『よし、これでいい』

「あの…、いま、何をしたんですか?」

『それを聞くか?』

 私のところまで降りてきたサダハルは、悪意をこれでもかってくらい詰め込んだ笑みを浮かべた。そして、一言。

『今にわかる』

 まるで停電になった時のように、夏の陽光で色あせていた世界が、灰色に包まれた。

 気温が三度下がったような気がして、思わず身震いする。

 ゴロゴロ…という轟音に引き寄せられるにして見あげると、誠也先輩の心のように澄み渡っていた青空を、墨汁を垂らしたような雲が覆いつくしていた。

 いつ雲が流れてきた? 

 まるで、最初からそこにあったかのように、光を遮る曇天。

 いきなり薄暗い世界に放り出されたおかげで、目がちかちかとした。

「ちょっと、何が起こっているの?」

 嫌な予感を覚えた私が、サダハルに聞こうとした時だった。

 水槽のガラスが割れたような雷鳴とともに、大粒の雨が、辺り一帯に降り注いだ。

 ダダダダダッ! と、まるで弾丸のような勢いで、私を雨粒が打ち抜く。熱したアスファルトに触れて弾けた雨粒は霧となり、私の視界を奪い去った。

「ちょ、ちょ、ちょっと…」

 雨…雨…雨…、大粒の、雨。弾丸のような、雨。カエルも雨宿りをしたくなるような、雨。

 視界が悪い中、手を振り回し、サダハルのいる方へと歩いていこうとする。

 その時、背後の部室の扉が開き、明美が私を呼んだ。

「ちょっと! 栞奈ちゃん! 早く部室に避難して!」

「わ、わかったよ…」

 だけど、雨と霧の勢いが強く、何もわからない。

 右往左往していると、明美の手が伸び、私の腕を掴んだ。

 そのまま、部室の中に引っ張り込まれ、頭からバスタオルを被せられた。

「すごい降ってきたね…。ゲリラ豪雨かな?」

「…そ、なのかなあ? うう…、サムっ」

 犬のように身体を震わせ、横を見ると、サダハルが肩を竦めて浮いていた。

「…なに、やったんですか?」

「うん? 栞奈ちゃん、なんか言った?」

「あ、いや…」

「この雨じゃ、しばらくは練習できないね。とりあえず待ってみようか」

 この大雨がゲリラ的なものだと思っている明美は、練習を続ける意思を見せながら、私の頭をわしわしを拭いた。

 部室を見渡すと、皆窓の方に駆けよって、「やばっ、雨じゃん」「今日の練習はできないね。解散」「ウチくる?」「この勢いじゃ外にも出られないでしょ」と言いあっていた。

 ここで、サダハルが口を開いた。

『オレが、呪いをかけた』

「の、呪いって…」おどろおどろしい言葉に、背筋が凍る。「ちょっと、なにやってるんですか!」

「栞奈ちゃん?」いよいよ、心配そうな顔をして、明美が私の顔を覗き込む。「本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫だから!」

 横目でサダハルを睨み、「説明しろ」と促した。

『語弊の無いように言うが、呪いをかけたのはオレだが、呪いを発動したのは誠也だな』

「せ、誠也先輩が?」

 再び声をあげる私。すかさず明美が私を抱きしめた。

「栞奈ちゃん…、もう悲しまなくていいんだよ…。失恋のことは忘れよう…。だから、いつもの栞奈ちゃんに戻ってよ。まあ、今日も平常運転なんだけど…」

「だからあ…」

 埒が明かないので、私は「トイレに行ってくる」と伝え、入り口に立てかけてあった予備傘を掴んで、雨の中外に出た。

 一番近くにあるトイレを目指し、歩き出しながら、改めてサダハルの言葉に耳を傾ける。

「それで、どういうことですか?」

『さっき言った通りだ。オレは、城山に呪いをかけた。ただし、雨を降らす呪い…なんてちゃちなものじゃなくて、誠也に触れられたら災厄が降り注ぐ…っていう呪いだ』

「せ、誠也先輩に触れられたら…、災厄が降り注ぐ…」

 反射的に、胸元のお守りに触れる。

「と言うことは、この雨は…」

『ああ、誠也が城山に触れたってことだな。だから、呪いが発動したんだ』

「なるほど、でも、こんなことをして何になるんですか? ただの嫌がらせでしょうが」

『考えてみろよ。最愛の人に触れられたら、災厄に見舞われるんだぜ?』

 サダハルが言った瞬間、空が、カッ! と輝いた。

 目を向けると、龍が暗雲の中を泳ぐようにして、黄金の稲妻が走る。それから三秒としないうちに、腹の底を震わせる轟音が鳴り響いた。

「うひゃあっ!」

 驚いた私は、傘を放り出して、植え込みに隠れた。

『おうおう、また誠也が城山に触れたみたいだな…。呪いが発動したよ』

「仕組みはわかりましたが…」

『さっきの話の続きだ。城山に触れれば呪いが発動する。災厄を身に受けるのは、誠也本人と、その周りの人間。最初は気づかないはずだが、そのうちどちらかが気づくはずだ』

「自分たちのせいで、こういうことがおきている…って?」

『ああ、そして二人は決心する。別れよう! ってな!』

 胸を張って自信満々に言うサダハル。その頭上では、青い稲光が空を切り裂く様に走った。

『どうだ! これが、厄病神のオレが考えた作戦第一だ。誠也を狙うには、まずは城山からひき剥さないといけないからな! 別れた後…つまり第二の作戦はそれから考えればいいさ!』

「うーん…」

 なんか有効であるような、有効じゃないような…。

 もう少しうまいやり方があったんじゃないか? と思えるような作戦に、私は首を捻った。

 呪いをかけた当の本人は調子に乗って、私の頭の上を旋回した。

『よし、栞奈。とりあえず様子を見るぞ。この呪いは、本人たちが気づかないと意味が無いからな』

「…わかりましたよ」

 疑問は残ったが、私にやれることは無いので、ここはサダハルが立てた作戦が成功することを祈って様子を見ることにする。

「じゃあ、とりあえず…」

 その瞬間、再び空に稲光が走った。一秒とかからず、ドーンッ! と轟音。

「………」

『また触れ合ったみたいだな』

「そうですね」

 ゴロゴロ…ドーンッ! 再び雷光と轟音。

「と、とりあえず、部室に帰りましょうか」

『そうだな』

 ゴロゴロッ! ドンッ! ドンドンッ! ドオオオンッ! ドンッ! 

 三歩と歩かないうちに、五回空が光り、五回轟音が響き渡った。五発目に至っては、地面が揺れているんじゃないか? ってくらいの衝撃が腹に伝わった。

 それだけにとどまらず、空は光り続ける。鳴り続ける。

 ゴロゴロッ! ドンッ! ドンドンッ! ドオオオンッ! ドンッ! ゴロゴロゴロ…ドンドンッ! ドオオオンッ! ゴロゴロッ! ドンッ! ドンドンッ! ドオオオンッ! ドンッ! ゴロゴロゴロ…ドンドンッ! ドオオオンッ! ゴロゴロッ! ドンッ! ドンドンッ! ドオオオンッ! ドンッ! ゴロゴロゴロ…ドンドンッ! ドオオオンッ!

 そして、三十五発目の雷鳴が轟いた瞬間…。

 黒板に爪を立てて、思い切り引き下ろしたかのような甲高い音とともに、赤色の光が空間を割るが如く落ちてきて、テニスコートの脇に生えていた、背の高い銀杏の木に激突した。

 一瞬音が止んだ…と思えば、すべての雨粒を吹き飛ばしてしまうかのような強烈な爆発音が炸裂。辺りにあった建物すべての窓をぎこちなく揺らした。

 落雷の勢いで破裂した銀杏の木の枝が、炎上しながら私の方へと飛んでくる。

 慌ててサダハルが前に出て、青色の結解を張った。

 燃えている枝は結界にはじかれ、地面に落ちる。そのまま雨粒に打たれて炎は消えた。

「……………」

『……………』

 まだ空では雷鳴が轟いている。何度も、何度も轟いている。

 顔を上げると、サダハルは頬を引きつらせていた。

『まあ、とりあえず、雨が降ってて良かったな』

 私の目は、涙で一杯になっていた。

 私の気持ちを代弁して、サダハルは今もなお軋り続ける暗雲に向かって叫んだ。

『お前ら! どんだけ盛ってるんだよおおおおおおおっ!』

 きっと、テニスコート裏の物陰では。誠也先輩と城山さんが、この雨と雷鳴に乗じて、いかがわしいことを繰り返していたに違いなかった。

「アメコワイネ」「ソウダナ」「サビシイデス」「オレガソバニイルヨ」と言いあって…。

 走り続ける閃光。鳴り続ける轟音がその証拠。

 誠也先輩と付き合うために実行したこの作戦だったが、なぜか、傷を負ったのは私なのだった…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る