腫瘍のようなもの

@Capybara_Jun

腫瘍のようなものと竹林の七賢者

 右頬に変な違和感を感じたのはいつだったか。

新しいプロジェクトが始まったときにはあったので、多分08月の後半あたりからだと思う。右口腔内にビー玉ぐらいの塊が入っているような違和感。

気になったので耳鼻科にいって診てもらった。

 耳鼻科の先生からは、あまり触らないようにと言われて抗生物質が処方された。それと某大学病院への紹介状を来週書くといってくれた。この時点で「ああ、これは悪性腫瘍の恐れアリかな……」と思ったが、それならなぜ抗生物質が処方されるのかが解らなかった。


 それから一週間後、再度耳鼻科に。抗生物質を飲んでいた僕の腫瘍と思われる違和感は小さくなり、耳鼻科の先生も「困ったな、なんで抗生物質で小さくなったんだろうねぇ……。これ、小さくならなかったらすぐに大学病院に行きなさい、と言うつもりだったのに、なんで抗生物質で小さくなったんだろうねぇ……。」と不思議そうに言った。いやいや困るのはこっちだ。

 先生はそれでも大学病院の予約をいれてくれた。何度も「おかしいなぁ」とつぶやきながら。なんとも曖昧な状況で死ぬか生きるかを迫られてしまうこちらのほうが困っているというのに。やれやれだ。



     8つの卵のうち、4つはただ壊れた。

     流れて伝わり、悼まれながら溶けていった。

     残ったうちの2つは、朝を待たず消えた。

     ニコラがくすねて、残ったのはただ1つ。


 波多野裕文:「裏切りの人類史」



 その日、紹介状をもらったまま大学病院へ行く。The sooner, the better.

口腔外科の先生曰く、「なんだろうねぇ、これは……」と耳鼻科の先生と同じような反応をする。このあたりで逆に「専門家が診ても明らかな癌ではない」「正体不明:要注意」「抗生物質は何故効いた(かのようにみえた)のか?」「慌てるな、だが急げ」「あのー、今日のお昼ごはん、まだ食べてないんですけどー。」という情報が頭の中に文字として浮かび上がってくる。それを一つ一つカードに変形させて頭の中でシャッフルをする。


「まぁ採血しましょうか」と先生。

「腫瘍マーカーですか?」と僕。

「あ、以前にもやったことある?」

「いえ、初めてです。流れからしたら多分腫瘍マーカーかなぁ、と」

みたいなやり取りをしながらCTを撮る予約を入れる。

およそ一ヶ月後。個人的にはもっと早く決着をつけたがったが、なにぶんCTは3台回しても予約でいっぱい。行列のできる大学病院なのだ。

 空いていた9/11はワクチン摂取2回目の日と被り見送り。結局10/7に決まった。僕の誕生日だ。

 誕生日にCTスキャンによる検査とは……、何というか厄介事に巻き込まれた感はある。だが、これもまためぐり合わせだ。

 仕方ない。竹林の七賢者を集めよう。



     行こう。

     厄介な人生も

     ビギナーズラックで押し切るつもりで。


 波多野裕文:「初心者のために」



 病院帰り、早速僕の頭の中で「竹林の七賢者」会議が始まる。


「もっと早ければ間に合ったものを……、とかねwwwwうぇ」とワオキツネザルが鼻で笑いながら言った。


「そんなことはない。初動はかなり早かった。大丈夫だ。問題ない」とインドゾウがゆっくり言った。


「もう他にできることって今の所ないんでしょ? ならこれ以上考えても仕方ないんじゃないかしら?」とコビトカバが心配そうに言った。


「CTスキャンの画像ってもらえるんだっけ? TwitterにUPしたいんだけど。ダメ?」とカピバラが空気を読まずに言った。


「なんだよ! ふざけんなよ! 怒ってねぇよ! だから怒ってねぇっていってんだろ!」とツキノワグマが鼻息を荒くして言った。


「シチュエーションから考えるとシナリオは大きく分けて8通り。その中でフェイタルなのは最悪から数えて2つ目までだ。勝利条件にもよるが分のいい賭けだとは思う」とアフリカオオコノハズクがよくわからない数式を書きながら言った。


「そうそう、それで思いだした。ほら、ときどき口の中が苦い時があったけれど、あれってもしかして何かの伏線?」とチベットスナギツネが江戸川乱歩の本を読みながら言った。



     人が落ちてゆく。空に落ちてゆく。

     猛獣、のさばる、大通り。

     懐かしいな。騒がしいな。


 波多野裕文:「猛獣大通り」



 まぁ七賢の清談というよりは、ジャパリパークの猛獣大通りでフルーツバスケット状態。

 そんなこんなで司会役の僕は意見も言えなく、言おうとしていた意見らしい意見も曖昧になって霧散した。ただカピバラの言うCTスキャンの画像は僕も欲しいなぁ、とは思った。


 その後コビトカバの「あのね、人生終わるにせよ、続くにせよ、『人生でやりたいこと』を書き出してみてはどうかしら? どちらに転んでもきっと良い経験になると思うの」という意見には、キレ続けているツキノワグマ以外の皆が同意した。こうして、To Doメモではなく、"Want" To Do メモを作ることとなった。さて、まずは、遅めのお昼ごはんに何を食べるか、だ。

そうだな、「喜多方ラーメン」が食べたいな。


 喜多方ラーメンを食べるため、池袋のよく行っていたお店に向かうが、しばらく行かないうちに喜多方ラーメンのお店はなくなっていた。このご時世だ。飲食店には厳しいのは解っていたがなんだか寂しい気分になる。人も店もちょっと目を離した隙になくなってしまうのだ。

 仕方なく、最寄りのリンガーハットで新作の「彩り野菜ちゃんぽん」を食べた。美味しかったが、これは予定にあった喜多方ラーメンではない。

"Want" To Do を埋めていくのは存外に難しいのかもしれない。



     苦楽の果てに、

     嘘、捏造、ハッキング。

     孔雀の羽根に、

     プロ・ジェクション・マッピング。


 波多野裕文:「ハリウッドサイン」



 コンビニでノートを買い、サイゼリヤでワインを飲みながら "Want" To Doメモを書いてみる。書いていくうちにやりたいことがこんなにもあるのかと思うほど出てくる。今まで何をしていたのかと思うくらい出るが、今までの生き方をしていたからこそ見えてくるものもあるのだ。

 いろいろ書いていくうちに、僕は死を恐れているのではなく、生に執着しているのだと気がづく。死を全く恐れていないといえば嘘になるが、それを凌駕するほどの生に対する執着があることは認めざるを得ない。

 なるほど。なら生きているうちに今日できることから始めていかないと間に合わない。なんせ僕は、はじめの一歩でもある喜多方ラーメンを食べることすら叶わなかったのだから。

深く静かに実行するのだ。

The sooner, the better.



     色彩を結集して帝国は渦を巻く。

     黒く、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く

     秩序を設計する帝国はネジを巻く。

     Clock, Clock, Clock, Clock, Clock, Clock, Clock


 波多野裕文:「楽園」



 そして10月07日がやってきた。

「CT撮ったら頭の中からっぽだったりしてなwwwwうぇ」とワオキツネザルが腹を抱えて言った。


「生と死は表裏一体。生き続けるということは死に続けるということ。些細な結果が今を変えることはないのだよ」とインドゾウがゆっくり言った。


「頑張ってね!」とコビトカバが心配そうに言った。


「CTスキャンの画像ってもらえるのかなぁ……」とカピバラが心配そうに言った。


「ふざけるな! 俺は命令することも、されることも大嫌いだ! だから俺に命令するな!」とツキノワグマが木を揺さぶりながら言った。


「痛みがないのだし、Antibioticsが効いているのだから、Optimisticと言わずともNervousになることはない。よくてscenario①、悪くてもscenario④と私はみている」とアフリカオオコノハズクがよくわからない本を読みながら言った。


「そうそう、それで思いだした。ほら、金田一耕助の『人面瘡』?  あれと同じオチじゃないかな?」とチベットスナギツネが横溝正史の本を読みながら言った。



     バイバイ、月並みな憂鬱。

     バイバイ、資本主義の憂鬱。


 波多野裕文:「青空を許す」



 MRIを撮るのは3回ぐらい経験している。どれも脳でどれも異常はなかった。でもCTスキャンは始めての経験で少し緊張する。腕からゆっくりと造影剤を注射されると、その流れに応じて体中が熱くなってくる。「あ、今右手あたりを流れている」という感じがわかる。人の体って面白い。そういえば某ミステリーで生きた少年の血管に水銀を流し入れて死体を保存するという話があったが、きっとこんな感じだと思う。僕は初めてのCTスキャンを楽しんでいる節もあった。そのまま、頭を輪切りにされるのだ。

 数分も待つことなくCTスキャンは終わった。MRIに比べてめちゃくちゃ終わるのが早い。結果が出たら医師の診断だ。30分ほどの隙間時間に水分を補給して耳鼻咽喉外科に向かう。


「先生どうです?」

「うーん、悪性腫瘍じゃないことは解ったけれど、なんだろうね、膿かな」

「頬を噛んでしまって化膿したとかは?」

「画像見るとわかるけれど、外からなんだよね」

「腫瘍マーカーはどうでした?」

「異常なしなんだよ、って君いろいろ知っているね」

 結局の所、癌ではない、ということだけしか解らなかったが、それがわかれば必要条件だけでなく十分条件をも満たしているので問題はなかった。

「サンプルも兼ねて膿を抜いちゃいましょう。麻酔を打つのもどうせ刺すのだから同じ刺すなら麻酔無しの1回でやっちゃいますね」と言って麻酔なしで膿を注射器で吸い取られた。採取された血液はピンク色で、なるほど、確かに膿が混ざっているのがよく見て取れた。とりあえず安堵をもらさずにはいられなかった。あとは採取サンプルの分析と報告だ。その日の予約をとって本日は終わった。



     やあ、僕は地上のパイロット。

     今朝この交差点に不時着したんだ。

     燃料が切れてさ。

     はじめまして。


 波多野裕文:「2006年東京、上空 」



「膿の検査したら未知のウィルスが出てきたりしてなwwwwうぇ」とワオキツネザルがけらけら笑いながら言った。


「問題なくてよかったよ」とインドゾウがゆっくり言った。


「良かったねぇ! 心配しちゃった」とコビトカバが潤んだ目を拭いながら言った。


「やったー! 先生に言ったらCTスキャンの画像もらえたよ!」とカピバラが上機嫌に耳をぴゅるぴゅる動かしながら言った。


「結局何もなしかよ! ふざけるな! 何だったんだよこの騒ぎは! 騒いていた奴出てこい!」とツキノワグマが木の枝をかじりながら言った。


「必然に近い蓋然が偶然かさなっただけで当然の結果だよ」とアフリカオオコノハズクが12音階法のようなよくわからない音楽を聴きながら言った。


「そうそう、それで思いだした。お誕生日おめでとう」とチベットスナギツネが京極夏彦の本を読みながら言った。


じゃあ、一旦解散しよう。ありがとう七賢者たち。

あるものはけらけら笑いながら、そしてあるものは本を読みながら散り散りに解散していった。


     頭の中の空洞には誰もいないのさ。

     あなたは誰にも愛されないから、

     自分で愛してあげなさい。

     ばーか、ばーか。


 波多野裕文:「水のよう」



さて、何をしようか。

少し遠回りになるが、食べそこねた喜多方ラーメンを食べに行こう。

僕の "Want" To Do メモはこれからも溜まっていくばかりだ。



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