第20話 神の供物

蝶々とアリスがお茶を用意している間、ルイスと紅夜は居間のソファに腰掛けていた。

「…。」

ルイスはしきりに窓の外を警戒し、月夜がまたすぐにでも戻ってくるのを警戒しているようだった。恐らく蝶々に頼まれたのだろうと思う。

「…ルイスさん。」

「何だよ。」

「さっきは、ありがとうございました。」

紅夜が頭を下げると、ルイスはちらりとこちらを見る。

「格好良かったです。嬉しかった。」

顔を上げ、今度は心から微笑んで見せるとルイスは照れくさそうに唇を尖らせた。

「別に…。」

「本当、かっこよかったよな?アリス。」

ティーセットをお盆に載せてやってきた蝶々が、お菓子を手にしたアリスに問う。

「うん!」

誇らしげに頷くアリスは、テーブルの上に持っていたお菓子を置くとルイスに抱きついた。

「ルイス、王子さまみたいだった!」

「あー、もう!僕のことはいいから!!それより、紅夜のことを気にしろよ!」

はあい、と返事をしてアリスはルイスから離れ、紅夜の隣に座った。その間にお茶を人数分淹れた蝶々は、各々にティーカップを配る。

「ありがとうございます。」

カップを受け取った紅夜は一口、お茶を口に含んだ。それは紅夜が好んで飲んでいたハーブティーだった。

「美味しい…。」

優しく甘い、芳醇な香りに紅夜はほっと一息吐く。

「良かった。ルイスとアリス、砂糖は?」

蝶々に角砂糖をもらい、二人もお茶を飲んだ。

「…何から、話せば良いのかしら。」

紅夜は戸惑いがちに、口を開く。

「まず…、そうね。先ほど、揉めていた男性は私の兄。名前は月夜と言います。彼は私を実家に戻そうとして、この村までやってきたみたいです。」

「いきなりだね。」

蝶々もお茶を飲み、呟く。

「ええ。…きっと、姉の体調が優れないのだと思います。」

紅夜は三人兄妹で、一番下の妹だという。

姉の名前は、白夜。

白夜は美しく聡明で、誰からも愛される人物だった。ただ体が弱い、虚弱体質を除けば完璧な姉だ。

「おねえさん、病気なの?でも、それで何故、こうやを連れて行っちゃうの?」

アリスの疑問は皆のものとして、頭にクエスチョンマーク浮かぶ。

「私の血を必要としているのでしょう。」

紅夜は自分の左腕をそっと押さえる。そこに存在する傷痕は、過去に血液を採取するために付けられたものだった。

「血を…?」

蝶々がいぶかしげに紅夜を見る。紅夜は頷いて、言葉を紡ぐ。

「血を、魔術に使うんです。」


紅夜が生まれた石蕗家は爵位のある名家だった。

一族総じて金髪と碧眼が目立つ麗しい容姿の家系だと、紅夜を蔑むためにかけられた言葉で知った。


ー…黒髪に赤目だなんて、まるで魔女のようだ。

ー…仕方が無い。あの子は悪魔の子なのだから。


ー…せめて、その生を姉のために使えれば良い。


紅夜は石蕗家の屋敷の離れに隔離され、外に出ることを禁じられていた。退屈な時間を、たまに与えられる古い書物で紛らわしていた。何度も何度も読み返した物語を、再び読もうとしたときだった。

『!』

不意に、本邸の中庭から笑い声が聞こえ、紅夜は窓から中庭を覗いてみた。

そこには父親と剣の稽古をする月夜と、母親と刺繍をする白夜の姿があったと言う。それはまるで、理想の家族の完全体のようだった。

紅夜は羨ましく、そして寂しくその様子を眺めていた。

『私も、こんな髪の毛の色じゃなければよかったのかな…。』

紅夜がぽとんとインクが滲むように呟いても、誰も聞いてくれる者はいなかった。

ある日のこと。木陰でもはっきりわかるほど白夜の顔色が悪くなり、母親が紅夜の元へと訪れた。束の間の来訪が嬉しくて、紅夜は無邪気に喜んでしまった。

『ついていらっしゃい。』

母親は無表情にそんな紅夜の手を引いて、家の敷地内にある教会の地下にある供物堂へと向かった。

かつん、かつん、と石の階段を下る中、暗闇に母親の持つろうそくの明かりだけが頼りで紅夜は彼女の服の裾をぎゅっと握り締めていた。

供物堂の中は湿気が高く、鉄が錆びたような匂いが充満していた。

『紅夜、よく来たね。』

先に到着していた父親が両手を広げて、紅夜を招く。紅夜が父親の元へと行くと、白夜にしていたように抱き上げてくれた。紅夜はやっぱり嬉しくて、彼をぎゅっと抱きしめる。

いい子だ、と囁かれながら、紅夜は臙脂色のクロスがかけられた祭壇へとおろされた。

父親は、紅夜の左腕に刃物を添える。

これから何が起こるのかを理解していない紅夜は、きょとんと目を丸くしていた。

『紅夜。今日からお前は、神の供物として血液を捧げるのだ。』

『白夜のためよ。光栄に思いなさい。』

両親の言葉を最後まで聞き終えた瞬間、刃物が紅夜の柔い肌の上を滑った。熱い高温が線になって引かれたようだと、紅夜は思った。

痛みと痺れが、紅い血液を伴って溢れ出す。その刺激に涙が零れるが、誰も慰めてなどしてくれなかった。

その日を境に、月に一度。両親は紅夜の左腕を傷つけて、血液を採取するようになったのだ。

『痛いよぉ…っ、』

傷つけられた日の夜は、その痛みにしくしくと泣いて過ごした。とても眠気など訪れなかった。

いっそ、眠ってしまえれば。気を失ってしまえば、こんな激痛を感じる目に合わないのに。

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