「神に頼るのがいけないことだって? だったら、栞奈、お前はどうなんだよ」

 ああ、やっぱり…。

「ずっと気づいていたよ。お前が、厄病神と手を組んで、あずさに呪いをかけたことを…」

 隣にいた神さまが、『私が気づいたもんね』と得意げに言う。

「お前のほうが、ずっと質が悪いだろ? なんたって、厄病神だからな。人に不幸を与える存在だ。対して、オレの神は恋愛成就。誰も不幸にならん」

「その件に関しては、悪かったと、思っていますよ」

 私がサダハルのことを認めると、先輩は勝ち誇ったように笑った。

「だったら」

「だけど、サダハル様は、そんな質の悪い存在じゃない。ちゃんと私のために、考えてくれた。その後ちゃんと、反省して、私を、励ましてくれた…」

 きっと、先輩への恋心が薄れているのだろう。身体が段々と動くようになるのが分かった。

 腕が動く様になった私は、柔らかいベッドに手をつき、上体を起こした。

 そして、精一杯先輩を睨むと、言った。

「私は、あなたに告白した! 神さまの力なんて借りずに、自分の足で立って、自分の声で、あなたに伝えた! 私は! 一度は道を間違えたけれど、あなたとちゃんと向き合った!」

 色あせていた世界が、色を取り戻す。

「あなたにも! ちゃんと向き合ってほしかったんですよ! こんな形じゃなくて!」

 そう言われた先輩は、目をぱちくりとさせ、気まずそうに後頭部を掻いた。

 天井を仰ぎ、「うーん」と唸った後、恐る恐る言う。

「ええと、形が、悪かったって、ことだろう?」

「………」

「神の力なんて使わずに、お前に向き合えば、よかったんだろう?」

「………」

「だったら、御免だね」

 きっぱりと言う。

「お前みたいな、地味で、めんどくさい女は、こっちから願い下げだ。ったく、素直に『抱いてください』って言えばいいのに。そんなんじゃ、一生独り身だぞ」

「ああ、そうですか」

 悲しくはない。怒りで、満ち足りていた。

「私も、あなたのような、自分の自信のない、優柔不断な女たらしはお断りです。神さまと契約しているのなら結構。人に迷惑を掛けない程度に、女の子と乳繰り合ってくださいよ」

 次の瞬間、ようやく全身が動く様になり、私は床に足を突いて立った。

 めくれていたドレスの裾を直し、足元にあった鞄を掴む。

「それじゃあ」

 そう言って、先輩の横を通り過ぎようとした時だった。

 先輩が、ぼそりと神さまの名前を呼んだ。

「おい、春香」

『なあに? せいくん』

 神さまの、甘えた声。

 誠也先輩が、低い声で言い放つ。

「底の底まで、堕とせ」

『わかった』

 私が部屋の扉のドアノブに手を掛けた時、神さまがドレスの裾をひらつかせながら飛んできて、私の頭上に立った。

『ごめんね』

 ぽつりと言う神さま。

『愛してる』

 それを言われた瞬間、私の身体が再び熱くなった。

 今までの非じゃない。まるで、溶岩の中に突き落とされたような、一瞬にして理性をかき消すような熱だった。

 私が「ひぐっ!」と変な声を洩らすと、よろめいた。足で踏みとどまろうとするも、すぐに関節が折れて、壁に背をぶつける。そのまま、ずるり…としゃがみ込んでしまった。

 声が出ない。身体も動かない。下腹部…おへその下あたりに、重々しい熱が宿る感覚。

 神さまが、誠也先輩に微笑みかける。

『やっておいたよ』

「よくやった。やっぱり、お前はすごいなあ」

『えへへへ…、もっと褒めて』

「また後でな。嫌になるくらいほめてやるよ」

 動けないでいる私を見て、先輩は「さてと…」と呟くと、おもむろに立ち上がった。

 親指をパキリ…と鳴らし、私の前にしゃがみ込む。

「どうだ? 動けないだろう?」

「…………」

 私は腕を動かすと、先輩の頬を殴った…つもりだったのだが、まったく力が入らず、蚊に留まられた程度の威力となってしまった。

 先輩は頬に触れる私の拳を掴むと、やんわりと押し下げる。

「この状態でも抵抗するか。流石だな。生意気だ」

 先輩の手が伸びて、私の左胸を鷲掴みにした。

 痛い…。だけど、声も出ない。身体を震えさせることもできない。

 先輩は私の胸を揉みながら、言った。

「まあ、そういう生意気な女を、無理やり犯すのも悪くはない」

「…………」

「そして、そういう女こそ、事が終われば、オレのことを好きになるもんさ」

 佐伯のように…と付け加える先輩。

「もう楽になれよ。どうせ初めてなんだろ? 最初は痛いが、慣れると気持ちいいぞ?」

「…………」

「大丈夫、優しくするから」

 先輩の唇が、私に近づく。

 ああ、ダメだ…。抵抗できない…。

 もうどうしようもなくなった私は、目を強く閉じた。

 なるべく、嫌なものを見ないように…。なるべく、痛みを感じないように…。

 その瞬間、瞼の裏に、サダハルの姿が浮かんだ。

 あ…。

 私はかすかに動く腕で、胸のお守りを引っ張る。その瞬間、頭上に金盥が現れた。

『せいくん! 躱して!』

「え…」

 恋愛成就の神様に言われて、先輩が飛び退く。

 落下してきた金盥が、私の頭に激突した。

 ガアアアンッ! と痛々しい音が響き渡る。

 鈍器で殴られたような激痛。だけど、今はこれでいい。

「少しだけ…、目が…、覚めた」

 痛みで、心に植え付けられた恋心をかき消した私は、壁に手をついて立ち上がる。だが、すぐに力が抜けて、その場にしゃがみ込む。依然としてお腹は熱く、視界もおぼろげだった。

 もっと、もっと強い痛みが無いと…。

 床に落ちた金盥は、ゴロゴロと転がり、先輩の足に当たって倒れた。

「おい、春香。なんじゃこれ」

『厄病神の災厄だね…。あのお守りを傷つけようとしたら、自動的に発動するみたい』

「物騒だなあ」

 先輩はなんてことなかったように頷くと、金盥を蹴り飛ばした。

 私はまた、お守りを引っ張る。

 再び頭上に現れる金盥。容赦なく私の頭に落下して、痛々しい音を立てた。

「まだ…、まだ」

 もう一度お守りを引っ張る。もう一度金盥が落下してきて、私の頭を打つ。

「お、おい、栞奈…。やめろよ」

 先輩の制止を無視して、またお守りを引っ張る。また落ちてくる金盥。

 一撃、二撃、三撃…と食らうたびに、私の身体から、先輩への恋心と、熱が零れ落ちていくような気がした。視界が、明るくなっていく。床の模様が輪郭を結ぶ。

 恋愛成就の神様が困ったように言った。

『まずいよ、せいくん。あの子、自分でわざと災厄を受けて、目を覚まそうとしているみたい』

「おい、春香、もう一回栞奈を落とせ」

 二人がそう話している間にも、私はお守りを引っ張り続けた。その度に金盥が落下してきて、私の頭に激突。少し、また少しと、頭蓋骨の裏にこびりついた邪心を叩き落としてくれる。

 あと少しだ。あと少しで、動けるようになる…。

「おいはやくしろよ」

 先輩が、神さまに向かってどう怒鳴りつけた時、私はもう一押しと言わんばかりにお守りを引っ張った。

 あまりにも強い力で引っ張ったために、お守りの紐がブツン…と切れる。その次の瞬間、後頭部に、今までのものとは比べ物にならないくらいの激痛が走った。

 ゴンッ! という鈍い音に重なって、ガシャンッ! と、何かが割れる音。

「あ…、うっ」

 揺れた視界の中を、白い破片が舞い散った。

 目が覚めるはずが、再び足に力が入らなくなり、その場に倒れ込む。せっかくはっきりとしつつあった視界も、水中にいるときのようにぼんやりと歪んだ。

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