④
歩いて五分ほどのファミレスに入った。昼時と言うこともあり、少しだけ待たされた。先輩は「悪いなあ。腹が減っているのに」と言ったが、私からすれば、先輩と少しでも長くいられるので、神の恩恵だと思った。
そうして、十五分ほど待った後、テーブル席に案内される。
先輩はハンバーグ定食を、私はカルボナーラを注文した。
「今日の練習はどうだった?」
「ま、まあ、いつも通りですね。ああ、でも、城山さんのことがあったので、みんなぎくしゃくしちゃってたかも…」
「あははは、なんか悪いなあ…」
その言葉に思う事があり、私は聞いた。
「あの…、城山さんはやっぱり…」
誠也先輩は一瞬言い淀んだが、「まあ、お前だからいいか」と呟き、教えてくれた。
「最近、変なことばかり起こっててさあ…。もうずっと前から、嫌がらせを受けているんだよ。でも、あずさって真面目だから、事を大きくしたくなくて、ずっと黙ってたんだよ」
「…嫌がらせって言うのは…」
「最初の頃は、紙だよな。根も葉もないことを書いた紙を、あずさの持ち物の中に忍ばせるの。これは関係あるかどうかわからないんだが…、オレと梓が手を繋いだり…まあ、触れ合ったりすると、天気が悪くなったり、オレが転んだりするんだよ。だから、霊的な何かも関係しているのかなあ? って」
すみません先輩。後者は私たちの仕業です。
「そ、その天気が悪くなるのは、今も続いているのですか?」
「いや、もう無いよ。触れ合ったり…うん、まあ、触れ合ったりしても何も起こらない」
触れ合ったり…うん、まあ、触れ合ったり?
「だけど、相変わらず、嫌がらせは続いていてな。それどころか、段々エスカレートしてんだよ。栞奈も知ってるだろ? 今日のこと」
「ああ、はい」周りに聞こえないように言う。「シューズの中に、画びょうを要られたって」
「それだけじゃない。昨日は、カッターナイフが入った手紙をポストに入れられたってさ。今日も入ってたらしいけど、まだ怖くて取り出せもしていないらしいよ」
ゴキブリのことだな…。
「もう、流石のオレもちょっとまいっちゃってる」先輩は力なく笑うと、肩を竦めた。「あずさは結構傷心しちゃって、また別れるとまで言い出しているんだ。多分、犯人がオレとあずさが付き合っていることを嫉妬していると思い込んでいるんだろうな…」
「実際、そうだと思うんです」
これは言うべきか迷ったが、先輩と城山さんの安全のためにも言った。
「きっと、城山さんに嫉妬している人の犯行なんでしょうね。なんたって、先輩は格好いいし、背が高いし、髪がつやつやだし、良い匂いがするし、筋肉質だし、優しいし…。非の打ち所がないくらいですから…」
「う、うん、ありがとな」
「私だって、多分、嫉妬しちゃいます。まあ、だからと言って、カッターナイフを送りつけたりはしませんが…」
ごめんなさい。厄病神と共謀して大雨を降らせました。
「先輩が好きになる人は、先輩が決めます! もちろん、先輩と付き合うかどうかも、城山さんが決めることです。だから、外部の人間がとやかく言うことじゃないと思うんですよ」
ごめんなさい。厄病神と共謀して二人を別れさせようとしました…。
「だから、その…」
言い淀んだ後、私は思い切って言った。
「私も、見つけてみせます。城山さんに酷いことをした人間を…」
確かに、私は先輩のことが大好きで、付き合いたいと思っている。だけど、やっぱり、それよりも優先すべきは先輩の幸せだ。別れろ。別れろ…と思いながら、やはり、先輩と城山さんのことは放っておけなかった。
「かんな、お前…」
先輩はしばらく目をぱちくりさせたあと、にかっと笑った。
向かいのテーブルから身を乗り出し、私の頭を撫でる。
「お前、良い奴だなあ…。もつべきものは、良い後輩だよなあ…」
「………」
人前で恥ずかしい。顔がみるみる熱く、赤くなっていくのがわかる。
でも、やめようとは思わなかった。
先輩と城山さんの仲を助ける…なんていう発言は、私の願いを捨てるようなものだったかもしれないが、それでも、このごつごつとした手の感触を得られたのなら、それでいいやと思った。それで、心臓の辺りがムズムズとするのだ。
なんと気持ちの良いことだろうか…。
ほどなくして、私たちの席に料理が運ばれてくる。
湯気の立つカルボナーラを前にして、私はばれないようにため息をつき、呼吸を整えた。
例え、気軽に入ることのできるファミリーレストランだからと言って、マナーを欠いて良いわけじゃない。ましてや、大好きな誠也先輩の前だ。上品に、上品に…。「なんて礼儀の正しい女の子なんだ! 好きだ!」って思われるくらい、上品に。
ええと…、まずはフォークを…。
と、ぎこちなく動きていると、誠也先輩が盛大に吹きだした。
「栞奈、なんだお前、その動き。油の切れたロボットみたいだぞ? 緊張してんのか?」
「あ、え…、その…」
せっかく治まりかけていた頬が再燃する。フォークを落とし、頬を覆った。
「なんか、すみません…」
「同じ高校、同じ大学、同じサークルに入ってんだから、気を遣うなよ。な?」
「私もそうしたいのですが…。やっぱり無理です」指の隙間から、先輩を見た。「やっぱり、緊張しちゃいます」
そんな私を見て、先輩はふっと笑った。
「お前、やっぱり、可愛くなったなあ…」
その言葉に、後頭部で、ボンッ! と何かが弾けた。
火に晒されたみたいに全身が熱くなり、視界がピンク色に染まる。
「ふえええ…」
全身の力が抜けて、椅子の背もたれに体重を預けた。
天井を仰いだ時、私の脳裏に過るのは、三年前の光景。
あれは、誠也先輩の卒業式の時だった。
式を終えて解散となった先輩のもとには、卒業生、在学生が、第二ボタンを求めて、一斉に彼のもとへと押しかけた。私はもらえないとわかっていたから、近づかなかった。
ものの十数秒で、彼は学ランだけでなくポロシャツのボタンすべてを女子にあげて…いや、奪われて、胸がはだけた状態となった。それでも笑っていられたのは、先輩の寛容さ故だろう。
目当てのものが無くなり、人が少なくなったタイミングで、私は先輩に近づいてみた。もちろん、期待はしていなかった。最期に話したのは半年前だから、多分、忘れられていると思ったのだ。
だけど、先輩は覚えてくれていた。
「おお! 黒宮! 来てくれたのか!」
あの時と同じように、先輩は屈託のない笑みを浮かべ私に近づくと、私の頭を撫でた。
「あれ、お前、なんか雰囲気変わったか?」
「あ、はい…」私は恥ずかしく思いながら頷いた。「髪を伸ばして見ようと思ったんです。あと、ランニングをして、身体を引き締めようかなって…」
「そうか! うん可愛くなってる!」
また、頭を撫でられる。
本当は、ふにゃりと笑って、小躍りしたかったが、周りの視線があったのでやめた。
顔を赤くして、声を震わせながら言う。
「あの…、今から、ちょっと、変なことを言いますね」
「おう、なんだ?」
「私も、先輩と同じ、威武火大学を目指して見ようと思うんです」
「へえ」
先輩の顔が明るくなる。
気持ちの悪いストーカーだと思われるのが嫌だったので、早口でまくしたて。
「その…、私の家、貧乏だから…。国公立しか行けなくて…。それで、家から近くて…、学費も安くて…、その、その…」
なんて言ったらいいかわからなくなり、目が回る。
垂れた髪を指でいじくり、貧乏ゆすりをして、みるみる頬を青くしていると、私の顔を誠也先輩の手が包み込んだ。
冷たい感触と、柔らかな視線に、我に返る。
「あ…」
「ほら、落ち着いて言えよ」
「はい…」
今度こそ、言葉を紡ぐ。
「先輩がいるところだと、落ち着く気がするんです」
「そうか」
手を放した先輩は、また私の頭を撫でた。
「だったら、もっと可愛くなって会いに来れるな」
「…はい」
その言葉を頼りに、それからも私は頑張ったんだ。
髪を伸ばして、つやつやになる様に手入れをした。髪留めにもこだわってみた。スタイルをよく見られたくて、毎日ランニングをした。筋トレをした。ちょっとお高い保湿クリームを買って、ほっぺを常にもちもちに保った。ファッションにも気を遣った。友達付き合いも積極的にした。勉強も頑張った。
私の家にはお金がないから、やっぱり限界は来た。でも、それなりに、可愛くなることができた。断ったものの、男子三人から告白された。
今日、言われた先輩からの言葉…「お前、やっぱり、可愛くなったなあ…」。
その言葉が、三年にわたる私の努力を報ってくれたような気がした。
もちろん、先輩と付き合えたわけじゃない。先輩は相変わらず、城山さんを愛している。だけど、やっぱり、幸せを感じずにはいられなかった。
「はあ…」
私は、顔を真っ赤にし、誰にも聞こえない声を洩らした。
「好き…」
それから、気を取り直して食べたカルボナーラは、涙の味がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます