③
まるでビニール袋のように飛んでいく彼を見て、慌てて走り始める。
だが、三歩と進まないうちに、何も無い場所で躓いた。
「あ…」
咄嗟に踏み出すが、厚底のブーツだったために足首を捻る。そのまま、冷たい床へと顔面から転がろうとした…直前で、誰かが私の首根っこを引っ張って支えた。
「ひえっ!」
床まであと数センチ。ギリギリのところで止まった私は、安堵の息を吐いた。
背後からは、鈴を鳴らすような、私の身を案じる声が聴こえた。
『お嬢さん、お怪我はありませんか?』
「あ、ありがとうございます…」
手をついて身体を起こすと、振り返る。
そこには、着物姿の女性が立っていた。
周りの光を乱反射させるくらい、艶やかで煌びやかな黒髪。頬は透き通る様に白く、薄い唇に塗られた赤色が生える。目は穏やかで、そこはかとなく母性を感じさせた。身長は一七〇センチほど。花柄の着物でも隠し切れないくらい、大きな胸をしていた。腰回りもなだらかで、女子の私でも少しどきっとしてしまう容姿だった。
「あ、あの…」
『お怪我が無くて、本当によかった』
女性はにこっと笑って言った。
『可愛らしい顔に傷がついたら、大変ですものね』
「は、はあ…」
『悪い虫は追い払っておきましたから、心置きなく、お買い物を楽しんでくださいね』
「え、ええ…」
悪い、虫?
目をぱちくりとさせる私を見て、女性はにこやかに首を傾げた。
『大丈夫ですか?』
「え、ええ…」
『もしかして、気分が悪い?』
「いや、そういうわけじゃないけど…」
綺麗な女性だ。めちゃくちゃ綺麗な女性だ。この人になら抱かれても良い…と思えるくらいに、綺麗な女性。だけど、なんだろう? この胸がざわつくような感覚は。
恋…なんて良いものじゃない。まるで…。
その時、私の耳に笑い声が届いた。
「あの子、さっきから一人で話しているよ」
「ほんとだ、キチガイじゃん」
通りすがりの、女子高生の声。
はっとして、私は目を見開き、女性を見た。
女性はおどけた様子で首を傾げる。
『どうされましたあ?』
「あの、つかぬ事をお聞きするのですが…」
言いかけた瞬間、通路の向こうから、サダハルの怒り狂った叫び声が近づいてくることに気が付いた。
『おおらあああああああっ! よくもやってくれたなっ! この厄病神がああっ!』
「え…、サダハル?」
私が振り返ろうとすると、女性は「おやおや」と笑った。
何をするのかと思いきや、女性が私に近づいてくる。ふわりと桃のような香りが鼻を掠めたかと思えば、彼女は私の身体をすり抜けて、私の背後に回り込んでいた。
「え…」
女性が、一直前に飛んでくるサダハルと対峙する。
サダハルは女性の姿を見た途端、一層顔を赤くし。加速した。
『この! あばずれ厄病神があっ!』
拳を振り上げ、女性に向かって放った、その瞬間…。
女性が翳した手が、ピンク色に眩く輝き、サダハルの身体を吹き飛ばした。
『ぐへえっ!』
カエルが踏みつけられたような声をあげた彼は、天井、床、壁と、まるでスーパーボールのように跳ね返り、私の真横に墜落した。
「さ、サダハル様!」
霊体のはずなのに、なんだか黒焦げているサダハル。
口からぽふっ…と煙を吐くと、目を開け、私と女性を交互に見た。
『栞奈…、逃げろ…』
その言葉に、私はやっぱりと思い、女性の方を振り返った。
「あなた…、人間じゃないですよね?」
『ええ、もちろん』女性は当たり前のように頷き、恭しく私に頭を下げた。『そちらの、馬鹿餓鬼と同じ、神…に分類される存在です』
「か、神さま…」
サダハル以外の神さまを見たのは初めてで、少し興味をそそる。
それをかき消すように、サダハルが起き上がり、女性に向かって凄んだ。
『この厄病神がよお! オレの邪魔すんなよ!』
「サダハル様、こちらの女性も、同じ厄病神なんですか?」
『いえいえ、とんでもない、違いますよ』
女性の神様は慌てて首を横に振った。
『私は、祓えの神でございます。以後、風花祓神…または、風花とお呼びください』
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