42 ギムレット

 兄の誕生日が近付いてきました。僕はプレゼントに悩みました。梓が生きていてくれたら、一緒に選んでくれたかもしれないと考えました。

 今まで渡したものは、オイルライター、香水、ネックレス。兄の身の回りのことなら全てわかっていましたし、実用品は必要ありませんでした。

 絵理さんは兄と面識がありましたから、ある日店に行った時、それを相談してみたんです。


「ピアスとかは? あいてたらの話だけど」


 兄にピアスホールがあることは知っていました。しょっちゅう耳を触っていましたからね。


「いいですね。アクセサリーなら、常につけてくれるし」

「坂口さんのこと、好きなんだね」


 それは、深い意味がなかったのかもしれません。しかし、その時の僕は動揺してしまいました。


「はい……好きです」


 絵理さんは何かを感じ取ってくれたのでしょうか。話題を変えました。しかしそれは、青木さんの話でした。


「行方不明になったらしいのよね。警察から事情聞かれたの。瞬くんに迷惑になると思ったから、二人で最後出たことは言ってないけど……あの後のことは知ってる?」

「さあ……駅で別れましたから」


 ドキリとしました。絵理さんが僕のことを話していたら、警察が来ていたのかもしれません。彼女が伏せておいてくれて、良かったのか、悪かったのか。


「青木さん、あの日は酔ってたもんね。すぐ見つかるといいけど」


 もうこの店には来ないでおこう。そう決めました。グレンモーレンジィのロックを頼みました。


「瞬くんってまだ若いのに、大人の飲み方するよね。いいお客さんよ」

「そんなことないですよ」

「社会人になっても来てね。いつでも待ってるから」


 絵理さんには本当にお世話になりました。二十歳の誕生日を迎えたあの日からずっと。彼女と別れることは辛かったです。僕にとっては第二の母でした。

 それから、絵理さんには離婚歴があることを話されました。子供はおらず、再婚する気もないのだと。お店が恋人だと笑っていました。

 僕は絵理さんの店を欲望を満たすための道具として使ったことを恥じました。今でも彼女は営業されているのでしょうか。わかりません。

 最後にしよう、と僕は絵理さんを見つめました。


「ジンライム?」


 絵理さんがそう尋ねたので、首を振りました。


「シェイクしてください。ギムレットになるでしょう?」


 長い別れを想って頼んだものでした。その意味を、当時の絵理さんは気付いていなかったはずです。店を出る時に言われましたから。また帰っておいで、と。

 僕は街中を歩き回り、ピアスを探しました。兄の誕生日は十一月。誕生石はトパーズでした。

 トパーズには、様々な色がありました。黄色っぽいものもありましたが、兄に合いそうなのは青でした。シンプルなデザインの物を買い、リュックの底に忍ばせました。

 買い物をしてきたことは隠して、兄の部屋に戻りました。兄は電車の玩具で遊んでいました。


「おかえり瞬。線路増やしちゃった」


 兄は大がかりなものを作っていいました。円形に組んだ線路をタワー状に重ね、持っている全ての電車をぐるぐると走らせていました。


「凄いね兄さん」

「けっこう時間かかった。しばらく崩したくないな」


 まるで玩具屋に置いてあるディスプレイのようでした。プレゼントはこちらでもよかったかなと思い始めました。


「兄さん。誕生日はどう過ごしたい?」

「そうだなぁ……せっかくだからどこか行きたいな」


 デートには慣れていましたから、いくつかのスポットが浮かびましたが、他の人たちとの思い出がちらつきます。僕も行ったことのないところがいいと思いました。しかし、兄は遊園地がいいと言い出しました。


「ガキの頃以来行ったことないんだよ。なっ、いいだろ?」

「うん……いいよ」


 予定が決まったからでしょうか。兄は一気に元気を取り戻していきました。僕は梓の時に使ったガイドブックを引っ張り出しました。

 どうしても、梓、そして奈々のことが目に浮かびました。あの時の彼女たちは、僕を頼れる彼氏だと信じて疑わなかった。

 死後の世界はないと考えている僕ですが、彼女たちは僕とのあの日をどう思っているかが気になりました。

 兄はガイドブックを読みながら、あれこれ僕に聞いてきました。彼女たちと行っていたことは知っているからです。


「全部回るのは無理か?」

「僕というより兄さんがもたないと思う。年考えて、三十六歳になるんだから」

「オッサン扱いするなよ」

「オッサンでしょ」


 兄が子供っぽいので忘れかけることがあるのですが、僕たちは年の差でもありました。現実的なスケジュールを僕は組みました。

 これが兄との最後の遠出になるかもしれない。そう思うと憂鬱でした。兄とはもっと沢山遊びたかった。それは今でも思うんです。

 けれど、僕の決意は固いものでしたから。せめて当日は、兄のワガママを何でも聞いてやろう。そう考えながら、指折りその日を待ちました。

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