⑤
「神に頼るのがいけないことだって? だったら、栞奈、お前はどうなんだよ」
ああ、やっぱり…。
「ずっと気づいていたよ。お前が、厄病神と手を組んで、あずさに呪いをかけたことを…」
隣にいた神さまが、『私が気づいたもんね』と得意げに言う。
「お前のほうが、ずっと質が悪いだろ? なんたって、厄病神だからな。人に不幸を与える存在だ。対して、オレの神は恋愛成就。誰も不幸にならん」
「その件に関しては、悪かったと、思っていますよ」
私がサダハルのことを認めると、先輩は勝ち誇ったように笑った。
「だったら」
「だけど、サダハル様は、そんな質の悪い存在じゃない。ちゃんと私のために、考えてくれた。その後ちゃんと、反省して、私を、励ましてくれた…」
きっと、先輩への恋心が薄れているのだろう。身体が段々と動くようになるのが分かった。
腕が動く様になった私は、柔らかいベッドに手をつき、上体を起こした。
そして、精一杯先輩を睨むと、言った。
「私は、あなたに告白した! 神さまの力なんて借りずに、自分の足で立って、自分の声で、あなたに伝えた! 私は! 一度は道を間違えたけれど、あなたとちゃんと向き合った!」
色あせていた世界が、色を取り戻す。
「あなたにも! ちゃんと向き合ってほしかったんですよ! こんな形じゃなくて!」
そう言われた先輩は、目をぱちくりとさせ、気まずそうに後頭部を掻いた。
天井を仰ぎ、「うーん」と唸った後、恐る恐る言う。
「ええと、形が、悪かったって、ことだろう?」
「………」
「神の力なんて使わずに、お前に向き合えば、よかったんだろう?」
「………」
「だったら、御免だね」
きっぱりと言う。
「お前みたいな、地味で、めんどくさい女は、こっちから願い下げだ。ったく、素直に『抱いてください』って言えばいいのに。そんなんじゃ、一生独り身だぞ」
「ああ、そうですか」
悲しくはない。怒りで、満ち足りていた。
「私も、あなたのような、自分の自信のない、優柔不断な女たらしはお断りです。神さまと契約しているのなら結構。人に迷惑を掛けない程度に、女の子と乳繰り合ってくださいよ」
次の瞬間、ようやく全身が動く様になり、私は床に足を突いて立った。
めくれていたドレスの裾を直し、足元にあった鞄を掴む。
「それじゃあ」
そう言って、先輩の横を通り過ぎようとした時だった。
先輩が、ぼそりと神さまの名前を呼んだ。
「おい、春香」
『なあに? せいくん』
神さまの、甘えた声。
誠也先輩が、低い声で言い放つ。
「底の底まで、堕とせ」
『わかった』
私が部屋の扉のドアノブに手を掛けた時、神さまがドレスの裾をひらつかせながら飛んできて、私の頭上に立った。
『ごめんね』
ぽつりと言う神さま。
『愛してる』
それを言われた瞬間、私の身体が再び熱くなった。
今までの非じゃない。まるで、溶岩の中に突き落とされたような、一瞬にして理性をかき消すような熱だった。
私が「ひぐっ!」と変な声を洩らすと、よろめいた。足で踏みとどまろうとするも、すぐに関節が折れて、壁に背をぶつける。そのまま、ずるり…としゃがみ込んでしまった。
声が出ない。身体も動かない。下腹部…おへその下あたりに、重々しい熱が宿る感覚。
神さまが、誠也先輩に微笑みかける。
『やっておいたよ』
「よくやった。やっぱり、お前はすごいなあ」
『えへへへ…、もっと褒めて』
「また後でな。嫌になるくらいほめてやるよ」
動けないでいる私を見て、先輩は「さてと…」と呟くと、おもむろに立ち上がった。
親指をパキリ…と鳴らし、私の前にしゃがみ込む。
「どうだ? 動けないだろう?」
「…………」
私は腕を動かすと、先輩の頬を殴った…つもりだったのだが、まったく力が入らず、蚊に留まられた程度の威力となってしまった。
先輩は頬に触れる私の拳を掴むと、やんわりと押し下げる。
「この状態でも抵抗するか。流石だな。生意気だ」
先輩の手が伸びて、私の左胸を鷲掴みにした。
痛い…。だけど、声も出ない。身体を震えさせることもできない。
先輩は私の胸を揉みながら、言った。
「まあ、そういう生意気な女を、無理やり犯すのも悪くはない」
「…………」
「そして、そういう女こそ、事が終われば、オレのことを好きになるもんさ」
佐伯のように…と付け加える先輩。
「もう楽になれよ。どうせ初めてなんだろ? 最初は痛いが、慣れると気持ちいいぞ?」
「…………」
「大丈夫、優しくするから」
先輩の唇が、私に近づく。
ああ、ダメだ…。抵抗できない…。
もうどうしようもなくなった私は、目を強く閉じた。
なるべく、嫌なものを見ないように…。なるべく、痛みを感じないように…。
その瞬間、瞼の裏に、サダハルの姿が浮かんだ。
あ…。
私はかすかに動く腕で、胸のお守りを引っ張る。その瞬間、頭上に金盥が現れた。
『せいくん! 躱して!』
「え…」
恋愛成就の神様に言われて、先輩が飛び退く。
落下してきた金盥が、私の頭に激突した。
ガアアアンッ! と痛々しい音が響き渡る。
鈍器で殴られたような激痛。だけど、今はこれでいい。
「少しだけ…、目が…、覚めた」
痛みで、心に植え付けられた恋心をかき消した私は、壁に手をついて立ち上がる。だが、すぐに力が抜けて、その場にしゃがみ込む。依然としてお腹は熱く、視界もおぼろげだった。
もっと、もっと強い痛みが無いと…。
床に落ちた金盥は、ゴロゴロと転がり、先輩の足に当たって倒れた。
「おい、春香。なんじゃこれ」
『厄病神の災厄だね…。あのお守りを傷つけようとしたら、自動的に発動するみたい』
「物騒だなあ」
先輩はなんてことなかったように頷くと、金盥を蹴り飛ばした。
私はまた、お守りを引っ張る。
再び頭上に現れる金盥。容赦なく私の頭に落下して、痛々しい音を立てた。
「まだ…、まだ」
もう一度お守りを引っ張る。もう一度金盥が落下してきて、私の頭を打つ。
「お、おい、栞奈…。やめろよ」
先輩の制止を無視して、またお守りを引っ張る。また落ちてくる金盥。
一撃、二撃、三撃…と食らうたびに、私の身体から、先輩への恋心と、熱が零れ落ちていくような気がした。視界が、明るくなっていく。床の模様が輪郭を結ぶ。
恋愛成就の神様が困ったように言った。
『まずいよ、せいくん。あの子、自分でわざと災厄を受けて、目を覚まそうとしているみたい』
「おい、春香、もう一回栞奈を落とせ」
二人がそう話している間にも、私はお守りを引っ張り続けた。その度に金盥が落下してきて、私の頭に激突。少し、また少しと、頭蓋骨の裏にこびりついた邪心を叩き落としてくれる。
あと少しだ。あと少しで、動けるようになる…。
「おいはやくしろよ」
先輩が、神さまに向かってどう怒鳴りつけた時、私はもう一押しと言わんばかりにお守りを引っ張った。
あまりにも強い力で引っ張ったために、お守りの紐がブツン…と切れる。その次の瞬間、後頭部に、今までのものとは比べ物にならないくらいの激痛が走った。
ゴンッ! という鈍い音に重なって、ガシャンッ! と、何かが割れる音。
「あ…、うっ」
揺れた視界の中を、白い破片が舞い散った。
目が覚めるはずが、再び足に力が入らなくなり、その場に倒れ込む。せっかくはっきりとしつつあった視界も、水中にいるときのようにぼんやりと歪んだ。
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