④
明美は、私の誠也先輩への恋を、「高嶺の花を取りに、負け戦に突っ込んでいって、地雷を踏んだ」と評価したが、私の恋心はそんな薄っぺらい言葉で表されて良いものではない。
私が誠也先輩に恋をしたのは、実に三年前。私が高校二年生の時に遡る。
当時の私は、恥ずかしながら、あまりいい学校生活を送っていなかった。実家が貧乏なおかげで、友達との遊びにも出かけられず、顔も素朴なため、クラスじゃ目立たない。痩せてはいるものの、胸が無く、少年と見間違えられてもおかしくない体つきをしていた。
そして、少しひねくれていた。
クラスに一人はいる、ブランドもので身を固めた者、アイフォンの新作が出る度に機種変更する者、毎日のようにショッピングモールに遊びに行っては、プリクラを撮って自慢する者。顔が綺麗な者。沢山の彼氏を作っては、食べて、別れる者。
良いよね、君たちはお金があって。きっと、勉強したいことがあれば、私立でも専門学校でも、迷うことなく行けるんでしょう? そうやってのびのびと勉強すれば、将来も安泰だね。
良いよね。君たちは綺麗な顔をしていて。きっと、男…または女がわんさか寄ってきて、結婚に困らないだろうね。心も満ち足りて、余裕をもって、自分の将来の道を切り開いていけるんだろうね…。
そうやって、ささくれていた。だけれど、地味なおかげで誰も私に気づくことはなかった。
誠也先輩だけが、私に気づいてくれたのだ。
「おい、大丈夫か?」
その言葉を掛けてくれたのは、十月に行われた体育祭の時のことだった。
いつものように、運動音痴の者たちを置き去りにして青春を謳歌する者たちに辟易し、心の中で「体育祭は頑張るのに、勉強はしないのね」と悪態を付いていた私だったが、慣れない屋外に長時間居たためか、気分が悪くなってしまった。
頭が痛い。吐き気がする。水も、喉を通らない。
幸い、私に競技は無かったので(一応あったのだが、『絶対に勝ちたいから』と言う理由で、クラスの運動が得意な女子とこっそり入れ替わった)、テントに戻って休憩することにした。だけど、気分の悪さは一向に収まらない。そのうち、首を立てていられなくなり、ぐったりと俯いてしまった。
でも周りの者は、自分たちの青春を謳歌するのに夢中で、そして私は地味だから、誰一人として私の異変に気付く者はいなかった。
粘っこい汗が頬を伝い、舌は餌をねだるようにだらしなく垂れる。視界の焦点が合わなくなり、溢れ出した涙も、粘膜に染みるようだった。
意識を失う…。その時、当時三年生で、応援団長をしていた誠也先輩が気づいてくれたのだ。
「おい、大丈夫か?」
誠也先輩は綱引きの応援を中断して、私に駆け寄り、聞いた。だけど、私は半分意識を失っていて、微かに頷くことしかできなかった。
誠也先輩は、傍にあった水筒を掴むと、私の頭からぶっかけた。
冷たい感触に、意識が引き戻される。
それから、私を抱えた先輩は、周りにいる者たちに言った。
「お前ら、なんで気づかなかったんだよ! 仲間のこと、気に掛けてやれよ!」
一喝した先輩は、私を抱えたまま駆けて、クーラーの効いた保健室へと担ぎ込んでくれた。
熱中症になっていた私をベッドに寝かせると、保健の先生を差し置いて、脇、股、首に氷嚢を押し付け、顔や胸に霧吹きで水を掛けた後に、団扇で必死に仰いでくれた。そうして体温が下がり、私が余裕を取り戻すと、経口補水液をこれでもかってくらい、飲ませてくれた。
救急車が駆け付ける頃には、私の気分はすっかり良くなっていて、一応病院に搬送されたものの、命にまったく別状は無かった。なんだか、恥ずかしかった。
元気になった後日、学校に向かうと、誠也先輩は、「熱中症になった女の子を救った英雄」として、一層有名になり、私もまた、「誠也先輩に救われた女の子」として、ちょっとだけ羨望の眼差しを向けられた。
このままにしておくのもいけないと思い、私は誠也先輩のところに向かった。
先輩は私を見るなり、「おお! 元気になったのか!」と、声をあげ、駆け寄ってきてくれた。
「どうしたんだ?」
「あの…、これ、お礼を…」
そう言って、買っておいたクッキーを渡す。
先輩は受け取るなり、子どもみたいに笑った。
「あの時の? お前が元気になりゃ、それで良いのに…。でもありがとうな! クッキーは大好きだ!」
そして、私の頭を、犬をあやすみたいに、くしゃくしゃと撫でてくれた。
その瞬間、頭の中で、とぷん…と、水面に小石を落とすような音がして、薄暗かった私の世界が明瞭になるような気がした。
心臓が高鳴る。体温が上がり、湯気が出るような感覚に襲われる。
また熱中症だと思われたらいけないから、半歩下がる。
「あの…、それでは…」
そう言って、頭を下げ、逃げるように教室から出て行こうとした。
その時…、先輩が私を呼び止めた。
「おーい、黒宮!」
先輩が、私の名前を呼んでくれた。というか、覚えてくれていた?
驚きと嬉しさで叫びたい気持ちを抑えつつ、振り返ると、先輩は笑いながら私に手を振っていた。その背後には、まるで後光が差しているかのようだった。
「また今度な!」
そう言われて、私は思わず、「はい」と頷いてしまった。
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