⑥
また動かなくなった私を見て、先輩はただただ困惑した。
「おい、春香、今のはなんだ?」
『壺だね。壺が降ってきた。十回に一回は壺なのかな?』
「なんだよ、そのスマホ暗証番号間違えのペナルティみたいなやつは」
先輩は呆れたように言ったが、すぐにどうでもよくなって肩を竦めた。
「まあ、いいや。これでもう大丈夫だろ? 春香、やってくれ」
『うん。わかった…』
神さまが私に歩み寄る。
「めいっぱいやってくれ。もう抵抗できないくらいに、強く」
恋愛成就の神様が、私の胸に再び、「恋心」を植え付けようとしてくる。
私は小さく呻くと、落ちていた壺の破片を掴み、左手の甲に突き刺した。
鋭い痛みが、指の血管を走り、脊椎から脳天に駆け巡った。
噴き出した血とともに、再び植え付けられた「恋心」を吹き飛ばす。
『嘘でしょ?』女の子が青い顔をして下がった。『なんでそこまでするの?』
「あんたたちの、思い通りに、なって、たまるかって…」
破片を強握り締めていたために、右の指からも血が滲んでいた。
「こんな男に、抱かれて、たまるかって…」
そう言ってもなお、恋愛成就の神は、信じられない…とでも言うような顔をしていた。
『恋心に身をゆだねればいいのに…。全部、気持ちよくなるのに…?』
「私は、私が好きになった人しか、好きにならないし…、私がキスをしたいと思った人としか、キスをしない、もん」
血でぬめる手をつく。今度こそ立ち上がった私は、壁に支えられつつ、後ずさった。
「私は、私が信じた人にしか、裸を見せないし、ご飯だって、作ってあげない。相談事もしないし…、一緒に眠ってもあげない…」
震える手を伸ばし、部屋のドアノブを掴んだ。
「当然、私は、好きな人としか、セックスを、しない…」
その瞬間、今までに見たことが無いくらい顔を歪ませた先輩が、突風のように走り込んできた。血走った目で私を見据えた瞬間、私のお腹を蹴りつける。
下腹部にあった熱が爆発したかのような激痛。
悲鳴を喉の奥で飲み込んだ私は、先輩を睨み返した。
先輩はへらっと笑い、言った。
「それって! オレのことか?」
だから私も、こう返してやった。
「死んでも御免だね!」
「よくわかった!」
先輩が拳を振り上げる。その時だった。
先輩の後ろ…、黒い夜空が見えていた窓が、青白く輝いた。
その刺すような光線に、思わず目を背ける。
と同時に、ゴオオンッ! と、獣が唸るような轟音が響き渡り、ホテルをかすかに揺らした。
突然の異常事態に、流石の先輩も、私のお腹から足を離し、狼狽えた。
「なんだ? 落雷か…?」
電気系統に影響を与えたのか、部屋を照らしていた妖艶な照明がちかちかと点滅をする。その度に、先輩の姿が見えたり、見えなかったり。その後ろの神さまの姿が、見えたり、見えなかったり。さらに、テレビ機器からノイズのような音が洩れる。
『ねえ、せいくん』
恋愛成就の神様が、震えた声で言った。
『ちょっと、まずいかも。来ちゃった…』
「あ、なにが」
先輩が振り返る。照明が落ちる。
恋愛成就の神様が、悲鳴をあげる。照明がつく。
その先には、厄病神が立っていた。
「なっ! お前ッ! 何処から入ってきやがった!」
一瞬、彼が神さまだと気づかなかった誠也先輩が、反射的に殴りかかる。
すかさず、恋愛成就の神様が叫んだ。
『せいくんダメ! 災厄が来る!』
パンッ! と、天井の照明の一つが割れて、先輩とサダハルの間に降りかかった。
あわや破片の雨を浴びるところだった先輩は、恐怖し、その場に固まった。
ようやく場が治まったところで、サダハルは顔を上げると、にやりと笑った。
『よお、栞奈あっ!』
遅れての登場にも関わらず、英雄気取りで凄んで見せたサダハルは、見ての通りの上から目線で言った。
『それって、オレのことか?』
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