。その構え、何? 新技?」
こちらに呑気に近づいてくる谷松の後ろで、高野が襲い掛かってきた男を投げ飛ばしている。
「神音! あの子向こうに行った、追われてる!」
「あーらら、そりゃまずい」
高野がぱっと磐長を見た。焦りと怯えの混ざった表情だった。すぐに背を向けて駆け出そうとする。
「俺、行きます!」
「おう待てや少年。これ貸してやる」
その肩を谷松が捕まえて、持っていた拳銃を差し出す。
「え、ありが……え⁈ いや、俺、使えませんよこんなの‼︎」
一度は受け取った高野が、慌ててそれを突き返す。
「大丈夫大丈夫、ここをこうして、こうやって、ハイ撃つだけ」
谷松が実演し、近づいてきた男の太ももを撃った。
「ギャーッ」
「ワーッ⁈」
「おじさん体力なくて走れないからさ、頼んだぜ若者よ!」
そう言うと谷松は、スーツに手を入れもう一丁の銃を出しつつ、磐長のほうへ行ってしまった。
「う、あ、あ……は、はい!」
その背中に大声で返事をしてから、高野は銃を抱えて駆け出す。
*
運転席の窓を外から軽く叩かれ、薬師寺が顔を上げる。
「……先生」
窓を開けると、安田がポケットに手を突っ込んだまま、軽く屈んだ。
「始まってる。見つかると良くないから逃げろって、神音が」
「そっか……」
ふと、安田が助手席に座る慧子を見た。何かを思い出すように、目を細める。慧子は、突然現れた銀髪隻眼の男に、少し動揺しているようだった。
「……名前は」
「……!」
話しかけられて、慧子が肩を震わせた。安田が顎で慧子を示す。
「あ……ろ、くはら、六原慧子……」
「ちがう」
「……え?」
怪訝な顔になる慧子を、安田がじっと見る。
「……? ……あ、」
その視線の先に気づいて、俯き、腹に手を置く。
「……まだ。まだ、決めてないの」
「……そうか」
安田が薄く笑った。慧子はそれを見て、少し目を丸くする。
「……」
「……じゃ、適当に隠れられそうなところに行ってるよ。落ち着いたら連絡して」
前を見たままだった薬師寺が、口を開いた。
「神音に言っておく」
「ヨロシク」
安田が数歩下がると、車はゆっくりと走り去った。それを見送りながら、安田は懐から煙草を出し火を点ける。
「……あいつの車、あんなオンボロだったか?」
呟きながら煙を吐き出し、空を見上げる。金色の月が輝いていた。
「……」
小さく微笑み、また煙草を吸う。
*
「いっぱい出てんねェ、血」
「ヒッ……」
谷松は銃を指先で回転させながら、倒れこみ悶える男の前に、片膝をつく。
「その出血量、損傷部位……もってあと三分ってとこか? 残りの人生でカップ麺が作れるな。食う時間はねえけど」
脇腹の傷口を指差し、微笑む。
「あんた、死んだことある? 俺はないが、死んでいく人間なら山ほど見てきた。出血が増えるにつれて、だんだん脳に酸素が回らなくなっていくんだ。眠るみたいにゆっくり目を閉じて、そうしてもう二度と起きない」
「い……いやだ、嫌だ」
「いい顔すんじゃん。助けて欲しい? 救われたいか? そうだよな、だったらあんたら、どこのどういうもんで誰の指示で動いてるか教えてくれねえかな? 今ならまだ間に合うかもしれねえぜ?」
「あ、あ、」
口を開き、男はそのまま、絶命した。
「……あ? 三分保たねえじゃん。なんだよ……見誤ったんだが……?」
「神音! 喋ってないで後ろお願い!」
舌打ちする谷松の背後から、磐長が叫んだ。慌てて立ち上がり、磐長と背中合わせに立つ。
「何とかならないの? この人数」
「うぇー……」
磐長の声に谷松は眉を下げ、銃を構えたまま片手に携帯電話を持った。
「やだな……なあさくちゃん、親に頼み事するのって、嫌じゃなかった?」
「嫌だったよ。こんな状況でもなければの話だけど」
「ですよね」
落ち着いた彼の声に諭されるように、谷松は電話を耳に当てる。そのまま何やら話し始めるが、磐長は聞き流しながら、戦闘の型を慣れた合気道に切り替えた。頬を弾丸が掠めて、小さく舌打ちをする。弾の軌道から狙撃手の方を見ると、ちょうど谷松が撃ち殺したところだった。
「あーすんませんてほんと! でも約束破ったのは向こうですよ? そこを何とかお願いしますって……」
谷松の声が、一際大きくなった。彼の首を絞めようとする男に、磐長が肘を入れる。よろけた谷松がへらへらと笑った。
「んはは……おやっさんたらもう~……わかってますよ! 働きますって! 例の件でしょ? 俺がやるに決まってんじゃないすか!」
谷松は八つ当たりのように銃を撃つ。
「俺が死ぬ前に! 迅速に! よろしくお願いしますよ!」
叫んだ谷松が、そのまま携帯電話を目の前の男の眉間に投げつけた。
「おらァ!」
「また買い替えるの?」
「ちょうど変えたかったんだよ!」
*
走って成海を探す高野の耳に、間近で発砲音が響いた。
「っ⁈」
慌ててコンテナの後ろに隠れる。辺りを注意深く見回した後、別のコンテナの影に移動すると、その向こうに成海がしゃがみこんでいるのが見えた。
「……なる……っ!」
「……⁈」
思わず駆け寄ろうとした高野に、振り向いた成海が驚く。反射的に、右手のナイフを背に隠した。
「なんで……」
成海の呟きをかき消すように、怒号と銃声が響いた。二人は咄嗟に身を低くする。
「っぶねぇ……!」
すんでの所で銃弾を避けた高野が、転がるように受け身を取る。
「たか……」
高野の方に駆け寄ろうとした成海が、後ろからウィンドブレーカーの首元を掴まれ、よろめいた。
「……ッ」
その腕を素早くナイフで切る。相手が怯んだ瞬間、高野に向かって駆け出した。高野は目の前の男を投げ、辺りを見回す。黒服の男が数人、目に入った。
「あ、そうだ……じゅ、銃……」
思い出したようにポケットから銃を取り出し、安全装置を外す。その肩の向こうに、高野を狙う銃口を見つけて、成海が叫んだ。
「高野ッ‼︎」
「え」
顔を上げるより早く、高野は横腹に衝撃を受け、倒れる。成海に押し倒されたのだと気づいたのは、地面に転がった後だった。耳鳴りがする。無意識に固く閉じていた目をこじ開けて、重みを感じる腹の上を見た。
最初に目に入ったのは、黒髪だった。その手が、服が、血に濡れていた。
「……成海ッ⁈」
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