第12話 正座しなさい。


人間の姿に戻った蝶々の前で、二人の子どもが正座させられていた。

「…。」

「…ええと、蝶々さん?そんなに怒らなくても…。」

紅夜は困ったように首を傾げ、三人の様子を見守る。

黒い狼だったのは男の子。灰色の狼は女の子で、どうやらアリスという名前らしい。アリスは泣きじゃくり、まだ名前の知らない男の子は正座ながらに憮然とした態度だ。

「甘いよ、紅夜。彼らは俺たちに危害を加えようとしたんだ。」

「勝手にテリトリーに入ってきたのは、お前らだろ!」

わめくように、男の子は言う。

「そっちの女の子は紅夜のお弁当を盗もうとしてたらしいじゃないか。」

「ご、ごめんなさ…っ、」

一方で指摘されたアリスは肩を震わせた。

飛びかかってきた男の子を蝶々は軽々と避けて腕を掴み、その様子を見てアリスが蝶々の足にしがみつくようにタックルをしたのだ。ちなみにそれぞれ裸だったので、紅夜が慌てて布地を提供した。

お互いに第一印象は最悪なはずなのに、三人で揉めている様子がまるで兄妹げんかのように思えて、紅夜は人知れず微笑ましい気持ちになった。

さて、どうやってこの場を諌めようか。

紅夜は息を吸って、大きく声を張った。

「ストーップ!!」

「!?」

彼女の制止に、三人が動きを止めて紅夜を見た。

「蝶々さん、そろそろ出発しないと朝のお祈りに間に合いません。お二人は…、どうでしょう?教会にお招きしては。」

「…紅夜さん?」

蝶々は口元を引きつらせる。

「お話はどこでもできます。」

「話っていうか、説教なんだけど。」

紅夜と話し込んでいる隙を狙って、子ども二人はそろりと逃げようとして蝶々に素早く捕まった。

「きゃあ!」

「離せよ!バカ!」

「…。」

きゃんきゃんとわめく子らを抱えて、蝶々は大きな溜息を吐く。そして地面に下ろすと、ずい、と紅夜の前に突き出した。どうやら、紅夜が話を付けろという意思表示のようだ。

紅夜はローブの裾が汚れるのをいとわずに膝をつく。そして微笑みながら、二人と目を合わせる。

ルー・ガルーの子どもたちの瞳はおそろいの蒼色をしていた。

「ええと…、アリスさん、だったかしら。可愛い尻尾を踏んづけてしまって、ごめんなさい。」

「…。」

アリスの涙目が、紅夜をじっと見つめる。

「良かったらお詫びにお茶会にお誘いしたいのだけど、どうかしら?」

「…え?」

彼女の蒼の瞳が一瞬、輝いた。

「おい、アリスをそそのかすなよ!」

「で、でも。ルイス…、」

蝶々は苦い顔をしているが、介入はせずに見守っていてくれる。

「ルイスさんと言うのね。よかった、名前を知れて。」

何て呼ぼうかと迷った、と紅夜は告白する。

「ルイスさん、アリスさん。お腹が空いているんじゃない?」

「…。」

ルイスとアリスがぐっと唇を噛み、俯いた。

「バスケットの中身はもう食べてしまって、香りしか残っていないのだけれど。お二人が、私たちの元へ来たのはその香りに誘われたのでは?」

きゅう、と小さくアリスの腹が鳴った。ルイスは彼女を励ますように手を繋ぐ。その兄弟愛を眩しそうに見つめ、紅夜は言葉を紡いだ。

「教会が嫌じゃなかったら、そこで一緒に朝ごはんにしましょう。」

「きょうかい…て、何?」

アリスが初めて、自らの疑問を紅夜に告げる。

「神様のおうち。」

「ふうん?」

紅夜の答えに、アリスはきょとんと首を傾げた。どうやら苦手意識は無いようだ。

「…そうやってうまいこと言って、僕たちを捕まえる気だろ。」

「いいえ?」

うーん、と紅夜は考えるように首を捻って、蝶々を手招きする。そして近づいた蝶々に、こそこそと耳打ちをした。

「…え、」

「教えて。」

蝶々は驚き、目を丸くする。そして言い淀みながら、紅夜の耳元で囁く。ふむふむ、と聞いていた紅夜は大きく頷くと、再びルイスとアリスに向き合った。

「えーと、」

紅夜は突然、ローブの留め具を外して白い腹部を露わにする。

「!」

驚くルイスたちの足元で仰向けに寝転んでみせる。

「降参です。」

それは狼同士で使われるポーズで、意味は『あなたを害するつもりはありません』だった。ルイスとアリスは、ぽかんと口を開けて紅夜を見つめた。

「…あれ?違ったかしら?」

難しいものですね、と呟き紅夜はお腹をさらけ出した格好のまま首を傾げた。

「もういいだろ、紅夜。君がそこまですること、」

蝶々が紅夜を立たせるために、彼女に手を貸そうとする。その前に、アリスが一歩前に出た。

「アリスっ!」

ルイスが止めるより先に、アリスが紅夜に手を差し伸べた。「…あの、」

微かにその手は震えている。

「あなたを、信じたい、と思います。」

「…ありがとう。」

勇気を出したアリスの小さな手を、紅夜はそっと握った。そして彼女の手を借りて、紅夜は上半身を起こすのだった。

「いいか、アリスが行きたいっていうから、仕方なくだからな!」

「理由はそれで充分よ、ルイスさん。」

「気安く名前を呼ぶなっ。」

紅夜はほがらかに笑う。ルイスは未だに納得がいかないといった様子で、きゃんきゃんと吠えるように強がりを言う。

二人から四人になった帰り道、朝のお祈りに間に合うように少し急ぎ足だ。

アリスはすっかり紅夜に懐いたようで、しっかりと手を握っている。

「ねえ、こうや。こうやは、狼にならないの?」

「そうね、なったことはないわね。」

紅夜の答えを聞いて、アリスは先を歩く蝶々をちらっと見た。

「あのお兄さんは狼だったよ?それなのに、一緒にいるの?」

「蝶々さん?ええ、そうよ。」

「番い?」

純粋なアリスの素朴な疑問。

「…家族なの。」

紅夜の声色に含まれるのは温かく、やわらかいものだった。「私とルイスも家族だよ。双子なの。一緒だね。」

「そうね。」

アリスは無邪気に笑い、紅夜と握った手をぶんぶんと振る

やがて森林の木々立ちの身長が低くなり、視界が開けた。

太陽は頭上斜めに位置して、人々の覚醒を促すように光りを差す。視界いっぱいの空の端に、僅かに夜の名残の色を残していた。そして丘を越えれば、村に着く。

森に向かったときと同じく、裏口から教会の居住区に入る。教会の外には、すでに数人の信心深い村人が扉が開くのを待っているようだった。

女子と男子に別れ、着替えをすることになった。アリスと別れるのを渋ったルイスだったが、蝶々に引きずられるようにして連れて行かれた。

紅夜は手早くローブを着替え、教会に向かおうとする。

「…こうや。」

一緒に紅夜の自室まで来たアリスが、もじもじと手の指を絡ませる。

「なあに?」

「私も、教会に行ってもいい?」

どんな場所で、何をするところなのか興味があるのだろう。

「もちろん。服が、私のお古で申し訳ないのだけど。」

アリスは、紅夜の少ない私服であるシャツをワンピースのように着ていた。自室に着き、まず最初に手渡した物だ。きっと今頃、ルイスも蝶々から服を借りているところだろう。部屋の外で男子二人が口げんかをする声が、聞こえてくるが。

「ルイスさんも行くかしら。」

「私が誘えば、行くと思う。」

アリスが内緒話をするように、声を潜めた。

「あのね、ルイスって私のこと大好きなんだよ。」

「うふふ、見ててわかるわ。」

和やかな女子グループとは裏腹なのは、蝶々とルイスだった。

場所は蝶々の部屋。

「汚しても良いけど、破くなよ?」

元々面倒見の良い蝶々は、ルイスを警戒しながらも服の用意をする。

「なあ、あんたの服でかいんだけど。それに甘ったるい匂いがする。」

「そりゃそうだろ。体格差あるんだから。あと、匂いは洗剤の香りだよ。」

服の裾をまくり上げながら、ルイスは憤る。

「絶対にあんたより、大きくなってやる!」

「はいはい…。頑張ってくだサイ。」

「なんかムカつく!!」

コンコンコン、と蝶々の部屋の扉がノックされた。

「蝶々さんたち、着替え終わりました?」

「ルーイースー!!」

女性陣の華やかな声の呼びかけに、二人は同時に応えた。

「今行く、紅夜。」

「待ってて、アリス。」

意外にも息は合うようだった。

アリスのお願いにより、四人全員で教会に向かう。紅夜が扉を開くと、村人たちがぞろぞろと祭壇の長椅子に着席した。

「…。」

アリスとルイスは互いに手を握って、後方で見守っている。たくさんの村人たちに圧倒されているようだった。そんな二人に気が付く村人もいた。

「おや、見かけない顔だね。」

最初に紅夜に二人について話しかけてきたのはサチの父親だった。

「ええ。森で迷子だったところを保護しまして。」

「そうか…、捨て子じゃないといいですね。」

食いぶちを減らすために、子を捨てるのが珍しくない時代だった。ルイスたちを哀れに思ったのか十字を切って、言葉を紡ぐ。

「うちに、サチの古着がある。女の子の方なら着れるんじゃないかな。このお祈りが終わったら、持ってこよう。」

それは願っても無い申し出だった。

「ありがとうございます。そうしていただけたら、きっとあの子も喜びますわ。いいかな、サチ?」

父親と手を繋いでいたサチも大きく頷いてくれる。視線はルイスとアリスに向けられていて、話しかけたくてうずうずしているようだった。もしかしたら、彼らと友人になってくれるかもしれない。

サチと父親に短い別れを告げて、紅夜は聖書を手に祭壇に立つ。

「今日は、世界の創造についてお話しましょう。ページは…、」

厳かに始まる朝のお祈りと対話を、ルイスとアリスは興味深そうに見学していた。


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