③
『自分の力で、幸せを掴もうとしていた奴への、侮辱だ』
目の前の厄病神に言い切られて、恋愛成就の神は小さなため息をつくと、肩を竦めた。
『私とお前は、わかりあえないようね』
『わかりあってたまるか』
サダハルが首を振りつつ吐き捨てる。
『人間の心を忘れた神と、一緒にすんな…』
『わらっちゃう』
本当に笑った恋愛成就の神は、その華奢な腕をそっと上げた。
それを合図に、私を拘束していた者たちが動き始める。
カラカラ…と乾いた音がした方を見ると、一人が窓を開けていた。
「え…、ちょっと」
嫌な予感を覚えた私は、ここでようやく、身もだえを始めた。
「ねえ、放して!」
だが、周りの者たちは虚ろな目をするばかりで、まったく聞き入れてくれる様子は無かった。
そのまま、腕、脚、首の辺りを持たれたまま、窓の方へと連れて行かれる。
サダハルが動こうとするよりも先に、恋愛成就の神が手で制した。
『動かないでね。せいくんの顔に泥を塗った娘なんだから、ここで殺すわ』
殺す…という言葉に、誠也先輩の頬がぴくっと動いた。
「お、おい、春香。それは流石に…」
『せいくん、見ていてね。今から、この娘を殺すから』
「だから、何も殺さなくても…」
先輩が言いかけた瞬間、恋愛成就の神は彼の額に手を翳した。
その瞬間、困惑していた先輩の目がとろん…とし、糸が切れた人形のようにその場に跪いた。
『少しの間だけ眠っていてね、せいくん。今、君の悪縁を断ち切るから…』
その光景を見たサダハルは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
『結局、ガキの方も、お前に心を…』
『悪いことじゃないわ』
手を挙げる恋愛成就の神。
『だって、恋は盲目って言うじゃない? 人間の恋心なんてそんなもの。でもみんな幸せ。過程なんかどうでもいいわ』
それを合図に、操られた者たちが、また動き始めた。
まるで胴上げするように私を持ち上げると、半開きになった窓から落とそうとする。
「ちょっと…もう!」
暴れたが、全員男のために、力じゃ敵わない。そのまま、外に出される。
咄嗟に窓枠を掴んで身体を支えた。
安堵したのは束の間、下を見ると、微かな光の粒が闇の中に浮いていて、それは吹きつけた冷たい風と相まって、私の身体を委縮させた。
「ひ、ひい…」
窓枠を掴んだ手が震える。
すかさず風花さまが飛んできて、私の傍に寄った。
『大丈夫ですか? 栞奈さま』
「大丈夫じゃないですよ! 早く助けて!」
『神に実体はありませんからね。励ますことはできますが、腕を掴むことはできません』
心底残念そうに言った風花さまは拳を握った。
『サダハル殿がきっとなんとかしてくれますから! あと少しの辛抱ですよ』
「はいはい! ありがとうございます!」
投げやりに叫んだ私は、腹筋に力を込めて何とか踏み留まる。
虚ろな目をした者たちが、私を落とそうと、脚を押したり、胸を押したりしてくる。ついには窓枠を掴む手にその手が伸びた。
「この! 来ないでよ!」
パンツが見えるのもお構いなしで、一人の顔面を蹴る。一瞬はひるんだものの、すぐに体勢を立て直し、鼻血を流しながら迫ってきた。
私が落ちるか落ちないかの瀬戸際で藻掻いているというのに、サダハルと恋愛成就の神はにらみ合いを続けていた。
『それに、厄病神、あなたも神なんだから見えているでしょう?』
恋愛成就の神がちらりと私の方を見る。
『この娘にはとことんツキが無いわ』
サダハルは何も言わない。
『見ただけでわかる。親に愛されなかったんでしょうね。お金にも恵まれなかった。あなたはこの子を頑張り屋さんと言うけれど、頑張り屋さんなだけで、それが報われることは無いわ。これからもずっと、この子の人生は骨折り損で終わる…』
人の運が見える神さまが言うことなのだ。それはきっと本当のことだろう。
だけど、私にそれを悲観している暇なんて無かった。もう腹筋と腕が限界を迎えていて、痙攣を始めている。隣にいる、風花さまの「あと少し我慢!」「明日は良い天気!」と言う励ましが無ければ、既にあの黒いアスファルトへと落下していたことだろう。
操られた人たちが、押し寄せてくる。胸、お腹、脚、腕と、いろいろなところを掴んで、私を落とそうとする。
「さ、サダハル様…、もう、限界です…」
私が泣きながら訴えても、サダハルは恋愛成就の神との会話を続けていた。
『価値の無い人生だからって、ズルをするのか?』
サダハルは声を震わせながら言うと、見下げるように恋愛成就の神を睨む。
『馬鹿じゃねえの?』
サダハルが何か言った気がしたが、その瞬間、限界を迎えた私は、滑るようにして窓枠から手を離した。途端に、重力に頭を掴まれ、後方に引っ張り倒される。
風花さまが口を大きく開けて、私に手を伸ばした。私も、痺れた手を伸ばす。
だが、霊体である風花さまに触れられるはずもなく、私の指は空を切った。
視界が一回転し、内臓が浮かぶような感覚。息を呑んだ先に見えたのは、真っ黒なアスファルトだった。
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