まるでビニール袋のように飛んでいく彼を見て、慌てて走り始める。

 だが、三歩と進まないうちに、何も無い場所で躓いた。

「あ…」

 咄嗟に踏み出すが、厚底のブーツだったために足首を捻る。そのまま、冷たい床へと顔面から転がろうとした…直前で、誰かが私の首根っこを引っ張って支えた。

「ひえっ!」

 床まであと数センチ。ギリギリのところで止まった私は、安堵の息を吐いた。

 背後からは、鈴を鳴らすような、私の身を案じる声が聴こえた。

『お嬢さん、お怪我はありませんか?』

「あ、ありがとうございます…」

 手をついて身体を起こすと、振り返る。

 そこには、着物姿の女性が立っていた。

 周りの光を乱反射させるくらい、艶やかで煌びやかな黒髪。頬は透き通る様に白く、薄い唇に塗られた赤色が生える。目は穏やかで、そこはかとなく母性を感じさせた。身長は一七〇センチほど。花柄の着物でも隠し切れないくらい、大きな胸をしていた。腰回りもなだらかで、女子の私でも少しどきっとしてしまう容姿だった。

「あ、あの…」

『お怪我が無くて、本当によかった』

 女性はにこっと笑って言った。

『可愛らしい顔に傷がついたら、大変ですものね』

「は、はあ…」

『悪い虫は追い払っておきましたから、心置きなく、お買い物を楽しんでくださいね』

「え、ええ…」

 悪い、虫?

 目をぱちくりとさせる私を見て、女性はにこやかに首を傾げた。

『大丈夫ですか?』

「え、ええ…」

『もしかして、気分が悪い?』

「いや、そういうわけじゃないけど…」

 綺麗な女性だ。めちゃくちゃ綺麗な女性だ。この人になら抱かれても良い…と思えるくらいに、綺麗な女性。だけど、なんだろう? この胸がざわつくような感覚は。

 恋…なんて良いものじゃない。まるで…。

 その時、私の耳に笑い声が届いた。

「あの子、さっきから一人で話しているよ」

「ほんとだ、キチガイじゃん」

 通りすがりの、女子高生の声。

 はっとして、私は目を見開き、女性を見た。

 女性はおどけた様子で首を傾げる。

『どうされましたあ?』

「あの、つかぬ事をお聞きするのですが…」

 言いかけた瞬間、通路の向こうから、サダハルの怒り狂った叫び声が近づいてくることに気が付いた。

『おおらあああああああっ! よくもやってくれたなっ! この厄病神がああっ!』

「え…、サダハル?」

 私が振り返ろうとすると、女性は「おやおや」と笑った。

 何をするのかと思いきや、女性が私に近づいてくる。ふわりと桃のような香りが鼻を掠めたかと思えば、彼女は私の身体をすり抜けて、私の背後に回り込んでいた。

「え…」

 女性が、一直前に飛んでくるサダハルと対峙する。

 サダハルは女性の姿を見た途端、一層顔を赤くし。加速した。

『この! あばずれ厄病神があっ!』

 拳を振り上げ、女性に向かって放った、その瞬間…。

 女性が翳した手が、ピンク色に眩く輝き、サダハルの身体を吹き飛ばした。

『ぐへえっ!』

 カエルが踏みつけられたような声をあげた彼は、天井、床、壁と、まるでスーパーボールのように跳ね返り、私の真横に墜落した。

「さ、サダハル様!」

 霊体のはずなのに、なんだか黒焦げているサダハル。

 口からぽふっ…と煙を吐くと、目を開け、私と女性を交互に見た。

『栞奈…、逃げろ…』

 その言葉に、私はやっぱりと思い、女性の方を振り返った。

「あなた…、人間じゃないですよね?」

『ええ、もちろん』女性は当たり前のように頷き、恭しく私に頭を下げた。『そちらの、馬鹿餓鬼と同じ、神…に分類される存在です』

「か、神さま…」

 サダハル以外の神さまを見たのは初めてで、少し興味をそそる。

 それをかき消すように、サダハルが起き上がり、女性に向かって凄んだ。

『この厄病神がよお! オレの邪魔すんなよ!』

「サダハル様、こちらの女性も、同じ厄病神なんですか?」

『いえいえ、とんでもない、違いますよ』

 女性の神様は慌てて首を横に振った。

『私は、祓えの神でございます。以後、風花祓神…または、風花とお呼びください』

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