⑤
『大好きだね!』
それを合図に、鼓膜を破らんばかりの轟音とともに、暗雲から雷が放たれた。
まるで龍のような禍々しい形の雷は、竜巻を貫き、空間に亀裂を走らせながら、恋愛成就の神や先輩らがいるラブホテルの建物へと落ちていく。
建物に命中する…寸前で軌道がずれて、建物の避雷針に激突した。
バツンッ! と、今までに聞いたことが無いような音とともに、避雷針が火花を吹き上げる。
その瞬間、私たちを押し上げていた竜巻、暗雲から放たれる光、サダハルによって引き起こされるすべての災厄がぴたりとやんだ。
一瞬で辺りは闇に包まれる。
私は再び重力に引っ張られ、落下していく。しかし、すぐにサダハルが風を発生させ、衝撃を相殺した。さらに横向きの風を吹かせ、落下地点をあるビルの屋上にずらす。
風の加護を受けながら落ちていった屋上には、なぜかベッドが置いてあった。
そのふかふかのマットレスの上に落下。身体が沈み込み、そして、跳ねあがる。
「きゃあっ!」
勢いを弱めることができず、そのまま、水切り石のようにアスファルトの上を数回跳ね、転がり、そして、貯水タンクに背中をぶつけて停まった。
「ふっぐ…」
息が詰まる。転がった時に腕を擦ったようで、裂けた袖にみるみる血が滲むのが分かった。
まあでも、助かった…。
黒いアスファルトの上に広がっていく血を眺めながら、安堵した。
その時、頭上からサダハルの声が聴こえた。
『栞奈っ!』
彼がこちらに迫って来る気配がした。私は安堵の息を吐いて顔をあげた。
「サダハル様…」
『伏せろ!』
「へ?」
反射的に身体を丸める。
次の瞬間、竜巻から解放された物たちが、一斉に辺りに降り注いだ。
ドンッ! ガシャンッ! ドン! ゴンゴンッ! ドーンッ! と、轟音がすぐ近くで響き渡る。だけど、なぜか私には当たらなかった。
そうしてやっと音が収まった時、私は恐る恐る顔を上げた。
いつの間にか暗雲が晴れて、月光が差し込んでいる。
月光に照らされて見えてきたのは、地獄絵図。大破した車や、看板、標識に、ゴミ箱、よくわからない金具や、えっちな漫画本など、竜巻によって巻き上げられたありとあらゆるものが散乱していた。
「う、うわあ…」
血を滴らせながら立ち上がった私は、柵に歩み寄ると、恐る恐る周りの様子を確認した。
その先も地獄だった。
竜巻の範囲内にあった建物は全てのガラスが割られ、その破片が道路に降り積もり、わずかな光を反射して煌めいている。道端の大樹もなぎ倒されていた。
これを私の身内がやったことを思うと、背筋に冷たいものがはしった。
助かったことに安堵する余裕は無く、慌ててサダハルの方を振り返る。
「ちょ、ちょっと、サダハル様、流石にやりすぎじゃないですか? いややりすぎですよ!」
『うるせえ。でないとてめえが助からなかっただろうが。あと、人間は巻き込まないようにした。人死には出てねえよ』
「いや、そうなんですけど…。そういう問題じゃないって言うか…。損害賠償、どうしよう」
『なーに現実的なこと言ってやがる。そんなの行政がなんとかしてくれる』
「悪魔みたいなこと言わないでくださいよ!」
『似たようなもんだな』
サダハルはははっと笑うと、得意げに胸を張った。その時だった。
『正気なの?』
背後で、恋愛成就の神の声がした。
私たちが振り返ったのを見て、彼女は声を震わせた。
『一人の娘を救うために、なにやってんの?』
それは私も同意だった。
サダハルはにやりと笑う。
『オレは厄病神だぜ? 倫理観なんてあってないようなもんさ。オレはオレが好きな奴しか助けない。それに、こうもしないとてめえ、オレをずっと舐めてただろ?』
『お前の力はよくわかった…』
これ以上サダハルに抵抗されても敵わないのか、すんなりと頷く恋愛成就の神。
『最後の忠告として、言うわ…』
『おう、言えや』
『その娘は、これから先、まったく運に恵まれないわ』
『オレも神なんだ。そのくらいわかる』
『何も良いことが無いわよ。救いのない日々よ。それでも、自分の力で、歩いていくというの?』
『だよな? 栞奈』
「あ、うん、いや、はい」
サダハルに促されて、頷く。
「最初から変わらず、私はそうやって、生きていたいです」
『本当に良いの? 後悔、するわよ』
『馬鹿言えよ』
サダハルがため息交じりに言う。
『そんなの、生きてみないと、わからないだろ?』
『お前が一番、わかっているじゃない。運命を…』
『さあな…』肩を竦め、私の肩を叩いた。『ほら、戻るぞ。とりあえず手当だ。祓神に頼んで痛みを和らげてもらおう』
「あ、はい」
二人並んで、階段の方へと歩き出す。
恋愛成就の神が金切り声をあげた。
『後悔するわよ! 絶対に! 娘が年老いた時に! 走馬灯を見て、後悔するわ!』
『だったら、賭けてみるか?』
階段に足をかけて言う。
『栞奈が死ぬときに、こいつ本人に聞いてみればいい。どんな人生だったか? って』
「え……」
『オレを罵るのは、その時にしてくれや』
にかっと笑ったサダハルは、階段を降り始める。私も慌てて、その後に続いた。
先ほどの災厄から打って変わって、平穏に静まり返った夜。私の歩く音だけが響き渡る。
私はサダハルに聞いた。
「あ、あの…、私が死ぬときに聞くって…、それって、つまり…」
『嫌か?』サダハルが首だけで振り返った。『神の加護を受けるのは…、いや、オレが傍にいるのは、嫌か…?』
「え…、いや、その…」
真剣な眼差し、真剣な声に、思わず頬が熱くなった。
「さ、サダハル様、それはつまり、ぷぷ、ぷ…」
『調子乗んなよ、このクソガキ』
勝手に盛り上がろうとする私を見て、サダハルは冷たい口調で言った。
『てめえの胸、見てみろよ』
「え?」
そう言われて、自分の胸元に触れる。いつの間にか、災厄のお守りが戻ってきていた。
「え…これ、さっき切れたはずじゃ」
『オレはまだ、てめえの願いを叶えてないからな』
「え、願いって…」
すっかり忘れていたことを思い出し、頭からさーっと血の気が引いた。
「せ、誠也先輩と付き合うことでした」
『それをお前が拒んだから、願いは達成できず。けど、契約の効力はずっと続くわけだから、お守りが主のところに戻ってきたわけだ』
「はあ…」
なんとなくお守りを引っ張る。いつものように頭上に金盥が現れて、私の頭頂部に激突した。
「ぐへっ!」
『息をするように災厄を発動させるな』
「ああ…、この痛み、やっぱり落ち着く」
『慣れてんじゃねえか…』
だんだんといつもの雰囲気になってきたところで、サダハルは話を戻した。
『まあ、つまり、オレと栞奈の縁の糸はまだ切れていないってわけだ』
「ってことは、ずっとサダハル様が私の傍にいるってことですか⁉」
『たかが八〇年だ。短いだろ』
「私には一生なんですよ!」
答えなんてわかっているだろうに、サダハルはふふっと笑って聞いた。
『嫌か?』
「嫌じゃないです」
私も、笑って答える。
遠くから、サイレンの音が近づいてくる。道路には人が出てきて、目の前の惨状に息を呑む。
空に輝くのは、北極星。
冷たい風が、私たちの心を撫でていく。
怪我をしている私を放って、ずんずんと階段を駆け下りていく神さまを追って、私は階段を駆け下りた。
「楽しい人生になりそうですね」
『馬鹿言え。ガキの子守なんざ面倒でしょうがねえ』
「私より見た目ガキなのに何言ってんですか?」
『若作りってことだな。いやあ、長寿は辛いねえ』
「塩撒きますよ?」
『だからオレは神さまだ! 幽霊じゃねえんだよ!』
階段を降り切り、道路に出ると、町は大パニックになっていた。
車がひっくり返り、花壇の土は全て巻き上げられ、標識はところどころ曲がっている。停電のために信号機は消えていて、軽い渋滞が起こっていた。深夜で本当によかったと思った。
サダハルと私は顔を見合わせる。
「………」
『………』
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