『大好きだね!』

 それを合図に、鼓膜を破らんばかりの轟音とともに、暗雲から雷が放たれた。

 まるで龍のような禍々しい形の雷は、竜巻を貫き、空間に亀裂を走らせながら、恋愛成就の神や先輩らがいるラブホテルの建物へと落ちていく。

 建物に命中する…寸前で軌道がずれて、建物の避雷針に激突した。

 バツンッ! と、今までに聞いたことが無いような音とともに、避雷針が火花を吹き上げる。

 その瞬間、私たちを押し上げていた竜巻、暗雲から放たれる光、サダハルによって引き起こされるすべての災厄がぴたりとやんだ。

 一瞬で辺りは闇に包まれる。

 私は再び重力に引っ張られ、落下していく。しかし、すぐにサダハルが風を発生させ、衝撃を相殺した。さらに横向きの風を吹かせ、落下地点をあるビルの屋上にずらす。

 風の加護を受けながら落ちていった屋上には、なぜかベッドが置いてあった。

 そのふかふかのマットレスの上に落下。身体が沈み込み、そして、跳ねあがる。

「きゃあっ!」

 勢いを弱めることができず、そのまま、水切り石のようにアスファルトの上を数回跳ね、転がり、そして、貯水タンクに背中をぶつけて停まった。

「ふっぐ…」

 息が詰まる。転がった時に腕を擦ったようで、裂けた袖にみるみる血が滲むのが分かった。

 まあでも、助かった…。

 黒いアスファルトの上に広がっていく血を眺めながら、安堵した。

 その時、頭上からサダハルの声が聴こえた。

『栞奈っ!』

 彼がこちらに迫って来る気配がした。私は安堵の息を吐いて顔をあげた。

「サダハル様…」

『伏せろ!』

「へ?」

 反射的に身体を丸める。

 次の瞬間、竜巻から解放された物たちが、一斉に辺りに降り注いだ。

 ドンッ! ガシャンッ! ドン! ゴンゴンッ! ドーンッ! と、轟音がすぐ近くで響き渡る。だけど、なぜか私には当たらなかった。

 そうしてやっと音が収まった時、私は恐る恐る顔を上げた。

 いつの間にか暗雲が晴れて、月光が差し込んでいる。

 月光に照らされて見えてきたのは、地獄絵図。大破した車や、看板、標識に、ゴミ箱、よくわからない金具や、えっちな漫画本など、竜巻によって巻き上げられたありとあらゆるものが散乱していた。

「う、うわあ…」

 血を滴らせながら立ち上がった私は、柵に歩み寄ると、恐る恐る周りの様子を確認した。

 その先も地獄だった。

 竜巻の範囲内にあった建物は全てのガラスが割られ、その破片が道路に降り積もり、わずかな光を反射して煌めいている。道端の大樹もなぎ倒されていた。

 これを私の身内がやったことを思うと、背筋に冷たいものがはしった。

 助かったことに安堵する余裕は無く、慌ててサダハルの方を振り返る。

「ちょ、ちょっと、サダハル様、流石にやりすぎじゃないですか? いややりすぎですよ!」

『うるせえ。でないとてめえが助からなかっただろうが。あと、人間は巻き込まないようにした。人死には出てねえよ』

「いや、そうなんですけど…。そういう問題じゃないって言うか…。損害賠償、どうしよう」

『なーに現実的なこと言ってやがる。そんなの行政がなんとかしてくれる』

「悪魔みたいなこと言わないでくださいよ!」

『似たようなもんだな』

 サダハルはははっと笑うと、得意げに胸を張った。その時だった。

『正気なの?』

 背後で、恋愛成就の神の声がした。

 私たちが振り返ったのを見て、彼女は声を震わせた。

『一人の娘を救うために、なにやってんの?』

 それは私も同意だった。

 サダハルはにやりと笑う。

『オレは厄病神だぜ? 倫理観なんてあってないようなもんさ。オレはオレが好きな奴しか助けない。それに、こうもしないとてめえ、オレをずっと舐めてただろ?』

『お前の力はよくわかった…』

 これ以上サダハルに抵抗されても敵わないのか、すんなりと頷く恋愛成就の神。

『最後の忠告として、言うわ…』

『おう、言えや』

『その娘は、これから先、まったく運に恵まれないわ』

『オレも神なんだ。そのくらいわかる』

『何も良いことが無いわよ。救いのない日々よ。それでも、自分の力で、歩いていくというの?』

『だよな? 栞奈』

「あ、うん、いや、はい」

 サダハルに促されて、頷く。

「最初から変わらず、私はそうやって、生きていたいです」

『本当に良いの? 後悔、するわよ』

『馬鹿言えよ』

 サダハルがため息交じりに言う。

『そんなの、生きてみないと、わからないだろ?』

『お前が一番、わかっているじゃない。運命を…』

『さあな…』肩を竦め、私の肩を叩いた。『ほら、戻るぞ。とりあえず手当だ。祓神に頼んで痛みを和らげてもらおう』

「あ、はい」

 二人並んで、階段の方へと歩き出す。

 恋愛成就の神が金切り声をあげた。

『後悔するわよ! 絶対に! 娘が年老いた時に! 走馬灯を見て、後悔するわ!』

『だったら、賭けてみるか?』

 階段に足をかけて言う。

『栞奈が死ぬときに、こいつ本人に聞いてみればいい。どんな人生だったか? って』

「え……」

『オレを罵るのは、その時にしてくれや』

 にかっと笑ったサダハルは、階段を降り始める。私も慌てて、その後に続いた。

 先ほどの災厄から打って変わって、平穏に静まり返った夜。私の歩く音だけが響き渡る。

 私はサダハルに聞いた。

「あ、あの…、私が死ぬときに聞くって…、それって、つまり…」

『嫌か?』サダハルが首だけで振り返った。『神の加護を受けるのは…、いや、オレが傍にいるのは、嫌か…?』

「え…、いや、その…」

 真剣な眼差し、真剣な声に、思わず頬が熱くなった。

「さ、サダハル様、それはつまり、ぷぷ、ぷ…」

『調子乗んなよ、このクソガキ』

 勝手に盛り上がろうとする私を見て、サダハルは冷たい口調で言った。

『てめえの胸、見てみろよ』

「え?」

 そう言われて、自分の胸元に触れる。いつの間にか、災厄のお守りが戻ってきていた。

「え…これ、さっき切れたはずじゃ」

『オレはまだ、てめえの願いを叶えてないからな』

「え、願いって…」

 すっかり忘れていたことを思い出し、頭からさーっと血の気が引いた。

「せ、誠也先輩と付き合うことでした」

『それをお前が拒んだから、願いは達成できず。けど、契約の効力はずっと続くわけだから、お守りが主のところに戻ってきたわけだ』

「はあ…」

 なんとなくお守りを引っ張る。いつものように頭上に金盥が現れて、私の頭頂部に激突した。

「ぐへっ!」

『息をするように災厄を発動させるな』

「ああ…、この痛み、やっぱり落ち着く」

『慣れてんじゃねえか…』

 だんだんといつもの雰囲気になってきたところで、サダハルは話を戻した。

『まあ、つまり、オレと栞奈の縁の糸はまだ切れていないってわけだ』

「ってことは、ずっとサダハル様が私の傍にいるってことですか⁉」

『たかが八〇年だ。短いだろ』

「私には一生なんですよ!」

 答えなんてわかっているだろうに、サダハルはふふっと笑って聞いた。

『嫌か?』

「嫌じゃないです」

 私も、笑って答える。

 遠くから、サイレンの音が近づいてくる。道路には人が出てきて、目の前の惨状に息を呑む。

 空に輝くのは、北極星。

 冷たい風が、私たちの心を撫でていく。

 怪我をしている私を放って、ずんずんと階段を駆け下りていく神さまを追って、私は階段を駆け下りた。

「楽しい人生になりそうですね」

『馬鹿言え。ガキの子守なんざ面倒でしょうがねえ』

「私より見た目ガキなのに何言ってんですか?」

『若作りってことだな。いやあ、長寿は辛いねえ』

「塩撒きますよ?」

『だからオレは神さまだ! 幽霊じゃねえんだよ!』

 階段を降り切り、道路に出ると、町は大パニックになっていた。

 車がひっくり返り、花壇の土は全て巻き上げられ、標識はところどころ曲がっている。停電のために信号機は消えていて、軽い渋滞が起こっていた。深夜で本当によかったと思った。

 サダハルと私は顔を見合わせる。

「………」

『………』

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