10 幸福
僕が住んでいた街からは、遊園地が遠かったのですが、梓がどうしても行きたいというので、朝早くから出掛けました。
僕は予めガイドブックを読み込み、梓とも電車の中で相談して、どの順に回るか考えました。
梓は絶叫系が好きでした。遊園地にある乗り物は全部制覇したいと言い出し、プランを練るのが大変でした。
梓だって、一般的などこにでもいる女子大生です。彼氏ができて浮かれていたのでしょうね。それは僕も同じでしたから、彼女の望みを叶えようと努力しました。
最初に一番人気のジェットコースターに乗りました。僕、正直そこまで得意ではなかったんですよね。カタタタタ、と上る音に怯えました。降りたい。でも無理。ふわりと身体が浮きました。僕は情けなく叫びました。
「もう、瞬ったらあんなに叫んじゃって!」
「だって……」
「さあ、次行くよ次!」
梓は平気な顔で園内を歩きました。彼女は初めての遊園地なのだと言っていました。とてもそうには見えませんでした。
少し小さめのジェットコースターから、急流滑り、フリーフォール。バンジージャンプだけはお願いだからやめてくれと頼み、梓だけが挑戦しました。
「凄いね、梓……」
「こんなところ行ける機会滅多にないからね。楽しまなくっちゃ」
フードコートで昼食をとる頃には、もうくたくたでした。でも、まだ回りきっていませんでした。暗闇の中を走るジェットコースターが残っていました。
パレードがありましたから、そちらにしないかと聞いてみました。しかし、梓は興味がなかったようで、当初の予定を続行されました。
ジェットコースターって、何回乗っても慣れないものですね。身体の自由がきかず、重力に振り回される。梓は爽快感があると言いましたが、僕にはそれがわかりませんでした。
「梓ぁ、僕、もう無理」
「しょうがないなぁ。最後にあれ乗ろうか。観覧車」
高いところも恐怖でした。しかし、密室で二人きりになれるチャンスです。下を見なければ大丈夫、と僕はゴンドラに乗り込みました。
「わぁ……凄いね」
梓は景色を楽しんでいました。僕は向かい側に座っていたのですが、外は見ずに梓の方だけ向いていました。
「瞬、高いのもダメだった?」
「実はそう」
「あははっ、ごめんね。ねえ、そっち行ってあげる」
梓が隣に座ってきました。そして、僕の腕を掴みました。肌が触れたことで一層緊張は高まりました。そして、今ならキスができるのではと彼女の唇を見つめました。
「あっ、瞬今やらしーこと考えてるでしょう」
「そんなことないよ」
試みは失敗に終わりました。頂上まできて、僕はやっと外を見ました。高すぎると、かえって怖くなくなるものです。梓が言いました。
「全部の乗り物が見えるよ。ミニチュアみたい」
「うん、そうだね」
僕はその日あったことを思い返しました。梓に振り回された一日でした。でも、そういうのも悪くない。彼女は年上の恋人でしたから。
観覧席から降りて、電車に乗り、イタリアンの店で夕食をとりました。予約していたので並ばずに済みました。
「こういうとこ、瞬って抜け目ないよね。頼れる彼氏だよ」
「梓のためだからね。カッコつけさせてよ」
ピザやパスタを取り分け、デザートまでつけました。食後のコーヒーを飲みながら、梓が言いました。
「瞬。幸せって何だと思う?」
「幸せ……?」
梓と話している今が幸せだよ。それくらいのことが言えたらよかったんですけどね。僕は答えに困るだけでした。梓は続けました。
「あたしはね、周囲の人たちが幸せだったら、あたしも幸せ。だから、瞬が幸せになれるお手伝いをしたい」
「梓……」
梓は純粋な女の子でした。僕の劣情などには気付いていませんでした。僕が結婚まで待っていてくれるのだと、そう信じきっているようでした。
「梓。僕は十分、幸せだよ」
そう言っておかないと、ダメな気がしました。梓は手を組んで僕を見つめました。嘘だとバレたくなかったんです。僕は彼女を見つめ返しました。
「そっか。瞬がそう言うのなら、そうなんだね」
それ以上、梓は追及してきませんでした。話は遊園地のことに戻りました。
兄の部屋に行き、同じ事を聞いてみました。
「はあ、幸せ、ねぇ……」
兄も深く考えたことがないようでした。ぶっきらぼうに言いました。
「メシ食えて、風呂入れて、あったかいところで寝られればそれで幸せじゃね?」
「なるほど」
世界にはそれができない人々が沢山います。兄の言うことは納得できました。僕は日本という国に生まれたことを感謝しました。そして、温かい両親の元で育ったこども。
梓があの時、聞きたかった意味が、今考えてもよくわからないんです。言葉以上のことはなかったのかもしれないし、僕にもっと深いことを言わせたかったのかもしれない。全てはもう、遅いのですけどね。
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