翌日、夜が明けるとともに、私はあの神社に向かってみた。

『おいこら…』

 隣に浮遊していた神さまは、ひきつった声で言うと、鳥居の傍に立った旗を指した。

『これのどこが、恋愛成就の神って読めるんだよ』

 その旗には、「貞晴疫神社」とあった。

「いや、これじゃなくて…」

 私は鳥居を潜って社に近づくと、すぐ横に立てかけてあった旗を指す。

「これを見て、恋愛成就の神様だと思ったんです…」

 ボロボロになった旗には、「恋愛成就・香春姫神社」と書いてある。

『馬鹿野郎。そりゃあ、この前の台風でオレのところに飛んできた、別の神社のものだよ』

「なんで撤去しないんですか…?」

『なんでオレが別の島の奴のもんを片付けなきゃならないんだ』

「性格まで厄病神なのね…」

『だいたい、あそこの神社のアマは性根が悪くて嫌いなんだよ。それに、神様同士にも縄張りがあるからな…。本人が勝手に縄張りに入るのは面倒ごとに発展する…』

「そんなあ…」ため息をつきつつ、この悲劇について言及した。「大体、なんで最初に言ってくれなかったんですか。『自分は厄病神だ』って」

『馬鹿やろ。真夜中に、しかも、人通りが無い路地にある神社に来るような輩なんざ、疫神の力を借りたい奴に決まってるだろ』

 神さまは「見ろ」と言って、参道の脇に生えた小さなツツジの木を指した。そこには、細い枝に、器用に藁人形が打ち込まれていた。

『ここは厄病神の縄張りだぜ? てめえみたいな頭花畑の女が来るような場所じゃねえんだ』

「それでも、私は、あなたが恋愛成就の神様だと思ったんです」

 私は頭を抱え、首を横に振った。

「とにかく、恋愛成就の神様じゃないんだったら、私の願いを叶える力は無いですよね」

『ああ、無いな』

 はっきりと言われ、少し胸にちくっとした痛みが走るのを覚えながら、言った。

「じゃあ、この契約は無効ですね…」

 一人で舞い上がったのが馬鹿らしく思いながら、首に掛かったお守りを外そうとする。

 慌てて、神さまが叫んだ。

『おい! 馬鹿野郎!』

「え?」

 次の瞬間、立っていた私に影が差す。見上げると、頭上にあったのは、大きな金盥…。

「あ…」

 逃げる暇もなく、金盥が降ってきて、私の後頭部に激突した。 

 ゴオオオオン…と鈍い音と、鈍い痛み。私はその場に倒れ込み、白目を剥いた。

「きゅう…」

『昨日言っただろ? そのお守りを外そうとすると、お前に災厄が降り注ぐって』

「めちゃくちゃあほらしい災厄じゃないですか…」

『気を付けろよ。十回に一回は幸運の壺が降ってくるから』

「なんですかそれ。胡散臭い…」

身体を起こした私は、膨れ上がったたんこぶを押さえた。

「とにかく、早く契約を無効にしてくれますかね…」

『その件なんだが…』神さまは申し訳なさそうに後頭部を掻いた。『悪い…。神との契約は、無効にできないんだ』

 全身の血が凍る。

「いや、クーリングオフを知らない?」

『神々の世界に日本の法律が通用すると思うなよ』

 と、神さまは日本社会になじんだことを言いつつ、説明した。

『一度結んだ契約は無効にできない。契約を履行するまで、縁の糸は結ばれ続けるんだ』

「いやいや、何よそれ。詐欺じゃない」

『詐欺じゃない。これはしっかり、オレの方がデメリットを食らってる』

 と、ちゃっかり横文字を使う神さま。

『オレはお前の願いを叶えることを約束して、お前を契約した。対してお前は、オレに作物を納めることを約束して、契約しただろ? オレは確かに厄病神で、災いを起こすことにしか長けていないが、この契約において、得意不得意は関係ない』

「…というと?」

『つまり、どんなことがあろうと、オレはお前の願いを叶えなきゃいけないんだ』

「でも、無理なんでしょう?」

『ああ、無理だよ。金物屋に小説を書くよう依頼するみたいなもんさ。ああああああっ! もう、ふざけんなよおおお! しかも、オレが災厄を食らうことになっちまう!』

 と、神の威厳を微塵も感じさせない声で唸った神さまは、天を仰ぎ、頭を抱えた。

『オレはてっきり、災厄関係の願いをされるもんだと思い、お前と契約したんだよおおお!』

「最初に確認しなかったのがダメですね。社会に出たらやっていけないので、すぐに直しましょうね」

『うるせえ!』

 本気で嘆いている神さまを見て、これは自分が思っている以上に深刻なことなのだと気づき始めた私は、手を挙げて聞いた。

「それじゃあ、私が作物を納めないっていうのはどうなんですか? 契約不履行ってやつです」

『それだと、お互いにペナルティを食らうことになってる。お互いに災厄を食らっちまう』

「八方ふさがりじゃないですか…」

 引きつりながら言うと、神様は真面目な顔をして頷いた。

『まあ、でも、お前が、セイヤセンパイと付き合いたいっていう抽象的な願いを言ってくれて、多少は助かった部分がある…』

「助かった?」

 神さまは私の方を振り返って聞いた。

『そのセイヤセンパイって男は、身近な存在なのか?』

「…そうですね。テニスサークルの先輩です」

『なるほど』安堵したような顔をする神さま。『良かった…。佐○啓二とか、萩原○一と結婚したい…なんて願わなくて』

「それいつのイケメン俳優ですか?」

『つまり、身近な人間なら、まだ勝機があるってことだよ…』

 決心したような顔をした神さまは、私の胸のお守りを指した。

『やけくそだ。お前の願い、かなえてやる』

「でも、あなたは、厄病神で…」

『どんな形であれ、願いが実現すれば、契約を履行したことになるんだよ』

 プロ意識ってやつだろうか? 真剣な表情でそう言う。

『言っとくが、お前のためじゃない。オレのためだ』

 若干、というかかなり不安だったが、私は頷いた。

「期待してます」

『いや、期待しないで…』

「そんな泣きそうな顔で言わなくても…」

 とういわけで、私と厄病神の、「誠也先輩を射止めろ作戦」が始まったのだった。

「ちなみに、あんたのこと、なんて呼べばいいですか?」

『敬って神さまって呼べよ』

「いや、敬ってないので…」

『敬えよ』

 そう突っ込んだ神さまだったが、自分が敬われるような人間ではない心当たりがあったのかそれ以上は言わなかった。

『じゃあ、とりあえず…』

 そう言って、神社の鳥居の傍にあった旗を指す。

 先ほど確認した通り、その旗には「貞晴疫神社」とあった。

『オレのことはサダハルって呼べ』

「サダハル…ですか」

 神さまの癖に、人間っぽい名前だな。

そう聞こうとしたが、それよりも先にサダハルが聞いた。

『で? お前の名前は?』

「カンナです。黒宮栞奈」

『なんか、性格悪そうな名前してるわ』

「どこがですか?」

『まあ、とにかく、よろしくな。栞奈』

 サダハルが私に手を出す。私はその手を握り返したが、当然、感触は無かった。

 不安は全くぬぐえなかったが、それでも、契約を交わしてしまった以上は仕方がない。

 その日から、私と神さまの、奇妙な生活が始まった。

「あ! やば! バイト行かないと! 今日オールだった!」

『幸先不安だわ…』

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