09 秘密の形

 夏休みが終わり、僕は兄と梓、両方の相手をする日々が始まりました。バイト先ではいつもの呼び方をして、二人きりになった時だけ変える。そのギャップを楽しんでいました。

 梓とは色々なところに出掛けました。動物園に水族館。キラキラとした眩しい青春でした。梓はもう、お姉さんではなく、僕の恋人。立場は対等になっていました。

 バイトが終わって梓と喫茶店に行くのも楽しみの一つでした。僕はタバコを二種類持ち歩くようになり、梓の前ではピアニッシモを吸いました。


「ねえ、瞬。次はどこ行く?」


 梓は僕とのデートにすっかり満足してくれていました。それもそのはずです。僕は下調べを入念にして、ご飯を食べるところも決めていましたから。


「そうだなぁ……あと行ってないのは映画館とか?」

「瞬はどんな映画が好き?」

「正直、あまり観たことない。今やってるのは……」


 僕たちは喫茶店でスマホを見ながら、あれこれと話し合いました。梓がホラー映画がいいと言うので、その場で僕がチケットを予約しました。

 迎えた当日。週末ということもあり、映画館は人混みでいっぱいでした。僕は飲み物とポップコーンを買い、なんとか見つけたソファに座って時間になるのを待ちました。


「あたし、この時間も好きなんだ。期待が高まるよね」


 そう言ってポップコーンを口に放り込む梓は、とても生き生きとしていて、可憐で、自慢の恋人だと感じました。

 映画、楽しかったですよ。ホラーと聞いていましたが、サスペンスもアクションもあって。悲しい終わり方でしたが、未来への希望も残されていました。

 梓は気に入ったのか、記念にパンフレットを買いました。パスタ屋で昼食をとりながら、二人で映画の感想を言って盛り上がりました。

 僕と梓の感性は似ていたのでしょうね。同じシーンが好きでした。ネットで配信されるようになったら、今度は家でゆっくりと観たいねなどと話しました。

 梓とは、長い時間を過ごしましたが、どちらかの家に泊まるということは暗黙のうちに禁止していました。なので、その日も昼食を食べ終わったら解散しました。

 その足で、僕は兄の部屋に行きました。彼はバイトでしたが、合鍵なら渡されていました。冷蔵庫の中身も把握していて、僕はカレーを作って帰りを待ちました。


「ただいま、瞬。いい匂いだな」


 ちなみにカレーは甘口です。兄は刺激の強いものが苦手なんですよ。緑色の野菜も食べられなくて、とにかく肉が好き。そんな人ですから、料理を作るのは苦労しました。


「……今日は映画だったっけな」

「はい、兄さん」


 兄には僕の行動は自分から全て明かしていました。妬かせたかったんです。兄とは違って、梓となら、普通のカップルとしてデートができる。それを思い知らせたかった。


「梓ちゃんと遊ぶのはそんなに楽しいか?」

「ええ。でも、兄さんとこうしてご飯を食べるのも楽しいですよ?」


 兄との付き合いの中で、僕は少しずつ彼のことを知っていきました。父に捨てられ、母に死なれた後は、母方の祖母に育てられたこと。ケンカに明け暮れ、迷惑をかけたこと。

 高校を出てからは、職を転々としながら一人暮らしを続けていて、誰かと家で食事をとることはほとんどなかったそうです。

 僕なら兄の家族になれる。そう考えていました。実際に、血も繋がっていますしね。

 だから、家事も率先してやりましたし、暇があれば細かいところの掃除もしました。兄の生活に僕という存在を侵食させることに成功しました。

 身体の繋がりも一層激しくなりました。兄は様々な道具を使って僕のことを辱しめました。

 鞭は辛かったですね。セーフワードを決めていたので、大事には至りませんでしたが、真っ赤な痕がつき、とても他人に見せられる身体ではなくなってしまいました。

 兄の鞭には憎しみがこもっていました。僕が一つの家庭を壊した。その憎しみが。僕さえいなければ、兄は一人っ子として、荒れることもなくすくすくと育っていたのでしょう。

 けれど、兄は歪んでしまった。取り返しのつかなくなるまでに。僕を見つけた時の兄は、既にまともではなかったのです。

 僕はその歪みこそ美しいと思いました。バイト先では、きびきびと働いて、周囲の信任も厚い人間が、弟を虐めることで発散させている。

 そして、それを知るのは僕だけで、あの残忍な顔つきも、僕しか見ることができないのだと思うと、心が震えました。


「瞬、ごめんな、瞬」


 鞭をふるった後の兄は、決まってそう謝ってきました。


「好きなのに、痛めつけたくて仕方ないんだ。受け止めてくれよ、瞬……」


 僕は兄をぎゅっと抱き締めました。ボロボロになってしまった身体で。僕は兄のサンドバッグであり、天使でもありました。


「どんなことをされても、僕は兄さんが好きですよ。ずっと側にいます。大丈夫ですよ」


 そう声をかけてやると、兄の目から涙がこぼれる時もありました。そんな泣き虫なところも好きなんです。慰めてやって、認めてやって。僕たちは、そういう形の兄弟になりました。世間では決して認められない秘密の形です。

 泣き止んだ兄が、キスをしてくれる瞬間がたまりませんでした。

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