第16話 ペースメーカー

「ほら、シャンプー流すから目を瞑って。」

蝶々はルイスの髪の毛を洗う。

「~…!」

耳にお湯が入らないように押さえ、ぎゅっと目を瞑るルイス。その様子を見てふっと笑いながら、蝶々は桶に溜めたお湯を彼の頭上からかける。白い泡が排水溝に流れ出て、ぷるぷるっとルイスは髪の毛から滴り落ちる水分を払った。「なんだ、平気じゃん。」

「水が温かいから…。」

「まあなー。水だったら、毛並みが綺麗になっても寒いもんな。」

ルイスを浴槽に入れて、蝶々自身も体を洗う。

「…蝶々は、さ。」

「ん?」

薬湯で体を温めながら、ルイスは蝶々に問うた。

「人間、怖くなかったのか?」

「人間って…、紅夜のこと?」

蝶々は手を止めて、ルイスを見る。

「ルイスは怖かったのか?」

「質問に質問で返すなよ。」

「もっともだな。」

蝶々は紅夜のことを思い、笑みを浮かべた。

「怖くないよ。いざとなったら、俺の方が力が強いし。」

「サイテー。」

「大事なことだよ。どっちが弱者かを気にするのは。でも聞きたいのは、そういうことじゃないんだろう。」

言葉を一旦止めて、蝶々は体を洗うのを再開する。

「だまされたり、裏切られたりするのが怖いのか。ルイスは。」

「…。」

沈黙は肯定を表していた。

「相手が、紅夜だからなあ。その心配は無いな。」

「何で言い切れるのさ。」

「だって、初対面でお前たちに腹出して寝て見せてるんだぞ。恐らく、紅夜は俺たちがその腹を食い破るかもしれないって可能性を少しも抱いていない。」

ルイスは紅夜の控えめで、白い腹を思い出す。柔そうな肉は歯を立てられれば、簡単に千切れるだろう。

「紅夜はルー・ガルーの俺たちを過ぎるぐらいに、信用してる。」

「信用には応えたいってこと?」

そうだ、と蝶々は頷く。

「半分狼、半分人間の生き辛い俺に良くしてくれた彼女に信用されたい。それには、まず紅夜を信用することだ。信用ていうか…、信頼してる。」

「…ふーん。」

蝶々はお湯で体の泡を流す。

「ルイスはまだ、そこまでの領域に達してないんだろ?」

「…ごめん。」

謝ることはない、と言って、蝶々は浴槽のルイスの反対側に座った。

「ルイスは正しいよ。そんなに簡単に、人を信じてはいけない。」

天井から雫が落ちて、水面に輪が広がる。

「でも、これだけは言える。紅夜を信じられる日が絶対に来る。違えたら、俺の喉笛を噛み切っていいよ。」

「言うじゃん…。その言葉、忘れんなよな。」

ルイスは呆れたように、溜息を吐いた。

「アリスが信じきっちゃってんだよなあ。それなら、僕だって信じてやんねえと。」

「信じ方のペースメーカーは誰でも良いと思う。」

蝶々は紅夜自身で、ルイスはアリス。きっとそれでいい。

「危なっかしくて怖いんだよなあ…、紅夜。いつか、悪い輩に捕まるんじゃないかって。」

苦虫を噛み潰したかのように渋面を作る蝶々に「その気持ちはわかる」とルイスは共感するのだった。


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