第二章『いいえ、厄病神です』
①
危うく処女を奪われるところだった私は、お通し代、ウォッカ代、チューハイ代に唐揚げ代を支払い、ぷんすかと怒りながら居酒屋を後にした。
すぐに帰る気は無かったが、その場に留まるわけにもいかず、私は歩き始めた。
アルコールが程よく身体に回っていて、少し足がふらつく。ウォッカが八割、チューハイが二割ってところだろうか? いや、ウォッカ九割、チューハイ一割だな。
歩いていると、全身がほかほかと温まって、額に汗が滲むのが分かった。足が一層ふらつき始め、視界もぼんやりとする。心なしか頭蓋骨の内側が疼く。
気持ち悪い…。これが「酔い」ってやつか。
少し感動しながら、私は居酒屋通りを抜けて、人通りの無い道に入った。
地形が悪いのか、建物に邪魔されているのか、先程まで吹きつけていた生温い風が止む。湿気だけが充満し、それが体温の上昇と相まって、熱の中を泳いでいるような感覚にさせられた。
早くアパートに戻ろう。そして、今日だけは、クーラーをガンガンにつけて眠ろう。
あ…、明日バイトだったな。明後日もバイトだし、明々後日もバイトだ。しかもオール。午後からはワンオペ。まともに休める日はいつになるのやら…。
いや、そんなことよりも…。
「………」
立ち止まる。頭の中に浮かぶのは、打ち上げの時の光景。
憧れの誠也先輩が、隣にいた城山さんの肩を抱いて…。
「うぎゃああああああっ!」
完全に思い出してしまう前に、私は発狂してその場を転がった。
パンツが見えるのもお構いなしで、足をばたつかせる。
「なによお! 私が頑張った三年間はなんだったのよお! 誠也先輩と一緒になるために、勉強を頑張って、自分を磨いたのにい!」
その瞬間、吐き気がさらにひどくなった。
我慢ならず、道端の側溝に這うより、込み上げたものを吐きだす。
それでも胃のむかつきは収まらず、何度も、何度も吐いた。
やっと収まってきた頃には、私の顔は涙と鼻水と吐しゃ物でぐちゃぐちゃで、一時間かけて施した化粧も崩れかかっていた。
口の中の酸っぱさと、お腹の中が空っぽになった感覚を抱きながら、呆然と目の前の塀を見つめた。
「あほらし…」
一言つぶやいた私は、のっそりと立ち上がった。
塀に手をつき、身体を支えながら歩き始める。
本当、これからどうしよう? 誠也先輩のために頑張った三年間は無駄になっちゃった。テニスだって、そこまで好きじゃないのに、先輩のために頑張ってラケットを買って、練習してきたのに…。
私の身を包む、鎖骨が強調されるように作られた赤いワンピース。銀色のネックレス。足のラインが綺麗に見えると謳った黒タイツ…。捻挫しても構わず履き続けた厚底のブーツ。
全部、全部、無駄になっちゃった…。
「マッチングアプリでも、始めようかね…」
やけくそになって呟き、一歩踏み出し、塀に触れた手をずらした瞬間、手が空を切った。
塀が途切れたのだと気づき、慌てて踏みとどまろうとしたが、酒が回っていたこと、そして歩きにくいブーツを履いていたせいで、足首を捻った。
「ふぎゃあっ!」
そのまま、猫が踏みつけられたような声をあげて倒れ込む。盛大に横腹を打ち付けた。
再び吐き気がこみ上げ、げえっと吐いたが、もう何も出てこなかった。
注意散漫を自戒しながら身体を起こそうとしたら、ワンピースの裾が何かに引っ掛かる感覚がした。構わず立ち上がると、ビリッ! と嫌な音がする。
「嘘でしょ…」
触れて見ると、裾がさっくりと破れていた。下手したらパンツが見えてしまうくらいに。
どうやら、倒れた先に段差があって、そのざらついた角に引っ掛かったらしい。
「こんなことある?」
お小遣いを貯めて、五〇〇〇円で買ったワンピースなのに…。
頭を抱えた瞬間、チャラン…と、金属音がした。
嫌な予感を覚えながら足元を見ると、愛用していたネックレスが落ちていた。
「神さまって、本当にいるのね」
私は呆れて笑い、ネックレスを拾い上げる。チェーンが綺麗に切れていて、もう使い物にならないと思った。
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