36 泥酔

 就職が決まったことを報告しに、実家に戻りました。父も母も喜んでくれました。僕が内定を得た企業はそこまで大きなところではありませんでしたが、毎年新卒を取る余裕があるようなところでした。


「瞬もいよいよ社会人か……」


 父はしんみりとしていました。育児の終わりを悟ったのでしょうね。母も同様で、こんな期待をしていました。


「結婚するなら早い方がいいよ。彼女できたら連れてきなさいね」

「えー、僕に結婚なんてできるかな?」

「子供は可愛いよ。若いうちに生んでもらった方が育児は楽なんだからね」


 僕は父が三十八歳の時の子供でした。乳児期はともかく、歩くようになってからは、公園に行って僕を追いかけるのが大変だったそうです。運動会の親子競技も危ないから参加しなかったのだとか。

 でも、父は年の割には若く見えましたし、僕は気にしたことはなかったんです。そして、もうすぐで六十代になろうとしていたその時も、変わらず若々しいままでした。

 母が作ってくれたそうめんを食べて、父とビールを飲みました。僕は父から、社会人のマナーについてあれこれと説かれました。父も新入社員を育てたことのある身でしたから、余計に心配になったみたいです。

 父が風呂場に行ったので、僕も着いていきました。


「なんだよ、瞬」

「背中流すよ。就職したら、帰ってくることも少なくなると思うし」


 やはり、父と兄の身体は似ていました。ただ、父も加齢には勝てないのか、兄よりも筋肉が細く、痩せていましたが。

 父の身体を洗いながら、くれぐれも反応しないように気を付けました。すると、父の方から僕を触ってきたのです。


「瞬はまだ童貞かぁ」

「そうだよ。悪い?」

「何見てしごいてるんだ?」

「やめてよね、そんな話」


 そんなことを言われたのです。僕は父を犯したいと思いました。今なら力でも勝てそうですし、屈辱を与えることができます。僕のことを身体に刻み付けてみたくなったのです。

 そして、狭い浴槽に二人で入りました。父に後ろから抱き締められるような格好です。


「好きだよ、父さん」

「うん。父さんも瞬が好きだ」


 兄がされたかったであろうこと。兄がかけられたかったであろう言葉。その全てが僕に向いていました。それを思うと、やっぱり兄のことが哀れになるんです。

 風呂からあがり、さらに酒を進めたところで、僕は父に尋ねました。


「兄さんには会いに行かないの?」


 酔っていた父ですが、そこはしっかりと答えました。


「伊織、きっと父さんのこと恨んでるからな。自分からは会いに行かないよ。父さんの葬式の時も来なくていい……そんな感じだ」


 父も自分の老後を見つめていたのでしょうか。こんなことを言い始めました。


「棺にはタバコ入れてくれ。それだけでいい。呼ぶのも親戚だけでいいからな。あまり金かけるなよ」

「わかった。喪主は僕だよね。父さんの希望通りにするからね」


 父は確実に終わり行く人でした。それに比べて、僕はこれからです。父と息子の関係が、変わろうとしているのを、その日の夜に感じました。

 兄の部屋に行き、父と話したことを詳細に話しました。兄はむくれていました。


「父さんは逃げているだけだ」


 それが兄の感想でした。


「母さんから、俺から逃げた。弱虫なんだよ。自分の作り出したものに向き合えないなんてさ。俺を見てくれよ、父さん」


 兄は一人で飲みに行きたいからと出ていきました。僕は不安になりながらも送り出しました。兄はお酒が好きですが、強い人ではありませんでしたから。

 起きて待っていようと思っていました。でも、日付が変わる頃にいつの間にかソファで眠ってしまいました。スマホの振動で目が覚めました。知らない番号からの着信でした。僕はしばしためらいましたが、それに出ました。交番からでした。

 僕は急ぎました。泥酔した兄は、路上で眠ってしまっていたらしく、保護されたようなのです。

 警察官と会わなければならない。僕は緊張しました。兄が何か余計なことを口走っていないかどうか。そればかりが気になりました。


「ああ、弟さんですね。お待ちしておりました。ありがとうございます」


 その警察官は、五十代くらいの、温和そうな男性でした。幸い、兄は僕の連絡先を告げただけで、あとはパイプ椅子に座ってうとうとしていたようです。


「兄さん。帰るよ、兄さん」

「ん……瞬か……」


 僕は兄に肩を貸して立たせました。ずしりと重く体重がのしかかりました。しかし、一刻も早くそこから立ち去りたかった。


「兄がご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」


 引きずるようにして、兄を連れ帰りました。交番との距離がそこまで離れていなくてよかったです。僕は兄を叱りました。


「こんなになるまで飲むなんて……危なかったでしょう。もう二度とこんなことしないで」

「ごめんな、ごめんな瞬」


 兄をベッドに押し込んで寝かせました。翌朝聞いてみると、兄は記憶をなくしていたようで、警察官の世話になったことも覚えていませんでした。兄は言いました。


「俺も母さんと同じだな……酒に逃げるなんて」

「しばらく僕が管理するよ。いいね?」


 そこからです。また、兄は調子を崩していきました。

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