05 喪失

 僕の頭はまだぼおっとしていました。自分が置かれている状況がすぐには飲み込めませんでした。手首がギシリと痛みました。


「どういうことですか……?」


 ようやく絞り出せたのは、そんな言葉でした。坂口さんは立ち上がり、僕に近寄ってきました。


「なあ、お前の父親。福原賢治ふくはらけんじ。二回目の結婚だったって知ってたか?」


 そんな話は、父からも母からも、聞いたことがありませんでした。そして、僕は坂口さんが父の名を知っていたことに驚きました。


「なんで、父さんの名前……」

「調べたんだよ。転籍何回も繰り返してたから、大変だったんだぞ」


 ベッドの脇に置かれていた小さな引き出しから、坂口さんは書類の束を取り出しました。しばらくはそれが戸籍だとはわかりませんでした。そのとき初めて見たのです。


「ほら、ここ。俺の父親欄」


 そこには、福原賢治の名前がありました。僕は坂口さんの顔を見ました。彼は口角を歪に上げてこう言いました。


「俺は福原賢治の一回目の結婚のときの子供。つまり、瞬。お前とは兄弟だ」


 怒涛の展開に、頭がついていきませんでした。いつまでも全裸で縛られたままというのにも恐怖を感じました。なので、僕は懇願しました。とにかく手をほどいてくれと。しかし、坂口さんは首を横に振りました。


「まだ話は終わっちゃいねぇんだ。俺はお前が高校生のときからずっと見張ってた」

「えっ……?」


 坂口さんは、自分のスマホを見せてきました。電車で座って文庫本を読む僕の顔がずらりと並んでいました。


「毎日前に立って撮影してたんだ。気付かなかったろ? 俺が確認できただけで百二十四冊。けっこう読んだな」

「な、なんで」


 坂口さんは僕の頭を撫でながら説明し始めました。戸籍を辿って僕たち家族の存在を知った彼は、近所に引っ越し、毎日僕をつけていたそうです。

 それは、僕の父が新しい幸せを手に入れたのが気に食わなかったからだと坂口さんは言いました。でも次第に、その目的は外れていったのだと。


「お互い、母親に似たな。あの男の面影なんか残しちゃいない。クリクリしてて女の子っぽい顔してるじゃねぇか。そうしているうちに、可愛く見えてきてな」


 坂口さんは僕の顎を掴み、目線を合わさせました。僕は彼の顔を見るのがこわくて、きゅっと目を閉じました。


「なあ、瞬。お前のこと、好きなんだよ」


 僕が何も言わないでいると、坂口さんは僕の頬をはたきました。


「その怯えた様子も可愛いな」


 そして、坂口さんは自分の服を脱ぎ始めました。僕は呆然とそれを眺めていました。すっかり取り払ってしまうと、彼はまた、僕の顎を掴みました。


「俺は男しかダメなんだよ。それで、血の繋がった兄弟とヤリてぇと思ってな。突っ込む方と突っ込まれる方、どっちがいい?」

「……どっちも、嫌です」


 もう一度、頬をはたかれました。じわり、と涙が出てきました。身体の震えも出てきました。止まりません。


「お前の兄さんは優しいから、どっちか選ばせてやるって言ってるんだよ。早く選べ。じゃないと本気で殴るぞ。三、二、一」

「つ、突っ込まれる方……」

「……マジで言ってる?」


 坂口さんは心底驚いていた様子でした。僕が別の選択肢を取るとばかり考えていたのでしょう。


「何? やったことあんの?」

「ないです……でも……童貞は、女の子に、捧げたいから……」


 思い浮かべていたのは、もちろん梓さんでした。結婚して、初夜を迎えて、慈しみ合いながら結ばれる。そういうことをしたかったのです。坂口さんはニタリ、と気味の悪い笑みを浮かべました。


「さすが俺の弟だ。そういうところ、ますます好きになった。まあ、手加減はしてやるよ」


 今思えば、あれは本当に加減をしてくれていたのだとわかりますが、喪失の痛みは予想以上のものでした。僕は実の兄に貫かれ、絶叫をあげました。

 それでも、僕は僕の尊厳を守れた。そう感じました。この選択が、僕の運命を分けた、そう知るのはもう少し後になってからの話ですが。


「痛いか、瞬」

「痛い……痛いです、坂口さん……」

「まあ、これからは俺のことは兄さんと呼べ。できるな?」

「はい、兄さん……」


 精液とローションでベタベタになったシーツ。さすがにそのまま寝かせるのは可哀想だと思ってくれたのでしょう。僕は一旦リビングのソファに移されました。

 そっと傷つけられたところを触りました。切れてしまっていて、血が手につきました。腹の奥まで、坂口さん――兄の感触が残っており、兄弟で繋がってしまったという事実を再認識させられました。

 シーツを替えた兄が戻ってきました。僕は覚束ない足取りで寝室に行かされました。ベッドに二人で寝転び、兄は僕の髪を撫でてきました。


「実の兄とやった感想はどうだ?」

「……最悪、です」

「ははっ、その顔が見たかったんだよ」


 もちろん、僕がどんな顔をしていたのかは自分ではわかりません。ただ、兄は満足そうな表情を浮かべていました。

 その日は僕もぐったりとしてしまい、そのまま眠りました。兄の腕が身体に回されました。それを振り払う元気すらありませんでした。

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