徒歩五分ほどの場所に、先輩との待ち合わせ場所である威武火駅はあった。

 南口から入り、階段を抜けて、北口に出る。小さなバスターミナルがあるその近くには、全長三メートル程の銅像があった。モデルとなったのは、我が威武火市が誇る有名小説家バーニーの作品に登場する、主人公の少年。その愛らしい見た目と、人々の心を打つ優しい性格から、多くの市民に愛されている。この町で待ち合わせをする際、「駅前で」と言われたなら、それは、「この銅像の前で」という暗黙の了解があった。

 実際、銅像の前には、多くの人間が誰かを待っていた。

 これからデートなのか、そわそわとする男の子。待ちぼうけを食らっているのか、しきりにヒールを踏み鳴らしている女性。ただ休んでいるだけなのか、座り込んで目を閉じている老人。

 いろいろな人生の中に身を投じるように、私は銅像の横に立った。

 スマホがあるのに、一丁前に装着した腕時計を確認する。

「…残り十分か」

 そう思っていると、遠くで私の名を呼ぶ声がした。

「おーい! 栞奈」

 顔を上げると、ジーパンにVネックシャツ、その上に黒いジャケットを羽織った先輩が、手をふりながらこちらに近づいてくるのが見えた。

 羞恥心はあったが、私も先輩に向かって手を振り返る。

「先輩!」

 歩いてくる先輩に駆け寄り、そのまま並んで歩きだす。

「悪いな。待ったか?」

「いえ、今来たところなので」

「それじゃあ、行くか」

 ビルから洩れだす電灯の光と、激しく行きかう車のヘッドライトに照らされて、煌々とする大通りを一緒に歩く。

 今から何処に行くかは告げず、先輩は聞いた。

「どうだ? 最近。サークルの練習にも顔を出していないって言うから、心配してたんだ」

「ま、まあ、確かに落ち込んでいましたね」

 正直に言った私だが、すぐに拳を握った。

「でももう大丈夫。立ち直りましたから」

「そうか、それならよかった」

 先輩はにかっと笑うと、私の脇腹を小突いた。

「これからも、仲良くしてくれよな」

「ええ、もちろん!」

 ああ、なんとか気まずさは無く過ごせそうだ…。

 そう安堵した私が、先輩の方を見ながら微笑み、再び前を向き直った時だった。

 視界の先、横断歩道の向こうの歩道に、女の子が立っていた。

 背を向けているから顔はわからないが、低い身長に、華奢な身体つきをしていて、かなり若い印象を受ける。まだ八時なのだから、女の子が歩いていても気にするほどのことではないじゃないか? と思われるかもしれないが、気になるのは、その恰好だった。

 ゴスロリ…って言えばいいのだろうか? 彼女が身に纏っていたのは、黒を基調としたドレス。その裾には、煌びやかなレースが施されていて、月光に浸して染めたような、青白い髪とともに風に揺れていた。丈が短いために、ガーターベルトの紐がちらちらと見えている。

 そう言う人間もいるだろう。と言われればそこまでだが、その少女は明らかに、この威武火市の町には似合っていない、異質の存在だった。

 ぼーっと女の子を見ていると、視線に気づいた彼女が振り返る…。

 あ、顔が見える…。そう思った瞬間、先輩が私の腕を掴んだ。

「おい、危ないぞ」

「え…」

 その瞬間、目の前を大型トラックが横切る。巻き上げられた粉塵を目の当たりにしたとき、ようやく、信号が赤に変わっていたことに気づき、背筋が冷たくなった。

「あ、すみません」

「まったく、しっかりしてくれ」

 先輩は、ははっと笑った。

 再び前を向き直った時、立っていた女の子は消えていた。

 なんだったんだろう? …そう思ったが、疑問はすぐに頭から抜け落ちた。

 改めて、私は先輩と一緒に歩き始めた。

 徒歩十分のところに、先輩が予約していたレストランはあった。

 やっぱり…と言うべきか、嘘でしょ…? と言うべきか、そのレストランはただのレストランなどではなく、ホテルの上階に構えた、完全予約制の高級レストランで、一階のエントランスに入るにしても、警備員と受付に名前を言わなければならないという、民間人の私には無縁の世界だった。

「あの、先輩。本当に勘弁してください」

 エレベーターで二十階に上がるまでの間、私は泣きそうになりながら言った。

「こんなお高いレストランでお食事だなんて、私、返すものがありませんから」

「返さなくていいって。これは、前のお詫びなんだからさ」

 先輩はなんてことなく言うと、私の背をぽんぽんと叩いた。

 みるみるレストランのある階が近づいてくる。

「…というか、こんな高い場所にくるなら、もっといい服で来たのに…」

「大丈夫大丈夫。ここは正装じゃなくても良いところだし、というか、十分似合ってるよ」

「そうですかねえ…」

 ご厚意には感謝するが、とにかく落ち着かなかった。

 エントランスで恭しく頭を下げるガードマンに、パンツが見えそうなくらい反射する大理石の床。高級感あふれるエレベーターの回数表示に、音がまったくしない移動。そして、何処からともなく漂う良い匂い。

 普段の生活じゃ体験できない、周囲の一挙一動足に、私がおろおろするのを、先輩は微笑ましそうに見ていた。

 そうしてエレベーターは二十階に到着。通路を歩いてすぐそこに、レストランはあった。

 木目の美しいレトロな扉の前にウェイターさんが立っていて、やってきた私たちに恭しく頭を下げる。先輩が言った通り、正装じゃない、みすぼらしい恰好をした私を見ても何も言わず、洗練された動きで扉を開けた。

 その先は、広い。とにかく広い。学校の体育館くらいはあるんじゃないか? ってくらい広い空間に、二人用のテーブルが感覚を開けて並んでいる。その椅子の脚には流麗な文様が彫られていて、床の絨毯にはよくわからない花が施されていた。

 店内には、よくわからない英語の曲。

「うわあ…、高級レストランみたい」

「高級レストランだからね」

 うぶな反応を見せながらも、ウェイターさんに案内され、席に座る。右を見れば、一面ガラス張り。地上二十階から見渡す夜景は、子どもが絨毯に宝石をばら撒いたかのように煌びやかで、あの観光資源が何もない。市長の町おこしに対するやる気もない威武火市のものとは思えないくらい荘厳なものだった。

「うわ、綺麗。私のアパート見えるかな?」

「多分逆方向だと思う」

「じゃあ、先輩のマンションは?」

「オレのは、どこだろ? あそこが駅だから…。あの光があるのが大通りだろ? と言うことは、あの道をまっすぐ行って…。いや、ダメだ、わからん」

「あれは、うちの大学じゃないですかね?」

「ああ、そうだな。明かりが点いてるってことは、夜間授業中かな?」

「いやあ、頑張ってますねぇ」

 そんなことを話していると、誠也先輩が吹きだした。

「この話、ここに来てまですることか?」

「あ、すみません」

 高いところに来てはしゃぐなんて、子どもみたいなことをしてしまったな…と、反省する。

「そうですね。ここは、大人な会話をしましょう」

「いや、いいよ。その方がお前らしい」

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