39 考えごと

 ショットバーっていいですね。いくら期間をあけていても、一度常連になれば覚えてくれている。僕の就職が決まったことは、絵理さんは父から聞いていたようで、お祝いの言葉をくれました。

 僕は自分のお酒の引き際をわかっていました。これ以上飲んだら気分が悪くなるライン。その手前でやめました。

 でも、それがわかっていない大人は大勢いました。僕よりも年上なのに。長話を聞かされたり、質問責めにあったり。酔うと人は不思議ですね。色んなパターンを目にしました。

 また別のお姉さんとラブホテルに行ったことがありました。僕の母くらいの年齢でした。離婚歴があり、子供はいない。そのせいか、ずいぶんと僕のことを甘やかしてくれました。

 年上の女性には魔力のようなものがありました。梓も年上でしたが、それを上回るものが。僕がお姉さんに尽くすと、彼女はうっとりとして言いました。


「可愛い顔して経験豊富なんだね」

「そうでもないですよ」

「嘘だぁ」


 お姉さんの腕に抱かれていると、母のことを思い出しました。僕が最後に母と触れあったのはいつの時だったのでしょうか。忘れました。

 母のことは暴く気にはなれませんでした。不倫を自覚していたのかどうか。それを知ってしまうのがこわかったんです。

 母は聖なる存在でした。いつでも僕の帰りを待っていてくれて、優しく、時に厳しく僕を見守ってくれている。

 なので、お姉さんが眠ってしまい、その白い首元を眺めた時、母を重ねてしまい、そこに触れることはできませんでした。

 それに、もうやめようと決めたじゃないか。僕は自分に言い聞かせました。今まで殺してきた四人のことを思い出しました。あれで十分だと。

 梓の時は、衝動的にやりました。あれが全ての始まりでした。味わってはならない快感を知ってしまったのです。

 ルリちゃんは、彼女の憂いをぬぐってやるという大義名分がありました。だから、罪悪感が少なかったのは事実です。

 海斗はかなり計画的にやりました。僕の手に堕ちてくれたあの瞬間のことは忘れられません。

 奈々はもう少し引き伸ばしたかった。せっかく梓に似ていた子です。でも、彼女が約束を破ったんです。仕方ありませんでした。


「おはよう瞬くん。よく眠れた?」


 いつの間にか寝ていたようで、お姉さんに優しく額を撫でられて目を覚ましました。


「色々と……考えごとをしていました」


 僕はもう少しでお姉さんに打ち明けてしまうところでした。人を殺したことがあるんですよ。しかも四人も。ってね。


「まあ、瞬くんくらいの年だと悩むことは多いよね。大丈夫。もう少し大人になれば、若い悩みだったなぁって思うようになるから」

「本当ですか?」

「今、一番楽しい時期でしょう? やりたいことをすればいいよ」


 僕は決めました。あと一人だけ。あと一人だけで本当に終わりにしようと。お姉さんと別れ、眩しい朝日に照らされ、うずきを押し殺しながら、そう考えたのです。

 兄は朝帰りをしてきた僕に何も言いませんでした。本当はわかっていたのかもしれませんけどね。僕からは、いつもとは違うシャンプーの香りがしていたはずですから。

 僕は兄の相手をし、卒論を進めながら、じっくりと見定めました。絵理さんのバーには色々な人が出入りしていましたから。

 青木さんにも、また会うことがありました。元々父の友人です。今夜の分は全部奢るよ、と景気のいいことを言ってくれて、僕は彼の話し相手になりました。


「息子っていいな。欲しかったな。娘も可愛いんだけどさ。やっぱり成長してくると、距離を感じるよ」

「娘さんともっと仲良くなりたいんですか?」

「そりゃそうだ。でも、もう遅いんだろうなぁ。幼稚園くらいの時がピークだったかもしれん。パパ、パパ、って後ついてきてな」


 そうやって、娘さんたちのことを話す青木さんは、本当にどこにでもいる普通のオジサンでした。父のように、息子がいながら不倫をするようなことはしたことがないんだろうな、と感じました。

 青木さんは、突き出た自分のお腹をさすり、ビールばかり飲みました。僕は自分のペースを落としました。途中から、仕事の話になって、社会人になろうとしている僕に説教臭くなりました。

 それでも僕は、真剣な顔つきをして、時に笑顔を交えながら、最後まで話を聞いてやりました。そして、青木さんがまだ四十代だということもわかりました。白髪のせいでしょうか。それにしては老けて見えました。


「こんなにいい息子を持って、賢治が羨ましいよ……」


 父の名前は、僕をぐらつかせるのに十分でした。彼らはかなり仲が良かったようですね。そろそろ日付が変わるかな、という時、一緒に店を出ることにしました。奢ってもらったお礼を言って、僕は青木さんを見つめました。


「ねえ、青木さん。もう少し話しませんか。青木さんの話、面白いから」


 そうです。青木さん。彼に決めたのです。

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