第九章『厄病神ですか?』

 先輩と別れて、アパートの扉を開けると、サダハルと風花さまが神妙な面持ちで正座をしていた。

「…何やっているんですか?」

『いや、その…』

『か、栞奈さま…、お帰りなさい…』

「すみません。気を遣ってくれたみたいで…」

 病院から帰るまで、二人が姿を現さなかったことを感謝しつつ、私は台所に向かった。

「すぐにお米、炊きますから」

『いやあ、今日は流石に、腹が減っていないって言うか…』

「サダハル様にはいつも助けてもらっていますからね。今日はたくさん炊いちゃいますよ」

 笑いながら言うと、冷蔵庫を開けて米櫃を取り出す。四合炊きだというのに、五合お釜に入れて、ジャカジャカと水を散らしながら研いだ。

そうして炊飯器にセットし、早炊きのボタンを押す。

「すぐに炊けますから。あと、おかず、いりますよね?」

『栞奈さま、今は私たちに気を遣わなくても…』

「多分、産直市をやっていると思うので、そこで何か買ってきます。私も、キュウリの浅漬け食べたい気分なので」

 汗ばんだ服を着替え、買い物袋を持つと、外に出る。

 階段を降りていると、気まずい顔をしたサダハルと風花さまが並んできた。

「二人は部屋で待っていても構いませんよ」

『いや、ついていくよ』

『そうですね。栞奈さまは怪我をしているので』

「別に良いのに…。まあいいか」

 そうして、徒歩十分のところにある商店街の産直市に向かうと、そこで、新鮮なキュウリと、新鮮な赤玉子。玉ねぎとかジャガイモ、たくさん買った。買い物袋一つじゃ足りず、入らなかった分は、サダハルと風花さまに浮かせてもらった。周りにジャガイモやニンジンを浮遊させながら店を出る私は、さぞかし奇妙な目で見られたことだろう。

 部屋に戻ると、ちょうどご飯が炊けていた。

 私はお茶碗一杯で十分。残ったご飯は、サダハルと風花さまにお供えした。

 キュウリの塩漬け、玉ねぎの卵とじ、ふかし芋をさっと作り、三人で食卓を囲んだ。

「さあ、食べてください」

『お、おう…。いつも悪いな』

『私なんて、契約をしていないのに…』

 二人はなかなか手を付けようとしない。

 私はもう一度「食べてくださいよ」と言ってから、熱々のご飯に生卵を落とすと、しょうゆをかけ、一気にかき込んだ。飲み込まないまま、キュウリの塩漬け、玉ねぎの卵とじを押し込み、咀嚼する。口はハムスターのように膨らんでいて、閉じた唇の隙間からぽろぽろと米粒が洩れた。さらに、ふかし芋にマヨネーズをかけて齧る。

 飲み込んでもいないのに、喉に詰まったような感じがして、思わず嗚咽を洩らした。

『お、おい、栞奈、大丈夫か?』

「ふぁいびょうふへふ」

『何言っているかまるでわからんぞ!』

 いつものサダハルのツッコミ。だけど、どこか、わざとらしかった。

 私は口の中のものを牛乳で無理やり飲み込むと、頷いた。

「大丈夫、です」

 と言った傍から、吐き気が込み上げる。

 うっぷ…と嗚咽を洩らし、口を押さえると、トイレに駆け込み、盛大に吐いた。

「おえ、おええええええ…、おええええええ…」

『栞奈さま…。あの、見ていられないのですが…』

「あはははは…、ははははは…」

 私は乾いた笑みを洩らすと、便器に顔を埋めた。そして、静かに肩を震わせた。口からは胃液、鼻からは鼻水、そして、目からな涙がこぼれ、吐しゃ物の浮いた水に落ちていく。

 どのくらいそうしていただろうか?

 向かいの道路から車のクラクションの音が聴こえ、我に返った。その時には、涙、鼻水も、涎も全部乾いていて、頬が引きつるような感じがした。

 おもむろに立ち上がり、トイレの水を流す。

 出て行くと、そこには、サダハルと風花さまが正座していた。目の前にあった皿の料理には、まったく手を付けていなかった。

「…食べなかったんですか?」

『栞奈と食べようと、思ったんだ』

「もう冷えちゃってるでしょ」

 私は顔を洗い、口を濯いでから、料理の皿をレンジに入れて、加熱していった。

 再び湯気が立つ料理を、神さまの前に置く。

「さあ、仕切り直しと行きましょう。私も、お腹のもの全部出して、空腹なので」

 そうして、改めてふかし芋に手を伸ばした。すると、サダハルが言った。

『前に、言っただろう?』

「何を、ですか?」

『オレは死人なんだ』

「ああ、そうでしたね」ぱくっとお芋を齧る。今度は吐かないよう、よく噛んだ。「なんか、六〇〇年前の貴族だったとか…」

『ああ、そうだよ…』

 隣では風花さまが『ちなみに私は、村娘でした』と言った。

 サダハルは俯いたまま続けた。

『今と昔を比べるのは少し違うかもしれないが…、オレは、あの時代、恵まれた身分の人間だったんだ。何もしなくても食べ物がやってくるから、食うに困らない。着物も上等なものばかりで…、従者を好き放題にしても、誰にも咎められなかった…。まあ、武家社会が確立していたころだから、少し肩身の狭い思いはしたが…、それでも、幸せ…いや、自由だった』

「急に、何の話です?」

 いつもおどけているサダハルが、こんなにも真面目な顔をしていうものだから、私は窮屈な気分になりながら聞いた。

 サダハルは真剣な面持ちを崩さず、続けた。

『おかげで、遠征先で、困窮した農民に襲撃されて、殺された。鍬で頭をかち割られたんだ』

「…はあ」

『オレは、オレを殺した奴らを恨んで、地縛霊になった』

「はい」

『なんでオレが死ななきゃいけないんだって。お前らが困っているのは、お前らが農民に生まれたせいだからだろう? って。悔しかったら、お前も恵まれている星のもとに生まれたらよかったじゃないか…って』

「はい…」

『異性が寄って来る顔立ち。食べるのに困らない財…。自分のことを愛してくれる親…。それが得られなかったからって、人に八つ当たりしてんじゃねえよって…。そう思ってた』

 そこでやっと、彼が本気で真剣な話をしようとしていることに気づき、私は姿勢を正した。

「それで…?」

『村に、たまたま災厄がやってきた。村人は、オレが祟っているんだって思い、あの場所に社を建てた。そして、オレを神として奉った。前にも言った通り、神々の力は信仰心のある場所に宿る。そうして俺は、地縛霊から厄病神に変貌したんだ…』間を置いてから、続ける。『最初は、うっぷん晴らしのために、近くの村に大雨と雷を降らせた。二百年もすれば飽きてきて、時々参拝に来る人間の願いを聞き入れて、人を呪ってみた。それも飽きて、四〇〇年もすれば、何もしなくなった』

 そのタイミングで、隣の風花さまが『ちなみに、私が神さまになったのは、この頃です』と言った。

『五〇〇年くらいして…、ようやく、人を見ようって思ったんだ』

「人を?」

『ああ…。理由はよくわからない。多分、暇つぶしだったんだと思う。もう地縛霊じゃないから、この町を飛び回って…、そこに住む人の生活を覗いてみたんだ』

 この際、覗きはダメ…なんてことは言わないでおこう。

『いろいろな人間がいたよ。金持ちの人間。貧乏な人間。顔が良い人間。顔が良くない人間。親に愛されている人間に、愛されていない人間。五体満足な人間に、そうじゃない人間。性格の良い人間に、よくない人間…。この時はまだ、貴族だったころの性格が抜けてなかったから、オレは恵まれなかった人間を、毛嫌いしていた…。だけど…』

 天井を仰いだサダハルは、さらに続けていった。

『ある日…、オレの社に、茶碗一杯の米が供えられたんだ』

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