「よくやった、春香」

『うん。せいくんのために頑張ったよ』

「よーし、お前は偉い子だ」

『えへへ…、もっと褒めて』

 誠也先輩と…、おそらくあのゴスロリドレスの女の子の会話で、目を覚ました。

 私は柔らかいベッドの上に寝かされていて、目を開けて真っ先に飛び込んできたのは、天井に取り付けられた豪華絢爛なシャンデリアだった。

 起き上がろうにも、身体に上手く力が入らない。

 なんとか首だけを動かして見ると、やはりここは、ラブホテルの一室だった。

 柱に取り付けられた壁時計を見ると、午後十一時前。気を失って、三十分も経っていないくらいだろうか? 流石に、この時間じゃ犯せないよな?

 服は…脱がされていないな。股間にも違和感があるわけじゃない。多分、大丈夫だ。ただ、ワンピースの裾が捲れて、パンツが丸見えになっているから、一刻も早く直したいと思った。

 とにかく、部屋の様子を見渡していると、ジャグジーへの扉の辺りで女の子と話していた誠也先輩が、私に気づいた。

「おお、栞奈、起きたか。気分はどうだ?」

 声が出ない。声が出ないんです。

 目を動かして、誠也先輩にそう訴えると、彼は理解したように頷いた。

「そりゃ、春香の力で、そうしているんだからな」

 …春香?

 先輩の隣に、先程の女の子が並んだ。その子は、先程の能面のような顔とは打って変わり、無邪気な幼女のような笑みを浮かべると、彼の周りを飛び回った。

 そして、先輩に抱き着き、頬ずりをする。

 先輩は女の子を愛おしそうに撫でながら、首に下げたお守りを手に取った。

 そのお守りには、「愛」と言う刺繍が施されていた。

「厄病神と契約しているお前なら、わかるだろう?」

「…………」

 身体は動かなくとも感覚はあるようで、心臓が跳ねあがり、全身に鳥肌が立つのが分かった。

「こいつは、『香春姫神社』の神さまだ。オレは春香って呼んでる」

「……………」

「想像通り、縁結び…いや、恋愛成就の神様だな」

 そう言われた女の子…いや、恋愛成就の神さまである春香さんは、私の方を見てぺこりと頭を下げた。その目に見られると、また、頭がくらっとして、動かない皮膚の奥で、何かが燃え上がるような気がした。

「栞奈の厄病神が、相手を呪ったり、雨や雷、風を起こすことができたりするのと同様で、春香ができることは、相手に『恋心』を宿すこと。恋愛成就の神の名の通りだな」

「………………」

 何か言おうと唇を震わせる私を見て、誠也先輩は肩を竦めた。

「ちょっときつくやりすぎたな。おい春香、少しだけ緩めてくれ」

 そう言われた春香さんは、頬を赤らめて頷く。

 すると、私の口だけが動く様になった。

「…どういうこと、ですか?」

「さっき言った通りだって。まだ寝ぼけてるのか? しっかりしてくれよ~」

 先輩は悪びれる様子は無く、いつもと同じ口調で言った。

「これが、春香の力」

「それは…、わかりましたけど…」

 私の脳裏に、過去の誠也先輩の光景が過った。

 誠也先輩は正義感が強くて、みんなに優しいから、いつも人に囲まれていた。彼が歩けば、その後を誰かが付いて回り、彼が笑えば、誰かが笑う。女子の抜け駆けのラブレターは日常茶飯事で、それが原因でいじめが起こることだってよくあることだった。バレンタインの日は、先輩の靴箱、ロッカー、机はチョコで埋め尽くされ、誕生日の日は、先生が「学校に要らないものを持って来るな」と怒るくらいに、彼はプレゼントに囲まれていた。

 卒業式は、第二ボタンだけでなく、第一、第三…、ポロシャツのボタンを奪い合って女子が押し合いへし合いになり、はだけた先輩の胸を見て、皆は狂喜乱舞した。

 先輩の人気は、大学に行っても変わらない。

 先輩が構内を歩けば、女子たちは色めき立ち、先輩のおかげで、テニスサークルの入部希望者が増えた。ファッションセンスに長けているから、いつも誰かが、何処の店で買ったのか? ブランドは何か? と聞いていた。

 優しくて、かっこよくて、頭が良くて、お金持ちで、運動がよくできる先輩は、皆のあこがれの的だった。そして、私も…。

「…先輩?」

「あー、勘違いするなよ。別に、洗脳しているわけじゃないから。あくまで、恋心を植え付けているだけだよ。その後、どうするのかは本人の勝手さ。まあ、人間は性欲…いや、本能で生きている生物だからなあ…。結果的に、洗脳って形になるのか…」

「今、私の身体が、動かないのは…」

「栞奈が、オレに恋をしているからだよ」

 先輩は優しい口調で言うと、私に近づいた。ゆっくりとベッドに腰を掛けると、私の頬を撫でる。その柔らかな感触に、意識が吹き飛びそうになった。

「お前は今、オレに抱かれたいって思っているんだ。だから、逃げることができないんだよ」

「…そ、そんな、ことは…、ありません」

「顔真っ赤にしてよく言うよ。どんどん体温が上がってる。いいか? 春香の力は、人に恋心を植え付ける力…。洗脳じゃない。本人の、意思なんだよ」

 そういう先輩の背後に、恋愛成就の神が回り込み、彼の首に腕を回して抱きしめた。

『せいくん…、この子、せいくんのこと好きだよ』

「うん、そうみたいだ。ありがとうな…」

『うん、私、せいくんに喜んでもらって嬉しいなあ』

 神さまとキスを交わす誠也先輩。

 その奇妙な関係に、私は思わず聞いた。

「先輩、あなた、いつから…」

『「ずっと前さ」』

 先輩と、神さまの声が重なった。

「ずっと前。オレが、ガキの頃から…。こいつとは一緒にいる…」

 その酔ったような口調に、神さまは顔を真っ赤にして頷いた。

『私がね、みんながせいくんのことを好きになる様にしてるの』

「だ、代償は…? 神さまと契約するなら、代償が必要なんじゃ…」

 私の質問に、先輩は笑って、胸のお守りに触れると、ぽつりと言った。

「オレの人生だ」

「…先輩の、人生?」

 腹の底に宿っていた怒りが消え失せるような感覚がした。

 代わりに湧きだすのは、恐怖。

「人生を、捧げたんですか?」

「オレは彼女と一生を添い遂げる。結婚はできない。子どもも作れない。まあでも、恋愛成就の神の力をものにしているわけだから、キスとセックスは許してもらっているよ。だから、契約…と言ってもあってないようなものだな。実際、困ったことは一度も無いし」

 先輩が笑うのに合わせて、神さまも笑った。

『神さまと人間は触れ合えないでしょう? だから、女の子との睦言は許してあげているわ』

「…でも、それって…」

『大丈夫よ。せいくんにはたくさん女の子がいるけど、一番好きなのは、私だもの。犬と戯れているようなものかしらね。恋人が犬を撫でていても、嫉妬なんてしないでしょう?』

 私やほかの女の子を「犬」扱いしたことに、少しだけイラっとする。

 その怒りを燃料に、私は力が入らない変な感覚のまま、言った。

「それじゃあ、私が先輩を好きになったのは…」

「だから、それは、栞奈の意思だって」

「あの時、熱中症になった私を助けてくれたのは…」

「勘違いするなよ。オレがお前に良くしていたのは、下心じゃなくて、本当にお前のことを可愛がっていたからだ」

「じゃあ、なんで、神様と…」

「誰にでも優しくて、誰でも助けたがる親切な人間でも、損をすることや、人に疎遠されることだってあるだろう? それって、割に合わないじゃないか。それが嫌だから、恋心を添えたんだ。まあ、おまけみたいなものかな?」

「城山さんや、佐伯さんは…」

「あのなあ…」

 先輩がため息をつく。

「何度でも言うぞ? あくまで、恋心を植え付けただけなんだ。それは恋じゃない。オレと付き合いたい…と思うのも、オレとセックスしたいって思うのも、オレと一緒に居たいって思うのも、全部本人の意思。後付けによる感情だ。栞奈が思っているような、物騒なものじゃないんだよ」

「神さまに頼らないと、恋を生み出せないんですか?」

「え…?」

「神さまに頼らないといけないくらい、先輩は、魅力のない人間、だったんですか?」

 涙をぽろぽろと落としながら言う私に、先輩は少しだけ嫌そうな顔をした。

「別に、神に頼らなくたって、オレは…」

「私は、ありのままの、先輩を、好きになったつもりだった…」

 先輩を見つめたまま言う。少しでも気が逸れたら、その瞬間に意識が飛んで、彼に向けて股を広げるような気がしてならなかった。

「先輩が大好きだった…。それなのに、この心が、全部、神さまの介添えなんですか?」

「まあ、確かにそうだけど…、オレを好きだと思っていることに代わりは無いだろう?」

「私は、先輩自身に、恋心を貰いたかった…」

 歯を食いしばり、鼻水を啜り、訴える。

「初恋だったんですよ? 先輩じゃない人に貰った恋心なんて! 気持ちの悪いに決まっているじゃないですか!」

「うるさいなあっ!」

 私の言葉を、先輩が遮る。

 立ち上がった先輩は、顔を歪めて私を見下ろした。そして、にやっと笑った。

「神に頼るのがいけないことだって? だったら、栞奈、お前はどうなんだよ」

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