『自分の力で、幸せを掴もうとしていた奴への、侮辱だ』

 目の前の厄病神に言い切られて、恋愛成就の神は小さなため息をつくと、肩を竦めた。

『私とお前は、わかりあえないようね』

『わかりあってたまるか』

 サダハルが首を振りつつ吐き捨てる。

『人間の心を忘れた神と、一緒にすんな…』

『わらっちゃう』

 本当に笑った恋愛成就の神は、その華奢な腕をそっと上げた。

 それを合図に、私を拘束していた者たちが動き始める。

 カラカラ…と乾いた音がした方を見ると、一人が窓を開けていた。

「え…、ちょっと」

 嫌な予感を覚えた私は、ここでようやく、身もだえを始めた。

「ねえ、放して!」

 だが、周りの者たちは虚ろな目をするばかりで、まったく聞き入れてくれる様子は無かった。

 そのまま、腕、脚、首の辺りを持たれたまま、窓の方へと連れて行かれる。

 サダハルが動こうとするよりも先に、恋愛成就の神が手で制した。

『動かないでね。せいくんの顔に泥を塗った娘なんだから、ここで殺すわ』

 殺す…という言葉に、誠也先輩の頬がぴくっと動いた。

「お、おい、春香。それは流石に…」

『せいくん、見ていてね。今から、この娘を殺すから』

「だから、何も殺さなくても…」

 先輩が言いかけた瞬間、恋愛成就の神は彼の額に手を翳した。

 その瞬間、困惑していた先輩の目がとろん…とし、糸が切れた人形のようにその場に跪いた。

『少しの間だけ眠っていてね、せいくん。今、君の悪縁を断ち切るから…』

 その光景を見たサダハルは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。

『結局、ガキの方も、お前に心を…』

『悪いことじゃないわ』

 手を挙げる恋愛成就の神。

『だって、恋は盲目って言うじゃない? 人間の恋心なんてそんなもの。でもみんな幸せ。過程なんかどうでもいいわ』

 それを合図に、操られた者たちが、また動き始めた。

 まるで胴上げするように私を持ち上げると、半開きになった窓から落とそうとする。

「ちょっと…もう!」

 暴れたが、全員男のために、力じゃ敵わない。そのまま、外に出される。

 咄嗟に窓枠を掴んで身体を支えた。

 安堵したのは束の間、下を見ると、微かな光の粒が闇の中に浮いていて、それは吹きつけた冷たい風と相まって、私の身体を委縮させた。

「ひ、ひい…」

 窓枠を掴んだ手が震える。

 すかさず風花さまが飛んできて、私の傍に寄った。

『大丈夫ですか? 栞奈さま』

「大丈夫じゃないですよ! 早く助けて!」

『神に実体はありませんからね。励ますことはできますが、腕を掴むことはできません』

 心底残念そうに言った風花さまは拳を握った。

『サダハル殿がきっとなんとかしてくれますから! あと少しの辛抱ですよ』

「はいはい! ありがとうございます!」

 投げやりに叫んだ私は、腹筋に力を込めて何とか踏み留まる。

 虚ろな目をした者たちが、私を落とそうと、脚を押したり、胸を押したりしてくる。ついには窓枠を掴む手にその手が伸びた。

「この! 来ないでよ!」

 パンツが見えるのもお構いなしで、一人の顔面を蹴る。一瞬はひるんだものの、すぐに体勢を立て直し、鼻血を流しながら迫ってきた。

 私が落ちるか落ちないかの瀬戸際で藻掻いているというのに、サダハルと恋愛成就の神はにらみ合いを続けていた。

『それに、厄病神、あなたも神なんだから見えているでしょう?』

 恋愛成就の神がちらりと私の方を見る。

『この娘にはとことんツキが無いわ』

 サダハルは何も言わない。

『見ただけでわかる。親に愛されなかったんでしょうね。お金にも恵まれなかった。あなたはこの子を頑張り屋さんと言うけれど、頑張り屋さんなだけで、それが報われることは無いわ。これからもずっと、この子の人生は骨折り損で終わる…』

 人の運が見える神さまが言うことなのだ。それはきっと本当のことだろう。

 だけど、私にそれを悲観している暇なんて無かった。もう腹筋と腕が限界を迎えていて、痙攣を始めている。隣にいる、風花さまの「あと少し我慢!」「明日は良い天気!」と言う励ましが無ければ、既にあの黒いアスファルトへと落下していたことだろう。

 操られた人たちが、押し寄せてくる。胸、お腹、脚、腕と、いろいろなところを掴んで、私を落とそうとする。

「さ、サダハル様…、もう、限界です…」

 私が泣きながら訴えても、サダハルは恋愛成就の神との会話を続けていた。

『価値の無い人生だからって、ズルをするのか?』

 サダハルは声を震わせながら言うと、見下げるように恋愛成就の神を睨む。

『馬鹿じゃねえの?』

 サダハルが何か言った気がしたが、その瞬間、限界を迎えた私は、滑るようにして窓枠から手を離した。途端に、重力に頭を掴まれ、後方に引っ張り倒される。

 風花さまが口を大きく開けて、私に手を伸ばした。私も、痺れた手を伸ばす。

 だが、霊体である風花さまに触れられるはずもなく、私の指は空を切った。

 視界が一回転し、内臓が浮かぶような感覚。息を呑んだ先に見えたのは、真っ黒なアスファルトだった。

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