②
二〇一四年夏。
北海道よりも南西、沖縄よりも北東に位置する、N県威武火市。
その中心部にある街。某有名書店や、某有名自動車メーカー、某有名製菓の支店が建ち並ぶビル通りの裏に入り、寂れた商店街を抜けた先には、居酒屋通りが広がっていた。
周りを高いビルに囲まれ、ややじめっとした通りだが、それを打ち払うかのように、軒を連ねた飲み屋たちは暖色の照明を煌々と灯し、職場や家で疲れたサラリーマンたちをまるで飛んで火にいる夏の虫の如く誘っている。誘われている者たちもまんざらでもない様子で活気の良い声をあげ、一人、また一人とくたびれた背広が暖簾の向こうに消えていった。
皆、アルコールという飲み物に救いを求めているのだ。
私こと、黒宮栞奈も例外ではなかった。
所属している、県立威武火大学テニスサークルの打ち上げを終えた私は、一次会の居酒屋を出た後、友人の佐藤明美に二次会に誘われるも、それを今に死にそうな顔で断った。
「栞奈ちゃん大丈夫?」
「うん…、ちょっとやばい。気分悪い…」
やばい理由を言うと笑われるだろうから、嘘をつく。
「お酒に酔っちゃったみたい…」
「え…、栞奈ちゃん、ウーロン茶飲んでなかった?」
「多分、ウーロン茶と見せかけたウイスキーだったんだと思う」
「どんな居酒屋⁉」
これ以上友達と話していてもぼろが出るだけなので、私はひらひらと手を振った。
「とにかく、気分悪いから帰るね。明美は、二次会楽しんで…」
今は一人で飲みたい気分だった。今日、打ち上げであった嫌なことを忘れるくらい。
「わ、わかったよ…」
明美は腑に落ちないような顔をして頷いた。
別の友達が駆けてきて、私の容態を聞く。
「ねえ、明美、栞奈ちゃんの具合どうだって?」
「うん、なんか、誠也先輩にフラれたから帰るんだって…」
「おい! なんでばれてんだ!」
気分の悪さなんて吹き飛ばして、私は首がねじ切れんばかりの勢いで振り返った。
私の剣幕に圧されつつ、明美はにやりと笑った。
「いや、バレバレだし…」
「う、嘘だもん! 本当に、ウイスキーにウォッカが混入してたんだもん!」
「さっきと酒の名前変わってるけど? あとウォッカの色って透明だし…」
明美は肩を竦めると、私に歩み寄り、頭をポンポンと撫でた。
「あんたが前々から誠也先輩に恋していたのは知ってるよ。やたら先輩に話しかけていたから」
「うう…」
言い逃れができなくなって、私は歯を食いしばるとともに後ずさった。
明美はまたニヤッと笑うと、息を継いだ。
「あと、化粧が変わったし、香水の匂いが変わったし、『必中恋愛術』なんて胡散臭い本を読んでいたし、パソコンの履歴を覗いたら、名前占いで『黒宮栞奈』と『神宮司誠也』って入力していたし…。河川敷散歩してたら、必死に四つ葉のクローバーを探すあんたを見かけたし…」
「やめて! それ以上言わないでえ!」
何から何まで完全に筒抜けだったようで、私はさっきまで青かった顔を、トマトのように赤くしてしゃがみ込んだ。天を仰ぐと、泣き声をあげる。
「うえええええええええええんっ!」
そのサイレンを思わせる声に、道行くサラリーマンたちが仰々しい顔で振り返っていく。
周りの好機の目なんて気にせずに、私はひたすらに涙を落とした。
「ふられたあああああ…」
馬鹿みたいに泣く私を前に、明美はため息をつき、頭を抱えた
「大体、誠也先輩って女子人気高かったじゃん…。負け戦はわかっていたのに、どうして高嶺の花を取りに行くような真似をするかね…。それに、『フラれた』って言うけど、告白してないし…。誠也先輩に彼女さんがいることを知らずに、勝手に舞い上がって、地雷に突っ込んで爆死するとか…」
「うううううるさい! でも、本当に好きだったんだもん!」
「恋は盲目って辛いね…」
「魚の視力が良いと思うなよ!」
「鯉じゃないから。恋だから。目を逸らして現実逃避をするな」
明美は呆れた顔をすると、二次会の会場を目指して歩いていくメンバーの方を振り返った。
少し焦った顔で言う。
「…それで、結局どうするの? 二次会行くの? 早くしないと、みんな行っちゃうよ?」
「だから、いかないって言ってるでしょ…。ウイスキーと間違えてウォッカ飲んじゃったんだから…」
「ウーロン茶だって言ってるだろうが!」
夜空を揺らし、盛大に突っ込んだ明美は、私の脳が完全に破壊されていることに気づき、諦めたような顔をした。
「じゃあ一緒に居てあげようか? 自分を振った…正確には振っていないけど、誠也先輩と同じ空間でウイスキーに見せかけたウォッカなんて飲みたくないでしょ…。あんたが酒を飲めるのかどうかは知らないけど…」
「いや、いいよ。今は一人になりたい気分だから…。ごめんね」
「ああ、そう…」
明美は白けたように頷くと、「よいしょ」と言って立ち上がった。
スカートの裾に付いた埃を払いながら言う。
「じゃあ、私は二次会行くよ?」
「絶対についてこないでね」
「わかってるよ」
「ついてこないでよ。一人になりたいんだから」
「わかってるって」
「ついてこないでよ…、絶対についてこないでよ…、絶対に…」
「絶対についていかないって言ってんだろうが! このかまってちゃんめがああ!」
私の「一緒に居て」アピールが明美の逆鱗に触れたようで、彼女は天高々に叫んだ。
数十メートル先を歩いていたテニスサークルのメンバーが振り返る。
「おーい、明美ちゃん、どうしたの? 二次会に行くんでしょう?」
「行きますとも!」
明美は私の方を振り返ると、「けっ!」と。ネガティブな捨て台詞を吐き、メンバーの方へと走っていった。
「あれ? 栞奈ちゃんは来ないの?」
「ええ、お酒に酔ったようで」
「あれ? 栞奈ちゃん、ウーロン茶飲んでなかったっけ?」
「そのウーロン茶が、ウイスキーに見せかけたウォッカだったらしいですよ」
「どんな居酒屋⁉」
そんな会話をしながら、サークルのメンバーたちは路地の向こうへと消えていく。その中には、私が大好きな、「神宮司誠也」先輩もいた。彼女の城山さんと、仲睦まじく手を繋いでいた。
私は、雑踏の中一人取り残される。誠也先輩が、「髪の長い女の子が好き」と言うのを聞いて以来、必死に昆布を食べて伸ばした黒髪が、夏の生ぬるい風に吹かれて、烏が翼を広げるように揺らめいた。
やがて、ぽろぽろと涙がこぼれる。
ひっくひっく…と泣いていると、金髪で、色黒で、アクセサリーをジャラジャラと着けていて、貧相な身体をした、いかにも「チャラ男」って感じの男が、私に近寄ってきた。
気やすく私の背中を叩く。
「どうも、お嬢さん、そんなところにしゃがみ込んでどうしたの? 失恋でもしたの?」
「…ウーロン茶の中に、ウイスキーと見せかけたウォッカが入ってたの」
「どんな居酒屋⁉」
私の意味不明な言動に一瞬で引いた男は、幽霊でも見た後のような顔をして、足早にその場を立ち去ってしまった。
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