37 実感

 夏休みになりました。去年は海斗の監禁調教をしていたなと懐かしく思いました。大学生最後の夏です。ゼミの皆で合宿をしたり、バイト先の仲間でバーベキューをしたりと、僕は謳歌しました。

 兄は多弁になりました。バイトのシフトを増やし、精力的に働いていました。しかし、それがまずいのだと気付きました。


「兄さん。僕が渡した薬、ちゃんと飲んでる?」


 僕は薬の管理をしていましたが、飲むところまでは見ていなかったのです。


「……すまん。捨ててた」


 そういうことだろうと思いました。兄は薬に拒否感があったようです。僕はしっかり飲み込むところまで監視をしなければならなくなりました。

 そして、ふとした時に兄のスマホの通知画面が見え、マッチングアプリのメッセージが届いていたことが発覚したのです。僕はすぐに問い詰めました。


「兄さん! 男あさろうとしてたでしょ!」

「バレたか……」


 まだ会ってはいない、ということで安心はしました。僕はアプリを消去させました。スマホのチェックまで加わりました。

 兄曰く、僕で満足していないとか、そういうことではなかったそうです。新しい刺激が欲しかったと。


「兄さん。わかってる。全部病気のせいだって。僕がきちんと見張ってるからね」


 そして、突然ずしりと兄は落ち込んだのです。想定はしていたので、僕は決死に兄を支えました。


「死にたい……死にたい……」


 そう言って泣く兄を抱き締めました。兄も僕もバイトを辞めました。一日中付き添って、食事を与え、薬を飲ませ、身体を洗いました。

 弱っている相手が居ると、むしろ自分はしっかりしようと思うものですね。この頃、僕がうずくことはありませんでした。

 性欲もなくしてしまったようで、求めてこなかったので、僕はそっと肌を触れあわせるだけにしました。それだけでも落ち着いてくれました。

 兄はこんなに大変な状況なのに、それが可愛いと感じてしまいました。坂口伊織の本当の姿を僕だけが知っている。それが嬉しかったんです。

 四人の亡霊が兄には見えていました。それは僕のせいでしたから、申し訳ないとは思いました。兄は亡霊たちと会話をしている時もありました。最初は止めました。


「兄さん、死んだらはい、終わりでしょ。兄さんが言ってたじゃない。亡霊なんてものはいないんだよ」


 電車の玩具も試してみました。一度それで上手く行きましたからね。しかし、兄は虚ろな目で電車を追っているだけで、特にそれ以上の反応はありませんでした。

 兄が亡霊たちと話す回数は増えていきました。夜中にふと目が覚めると、ブツブツと何かを言っているのです。


「仕方ねぇじゃないか……瞬のため……瞬のためなんだ……」


 今さらになって、僕は兄を巻き込んだことを後悔しました。けれど、僕は車を運転できませんし、兄に頼るしかなかったのです。

 僕は兄の自由にさせました。時間が必要だと思ったのです。とにかく生きてさえいればそれでいいと思いました。

 兄が亡霊との対話の結果を話してくることもありました。特に梓が一番うるさかったそうです。


「犯されて苦しかったって。瞬、生でやってたもんな。そりゃ酷いよ。まあ、俺が言えたことでもないんだけどな。同じことしたしな」


 仮に僕が梓を殺さなくても、兄がそうしていたかもしれないと思うようになりました。僕の動画を見せて、関係を打ち明けて。それもまた絶望を与えることができたでしょう。

 兄の看病のかたわら、僕は卒論を書いていました。せっかく内定が出たのです。卒業できなければ意味がありません。

 兄は精神科さえ行けなくなりましたので、僕が代わりに様子を伝え、薬を受けとるようになりました。

 薬を待ちながら、一人喫茶店でタバコを吸いました。その頃兄とべったりでしたから、一人きりで過ごせる数少ない時間として大事にしていました。

 どうか夏休みが終わるまでには持ち直してほしい。そう願っていました。単位はほとんど取れていましたが、ゼミがあったので。その願いが通じたのか、兄は亡霊と話すことをやめました。


「俺、脳を病んでるんだよな。こいつらは全て、俺の脳が勝手に作り出したものだ」


 それに気付いてくれたのです。兄の性欲が戻り、久しぶりにメチャクチャに抱いてもらったあの時といったら。

 僕たちはコンドームをつけなくなりました。お互いしか相手がいないのでそれでいいと思っていました。兄は言いました。


「瞬とやってる時はさぁ……自分が生きてるって、実感できるんだよ……」


 僕もそれに賛同しました。相手の鼓動を聞くことは、自分の鼓動を確かめることでした。触って、感じて、伝えて。これ以上尊い行為はないと確信していました。

 本来なら、男性同士の行為など何も意味がないことです。しかし、快感を得られるように身体は作られていました。それが答えだと思いました。


「兄さん、気持ちいい?」

「うん、気持ちいい」


 そう言って、兄は笑うようになりました。まるで少年のような笑顔でした。兄は僕を無垢だと言いましたが、兄だってそうだったんです。

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