23 未遂

 兄はバイトを辞めることになりました。日常生活もままならなくなったからです。田舎に帰るという選択肢もありましたが、兄は僕と一緒にいることを望みました。

 兄の祖母には事情を打ち明けて、援助の額を増やしてもらうことにしました。兄の他にも何人かお孫さんがいらっしゃったそうなのですが、兄の境遇を一番不憫に思っていたのでしょう。遺産も全て伊織に渡すから、と兄の祖母は言っていました。

 大学やバイトが終わって、兄の部屋に行き、食事をとらせ、薬を飲ませる。求められれば身体を差し出す。

 兄には亡霊が見えているようでした。梓とルリちゃん、二人分の亡霊が。いきなり暴れだすこともありました。僕は必死になって兄を止めました。

 虚ろな顔をして、兄がベランダで地面を覗いていたこともありました。兄の部屋は九階でした。僕は慌てて兄を羽交い締めにしました。


「なあ、瞬……俺なんて……俺なんて……」


 そうブツブツ言いながら、兄は涙を流しました。兄の看病は重荷でしたが、僕がいないと衣食住もできないのだと思うと、それはそれで嬉しくなってしまったのが本音です。

 僕が兄のヒゲを毎日剃ってやったのですが、さすがに髪は無理でした。兄の前髪は眉にかかるようになりました。伸びているのもカッコいいな、なんて思いました。

 薬のおかげで、夜は眠れるようになったようです。けれど、悪夢を見て飛び起きて、僕にすがりつくこともありました。


「俺、死ななきゃ、死ななきゃ……」


 そう言って震えるのです。相手をしている僕も、バランスを保つ必要がありました。はけ口は、海斗でした。

 海斗はキスまでなら自分からしてくれるようになりました。あれから何人かの女の子と遊んだそうなのですが、やはりルリちゃんを超える子はいなくて、恋愛には発展しなかったようです。僕は心にもないことを言いました。


「ねえ、僕が海斗と居てあげる。好きだよ、海斗。女なんかより僕と一緒に居ようよ」


 僕はまた、うずくようになっていました。けれど、飼い慣らしたいとも思っていました。我慢して我慢して、一気に解放させる。そちらの方が、達成感があると考えたのです。

 大学では海斗と二人でつるむことが増えました。一緒に講義を受け、昼食をとり、タバコを吸って。

 二人で外出することもありました。海斗は芸術が好きだったので、美術館に行ったんです。現代アートの企画をしていて、僕にはその良さがさっぱりわからなかったのですが、海斗は楽しかったみたいです。


「なあ、瞬くん。将来的には移住しない? 男同士でも結婚できる国があるんだよ」

「それは……僕のこと、好きってこと?」

「最近、そう思うようになった。付き合ってよ、瞬くん」


 海斗は僕の彼氏になりました。ペアリングを買って、大学でも見せつけました。しかし、身体の関係だけは、持たせてくれませんでした。

 僕の薬指に光るものを見て、兄は顔を強ばらせました。


「瞬、それ……」

「彼氏できた。でも安心して。次の獲物だから」

「瞬、またやるのか」

「うん。時が来たらね」


 海斗の首に手をかけるその時のことを思うと、気がはやりました。早く、早くそうしてしまいたい。しかし、段階というものがあります。梓の時は雑にしてしまいましたし、ルリちゃんの時も準備をしていたわけではありません。しっかりと予定を組まないと、と僕は一人企てていました。

 兄は一向に良くなりませんでした。僕があんなに看病していたというのに。その日は精神科に行くと言っており、一人で出掛けたようです。僕は大学に行きました。そして、夕方になって兄の部屋に行った時、大量の錠剤のゴミを残し、倒れている兄を見つけたのです。


「兄さん!」


 兄はその日処方された薬を一気に飲んだのに違いありませんでした。呼吸はしていました。僕は迷わず救急車を呼びました。

 病院で処置をされている間、僕はタバコを吸いたいのを我慢しながら待っていました。幸い命には別状がなく、兄は意識を取り戻しました。


「瞬……俺……長い夢を見た……」


 兄によると、僕と兄が同じ家で育つ夢を見たそうです。赤子の僕を兄が抱き、成長を見守っていたとのことです。


「本当にそうだったら良かったのになぁ……最後はな、現実の瞬に呼ばれて目が覚めたよ」

「もう、こんなことしないでね、兄さん……」


 入院してはどうかという話も出ました。しかし、僕が面倒をみるからと言って断りました。何より兄自身が僕と離れることを嫌がりました。


「瞬、ごめんな、瞬」

「心配したよ」

「俺、生きるから。瞬と一緒に生きるから。どうかこんな兄さんのこと見捨てないで」

「見捨てるわけない。ずっと僕がついてるからね」


 兄の病名は変わり、処方される薬も違うものになりました。その甲斐あったのでしょうか。兄は少しずつ元気を取り戻していきました。暇だったから、と言って、ビーフシチューを作って待ってくれていた時は驚きました。ゴロゴロと大量に牛肉が入ったそれを、二人笑顔で食べました。

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