『ある日…、オレの社に、茶碗一杯の米が供えられたんだ』

「お米、ですか」

『ああ。米は、それからも供えられるようになってな、気になったオレは、社の前に腰かけてみたんだ。そうしたら…、米を備えていたのは、村のはずれに住む爺さんだってことが分かった。もちろん、爺さんはオレが見えていない』

「そうでしょうね」

『オレは爺さんの後をつけて、観察してみた』

「………そう、ですか」

『爺さんは、戦の後遺症で、左腕を満足に動かせなかった。だけど、今でいう部落に住んでいたから、助けてくれる人は誰もいなくて…。今に潰れそうなオンボロの家に、牛一頭と住んでいたんだ。毎日、夜明けとともに起きて、山に入っていく。川で水を汲んで、山菜を採る。戻ると、土鍋で米を炊くんだ。自分のじゃない。オレと、山神の分だ。米を供えて戻ると、牛に餌をやって、畑を耕して、米を作って…。また山に入って、手入れの行き届いていない猟銃でイノシシを狩る…。日が暮れたなら、山の土地神に祈りを捧げ、月の明かりを頼りに、干してあった芋を喰うんだ。毎日、その繰り返し…』

 サダハルの目の焦点が合わなくなっていることに気づいた。それだけ昔を回顧しているのだ。

『だけど、爺さんは、三年もしないうちに、血を吐いて倒れて、寝たきりになった。その後は早かったな。たった一週間で、爺さんは息を引き取ったよ』

「そうですか」

『爺さんが死ぬ間際、オレは爺さんの前に姿を現して、聞いたんだ。どうして、厄病神のオレに、お供えを続けてくれたんだ? って』

 サダハルが顔を上げて、私を見た。

『爺さん、なんて言ったと思う?』

「…さあ」

『オレが、可哀そうだから…だってさ』ぽつりと言った。『オレは厄病神だ。祓えの神とは違う。皆がオレを信仰するのは、尊敬とかじゃなくて、畏怖。全く別のもの。例えるなら、暴君の機嫌を損ねないようにするものさ。爺さんは、それを可哀そうだって、思ったんだ』

 サダハルの声が、少しだけ震えた。

『皆に怖がられている存在だから、せめて、自分だけは、敬意をもって接しよう…。爺さんは、そう思ったんだ。自分の飯も満足に食えないのに』

 そこまで語ったサダハルは、額に手をやって、「何が言いたかったんだっけ…」と言った。

『くだらない話を語っちまったな…。ここからが本題だ…。それからもオレは、この町に住む人間の営みを観察していったんだ…。爺さんが死んでから、一〇〇年が経ったわけだが、人間の本質は変わらんよ。金持ちの人間。貧乏な人間。顔が良い人間。顔が良くない人間。親に愛されている人間に、愛されていない人間。五体満足な人間に、そうじゃない人間。性格の良い人間に、よくない人間…。分類するならば、恵まれた人間と、そうでない人間』

 サダハルの目が、まっすぐ私を見据える。

『気づいたんだ。オレは、恵まれていない人間の方が、好きだって』

「……なんですか、それ」

『これは妬みじゃない。負け犬の遠吠えじゃない。本当に、好きなんだ。何かを与えられた人間より、何も与えられなかった人間…何かを得ようと、奮闘する人間が、大好きなんだ。わかるだろう?』

 サダハルが、半透明の手を覗く。

『何も与えられなかった人間は、自分が欲するものが、どれだけ尊いものなのか、知っているんだよ…』

 少しだけ迷ったそぶりを見せつつ、サダハルは続けた。

『今は、特に顕著になったよな。金があるのが当たり前だと思うやつがいる。恋人がいるのが当たり前だというやつもいる。誰かが助けてくれると思うやつもいる。いつか、恵まれるだろう…と妄言を吐いて何もしない奴もいる』

 息を吸い込み、私の心に語り掛ける。

『そんな奴らよりも、オレは、自分の手でつかみ取ろうとする奴が、大好きなんだ…』

「………」

『栞奈、お前は、多分、オレの好きな人間だよ』

 その言葉に、乾いたはずの私の目から、熱い液体が零れるのが分かった。

 口を押さえて、また嗚咽を洩らす。込み上げたものをなんとか飲み込んで、サダハルを見た。

「…そんなこと」

『お前が頑張っていることは、オレが認めるよ。そして、褒めてやる』

「そんな、恩着せがましく…」

 いつもの通り皮肉を言おうとしたが、言葉は風に吹かれたように消えた。

 ただ俯いて、天井を仰いで、また俯いて、そして、嗚咽を洩らす。

 そして、泣いた。

「うえええええええんっ! うえええええええええんっ! ええええええんっ!」

 私の背後に風花さまが回り込んで、透けているからだのまま、私を抱きしめた。

『頑張っている栞奈さまに、幸があることを、祈ります』

『とにかく、今は泣けよ。そして、休もうぜ』

 その声に反応ができないくらい、私は声をあげて泣き続けた。

 途中、隣の住人がクレームを入れに来たが、それでも、泣き続けた。

 サダハルも、風花さまも、ずっと隣にいてくれた。

『休んで、飯食って、寝て、起きたら…、また動き出そう』

「…はい」

『考え事は、それからだ』

 サダハルが、うつむきがちに笑う。

『オレは、お前が死ぬまで、そばに居てやるよ』

 サダハルの言った通り、私はご飯をたくさん食べて、横になって眠った。サークルにもいかなかった。バイトも、休んだ。ランニングもやめて、ずっとずっと、布団の中にいた。おかげでちょっと太ったけれど、一週間が経って目が覚めた時、とてもすっきりした気分になった。

 なんだかとっても、幸せだった。

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