第19話 悪魔の子
「久しいな、紅夜。」
サチに礼を言い、教会から送り出して青年は紅夜を見る。その目色に先ほどまでの温かみは滲んでいない。
「…月夜兄さん。」
彼の名前は石蕗 月夜。紅夜の実の兄だった。
「相変わらず、不吉な色の髪と瞳だ。いっそのこと染めたらどうだ。」
月夜はまるで冗談のように、紅夜の容姿を蔑む。
「主の前で姿を偽りたくないので。」
紅夜は目を伏せて、平静を装う。
「お前が神の名を語るだなんて、随分と偉くなったものだな?シスター。」
ふと、村人が月夜の姿を認め遠目で様子を覗っているのがわかる。月夜は小さく舌打ちをして、教会の礼拝堂に踏み込んで扉を閉じた。
「遠慮の無い田舎はこれだから嫌だ。村人がこんななら、お前の生活もたかが知れているな。」
「…皆、心優しい人たちばかりよ。悪く言わない、」
紅夜の言葉を遮って、月夜は教会の長椅子の背を強く蹴った。大きな音が響き、紅夜は一瞬身をすくませる。
「悪魔の子が、俺に指図をするな。」
紅夜の胸の内に、ずしりと鉛のような感情が生まれて佇む。
ー…悪魔の子。
紅夜は幼い頃から家族にそう言われて、蔑ろにされてきた。家の離れにたった一人、幽閉され、生きる喜びがないままに生かされた。その生にはたった一つの理由があった。
「お前なんか、火炙りになってもおかしくないんだ。」
『火炙り』の言葉に、紅夜は肩を震わせる。その様子を月夜は薄ら笑いで見つめ、更に言葉を紡ぐ。
「まあ、何。俺は鬼じゃない。実際に愛しい妹が炎に焼かれるだなんてことは些か不本意だ。」
家柄に傷も付くしな、と本心も添えることを忘れない。
「紅夜。俺と供に来い。父上が、お前を所望している。」
そう言って、月夜は紅夜の手を取った。そしてそのまま彼女を連れて行こうと、扉まで大股で歩んでいく。
「え…、ま、待ってください…っ!」
紅夜は狼狽する。
「いちいち手を煩わすな。さっさとしろ!」
「離して、」
「紅夜!」
月夜が開け放った扉から、小さな影が二人の間に立ち塞がった。
「ルイスさん…。」
紅夜の盾になったのは、ルイスだった。紅夜はへなへなと膝から崩れ落ちる。
「こうやー!!」
アリスが紅夜の元へと駆け取って、彼女を強く抱く。そして、月夜に向かって威嚇するように二人は歯をむき出しにした。
「何だ、こいつら…!」
「あんたこそ、何?」
月夜の背後から、蝶々がいぶかしげに睨みながら立った。
「紅夜に何か用?ていうか、誰。」
長身の蝶々に見下ろされ、月夜は気分を害したようだった。「俺は、紅夜の兄だ。家族の問題に関係ないヤツは引っ込んでいてくれないか。」
そうなの?と蝶々は、視線で紅夜に確認を取る。
「は…、はい。兄の月夜です。」
戸惑いがちに頷く紅夜を見て、蝶々はふむと呟く。
「紅夜のお兄さん。ぱっと見、人さらいと一緒ですよ。紛らわしい真似はお控えください。」
蝶々に不敵に微笑まれて、月夜の頭にカッと血が上る。
「人さらいだと!?ふざけるな、侮辱だ。撤回しろ!俺だって、こんな悪魔なんかに用はなかったのに…、」
月夜の口が、蝶々の大きな手のひらで塞がれる。
「どうか口を慎んでください。」
蝶々の金色の瞳が鈍く光った。それはまるで、獲物を見つけた獣の目だった。
「…噛み殺すよ?」
「チッ…!」
月夜は蝶々の手を払いのけて、距離を取った。
「紅夜!明日、また来る。それまでに、この無礼者たちを飼い慣らしておけ!」
そう言い捨て、月夜は村の外に止めた馬車に戻っていったのだった。
「…。」
蝶々とルイスが月夜の姿が見えなくなるまで睨む中、アリスは紅夜をずっと抱きしめていた。
「こうや、大丈夫?」
「…うん。ありがとう。」
小さな体に子ども特有の高い体温を宿し、アリスの少し早めの心臓の鼓動が紅夜の気を落ち着かせた。
「あの…、皆さんはどうして…。森に向かったはずでは?」
紅夜の問いに蝶々が答える。
「ああ、忘れ物をして引き返してきたんだ。」
「忘れ物…。そうですか。」
そういえば、居間のテーブルの上に蝶々のコンパスが忘れてあった。今、ひたすらにコンパスに感謝する。
「お見苦しいところを、見せちゃいましたね。」
「無理に笑わなくて良いよ、紅夜。」
尚も紅夜を抱きしめるアリスに習い、ルイスもそっと抱きしめてくれた。
「笑って、自分を誤魔化そうとしているのかも知れないけど、それって多分逆効果だから。」
「ルイスの言うとおりだな。」
ふと小さな溜息を吐き、蝶々が三人の元へと近づいた。
「お茶にしよう。まずは落ち着いて話を聞かせてくれないかな、紅夜。」
心配そうにこちらを見つめる村人たちに礼を言い、蝶々は三人を伴って教会の居住区へと戻っていった。
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