24 二十歳

 僕の二十歳の誕生日当日。一緒に過ごすことに決めたのは、兄でも海斗でもなく、父でした。ショットバーに連れていってくれるというのです。

 バーといってもそんなに堅苦しい所ではないから、とラフな服装で行きました。その店のマスターは女性でした。


「あら賢治くん、いらっしゃい。そちらが瞬くん?」

「はい、絵理えりさん。今日で二十歳になりました」


 絵理さんは、スッキリとした黒いショートヘアーの女性で、年齢がまるでわかりませんでした。しかし、五十代の父を賢治くん、と呼ぶことからして、そのくらいの年代なのだと見当をつけました。

 真っ直ぐなカウンター席しかない小さな店でした。椅子は十脚くらいでしたでしょうか。壁にはずらりとボトルが並んでいて、余計な飾りなどはありませんでした。

 僕たちはシャンパンで乾杯しました。僕がタバコを取り出すと、父は苦笑しました。


「瞬、前から吸ってたな?」

「あはっ、バレた?」


 父のタバコはメビウスでした。マイルドセブンの時から吸っていた、と話していました。


「なんで瞬はピースなんだ? オッサンくさいなぁ」

「えー? カッコいいから」


 もちろん兄の真似でした。そういえば、兄がなぜこの銘柄なのかは知りません。聞きそびれました。

 父は小さなケーキを持ってきていました。他に客はおらず、絵理さんと三人で食べました。彼女が言いました。


「賢治くん、ずっと言ってたよね。息子と一緒に飲みに行きたいって」

「そうなんですよ。長年の夢が叶いました」


 女性ボーカルのしっとりした洋楽が流れていました。僕はこの空間を気に入りました。


「で、本当に瞬は彼女いないのか?」


 海斗とのペアリングは外していました。僕はふんわりと微笑みました。


「いないよ。でも、大学でもバイトでも友達は沢山できた。だからいいんだ、楽しいもん」


 絵理さんなら、僕の知らない父を知っているはず。僕は彼女に話しかけました。


「父さんはいつも何を飲むんですか?」

「賢治くん、一杯目はいつもビールよね。それからウイスキー。締めにジンライム」

「へえ、父さん色々飲むんだ」

「潰れない程度にな」


 それから、お酒について二人から色々と教えてもらいました。父の好きなウイスキーの銘柄はグレンモーレンジィ。オレンジのラベルのボトルでした。

 お酒といえばビールやチューハイくらいしか知らなかった僕です。せっかくなので、シェイカーを使ったカクテルを注文しました。


「はい、ホワイトレディ。度数高いから、無理せずにね」

「まあ、瞬は父さんより強いから大丈夫だろう」


 その名の通り、白いお酒でした。すっきりと爽やかで、エレガントな香りがしました。後でカクテル言葉を調べたことがあります。「純心」でした。絵理さんはそれを知っていて出してくれたのかな、と思うと嬉しくなります。

 父からは就職の話をされました。僕ももうすぐ三年生。下調べくらいはする必要がありました。父が言いました。


「父さんは二回転職してるんだよ。だからまあ、最初の会社で失敗してもいい。まずはきちんと卒業しなくちゃな」

「うん。ゼミも始まるしね」


 ゼミはどこでもよかったので、海斗に合わせました。文学部ですから、卒論も高いレベルのものを求められます。漠然と、SFにしようかと考えていました。


「ねえ父さん。母さんとも結婚二十周年ってことだよね」

「ああ。二人で食事に行ったよ」

「ずっと仲良しでいてよね。僕、父さんと母さんみたいな関係って憧れなんだ」


 もちろん皮肉です。不倫の末に結ばれたカップルが幸せに暮らしているなんて。一人の女性を自殺に追い込み、一人の少年の心に闇を落としたなんて。

 でも、僕は思うんですよ。幸福というものは、誰かの犠牲の元で成り立つのではないかと。兄と僕の幸せだってそうでした。僕は二人の女性を手にかけました。そして、さらに犠牲者を増やそうとしているのです。


「瞬もいつか、母さんみたいな人と巡り合えるよ」

「そうだといいけど」


 新たにお客さんが入ってきました。父と同い年くらいの、メガネをかけた白髪交じりの男性でした。父が声をかけました。


「よう、青木あおき! 今日は息子と一緒なんだよ」

「そうなのか? 賢治。話には聞いてたけど」

「息子の瞬です」


 僕は父と青木さんに挟まれる格好になりました。


「へえ、今日が誕生日なんだ」

「はい。お酒はこっそり父からもらってましたけどね」

「瞬の奴、強いんだよ。これからが楽しみだ」


 絵理さんも交え、四人でガヤガヤと会話をしました。青木さんは、ここの常連で、父とは三年ほど前に知り合ったそうです。奥さんと二人の娘さんがいらっしゃるとのことでした。


「賢治はいいなぁ。うちの子たちなんか、父親となんか絶対飲んでくれないよ」

「ははっ、いいだろう。自慢の息子だよ」


 終電になるまでに、解散しました。僕はそのまま兄の部屋に行きました。今年の誕生日プレゼントを準備していないことを謝られましたが、そんな物は要りませんでした。甘く深く抱いてもらいました。兄は聞いてきました。


「父さん……元気だったか」

「うん。いつか会わせてあげるからね。その計画はしてる」


 父からの愛情を、僕だけが受けとるのは不公平です。兄にも楽しい時間を過ごしてもらいたい。弟として、僕はできる限りのことをしようと考えていました。

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