16 斎藤海斗

 二年生になってから、話すようになった男性で、斎藤海斗さいとうかいとさんという方がいました。同じ専攻で、よく顔を合わせるようになったのです。僕は海斗、と気安く呼んでいました。

 海斗は、肩につくくらいの長い黒髪をした男の子でした。前髪も長く、額を出していました。肌は青白く、細身で、端正な顔立ちをしていました。

 そして、彼もルリちゃんのセフレであることがわかり、僕たちは仲を深めました。ただ、ルリちゃんへの想いの強さは僕とは違いました。


「ルリちゃん、一人に絞る気ないのかな。オレは本気なのに……」


 僕はまさしく恋敵ということになるのですが、気も合いましたし、慰める側に回っていました。僕は言いました。


「僕はルリちゃんとはいつでもやめれるけど。ルリちゃん自身がどうなのかな。一人に縛られたくないって感じだよね」

「それなんだよなぁ。どうしてなんだろう。何か辛い経験でもしたのかな」


 海斗があまりにも気にしていたので、僕は直接ルリちゃんに聞いてみました。すると、返ってきたのはシンプルな答えでした。


「こんな楽しいこと、一人だけに決めるなんてできひん。うちは学生の間は遊びたいんよ。もっと色んなこと知りたい」


 海斗も可哀想だな、と思いました。こんな女性に本気になってしまって。ただ、よくよくルリちゃんの話を聞いてみると、結婚願望はあるということでした。


「うち、子供は欲しいねん。できたら女の子。一人だけにするかな。大事に育てるねん」


 そして、こう聞かれました。


「瞬くんは子供欲しい?」

「うーん、僕は要らないかな」


 僕が愛しているのは男の人でしたから、子供なんてできるはずがありません。仮にそうできるのなら、僕が兄の子供を生みたい、なんて考えることもありましたが。

 もう僕は世間一般の幸せというものを諦めていました。望んでいませんでした。父がいつか言ったような、孫の顔、だなんて見せられないでしょう。

 ルリちゃんの答えを聞いた僕は、海斗を呼び出して、彼女の考えを伝えてみました。すると、彼は都合よく解釈したのです。


「オレ、待つよ。ルリちゃんが身を固める気になるまで待つ。絶対いいとこ就職する。それで、結婚して、子供作ってやるんだ」


 僕はもう、放っておくことにしました。恋心が自分でもままならないものであるということは、僕も経験しましたから。

 海斗はルリちゃんに尽くし始めました。愛の言葉を述べ、プレゼントを渡し、お金まで貸していたそうです。

 僕は素知らぬ顔でルリちゃんとの関係を続けました。彼女から呼ばれれば遠慮せずに行きました。

 海斗が本気だということは、ルリちゃんにも十分わかったのでしょう。僕とした後に、うんざりした顔で言っていたことがありました。


「海斗なぁ……悪い子ではないんやけどな。ちょっと重いわ。抱えきれへん。まあ、ほんまに就職できたら考えたってもええかもしれへん。まだ先の話やけどな」


 僕はルリちゃんのなめらかな背中を撫でました。彼女はまるでネコのようでしたから、そこが好きだったんです。

 ルリちゃんにとって僕は、まさしく都合のいい男だったんでしょう。身体の相性もいいし、愚痴も聞いてくれる。けれどドライな距離感を保ってくれる。

 たまにルリちゃんはおかしなことを言い出すことがありました。生まれ変わりがどうの、魂の使命がどうの、そういう話です。

 よくはわかりませんでしたが、スピリチュアルに傾倒していたのでしょうね。お金もそのことに使っていたようです。名前は忘れましたが、占い師の女性がいて、彼女のオンラインサロンに入っていたそうです。

 僕はそういう類いのものは一切信じませんでしたが、ルリちゃんの前では否定はしませんでした。梓が信仰を持っていたように、ルリちゃんにとってはそれがよすがなのです。

 ならば、僕はどうなのかというと、やはり兄でした。彼の言うことなら間違いない、彼の言うとおりにしてさえいればいい、そう思っていました。

 ふとした瞬間に、不安になることがありました。梓のことがバレないかどうかです。その度に兄に言いました。


「いいか、瞬。例えバレたとしても、俺が罪を被ってやる。俺が殺したことにする。瞬は何も関わらなかった、そうして押し通せ」

「でも……」

「俺の方が上手くできるさ。罪を軽くしてもらう。そうして出てきたら、その時は迎えてくれよな、瞬」


 兄はどこまで優しいのでしょう。弟が身勝手に起こした罪を、自分のものにするだなんて。

 そして、あのうずきです。それが何なのか、その頃わかりかけていました。でも、認めてしまうのがこわかった。僕は見て見ぬフリをしました。

 僕はいつからこうなったのか、もはや自分でもわかりませんでした。兄に犯され、しつけられたせいなのか。それとも生来のものだったのか。

 考えるのをやめました。それが一番楽な方法でした。けれど、密かに期待していました。チャンスが訪れるのを。

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