第7話 覚悟

紅夜は教会の前の庭で子どもたちと戯れる蝶々を見守っていた。

最初こそ、互いにどう接すればいいかわからずに遠目で観察しているだけだったが、いつの間にか蝶々と子どもたちは歩み寄って遊ぶようになっていた。

「蝶ちゃーん、テントウ虫を見つけたよ!」

「本当だ。七星テントウだね。」

子どもたちの頭を撫でる蝶々は穏やかで、やわらかく笑む。蝶々の大きな手のひらは子ども心にも気持ちが良いのだろう。撫でられた子どもは照れくさそうに笑っていた。

特に蝶々に懐いたのは、サチという女の子だ。サチは長身の蝶々の足にしがみつくようにしてじゃれる。

「蝶ちゃん、蝶ちゃん。」

「何、サチ。」

蝶々が猫背になってサチの顔を覗き込むと、彼女は嬉しそうに頬を赤くしてはにかむのだ。

「どんぐり、あげるね。一等良いやつだよ。」

「へえ。見せて。」

もらったどんぐりを蝶々は眩しそうに太陽にかざしてまじまじと見る。そして大きく頷いた。

「丸々としていて、色つやもよくて、とても良いどんぐりだね。ありがとう。」

「うん!」

蝶々は思いがけず褒め上手だった。どんぐりを褒められたサチはそれを見つけ、人に与えたという誇りに満ちた表情になる。

相手が大人だろうと、子どもだろうと関係なく賛辞の言葉を惜しまない。紅夜の父親から教わった処世術かはわからないが、それは人とのコミュニケショーンを円滑にする潤滑油だった。

「こんにちは、シスター。蝶々さんも。これ、家の庭で採れたビワなんだけど、よかったら食べて。」

最初こそ困惑と驚愕が入り交じった表情をした者も、今では村人は蝶々が紅夜の親戚という言葉を信じ、受け入れてくれた。

「ありがとうございます。いつもすみません。」

紅夜は受け取ったビワを一つ手に取り、口に運ぶ。さく、と果肉が割れ、あっさりとした甘みが口に広がる。

「紅夜、俺にも。」

「サチも食べたい!」

サチを肩車した蝶々が、紅夜の元へと来る。紅夜は皮をむいて、ビワを二人に差し出した。

「ありがとー、シスター!」

「はい、どうぞ。ええと、紅夜にも。」

「ん。」

サチが後ろに落ちないように足を支えているために、蝶々は両手が使えない。紅夜の手から蝶々は直接、親鳥から給餌された小鳥のようにビワを食む。

「美味しい。」

「でしょう。」

紅夜が指に残った果汁を舐める。その様子を見ていた村の女性は、ふふふ。と意味ありげに笑った。

「? 何か?」

「あ、ごめんなさいねえ。何か、新婚さんみたいだと思って。」

仲が良いのね、と言葉を紡がれ、紅夜は無性に恥ずかしくなって顔を伏せた。ちらりと蝶々を横目に見ると、彼は意味がよく理解できていないのか小首を傾げていた。


夜のお祈りを終えて、自由時間という余暇。

蝶々はよく祭壇のある教会で聖書を読んでいた。蝶々が教会や、神に恐怖を抱かないのは幼いころからの父親による教育の賜物だ。

蝶々曰く、信心深い父から聖書の内容はよく聞いていたが聖書自体には縁が無かったという。その話を聞いて紅夜が、自分の使い古した聖書で良ければ、と蝶々に与えたのだ。

「蝶々さん。飽きませんか?」

ぎ、と重い扉を開けて、教会の蝶々に声をかける。

「…。」

返事はなく、どうやらよっぽど読むことに熱中しているらしい。紅夜は苦笑して、町長が座る長椅子の反対側に腰掛ける。気が付くまで待ってみようかとも思ったが、止めなければ一晩中、聖書を読んでいるだろう。

「蝶々さん?…蝶々さん。」

「…。」

「蝶々。」

呼び捨てたのは、ちょっとしたいたずらのつもりだった。どうせ気が付かないだろうと、高をくくっていたのに。

蝶々は、紅夜が呼び捨てをした名前に反応した。

「…え?」

「…!」

蝶々の金色の瞳が、紅夜を捉える。邪気の無い視線が絡み合い、紅夜は言葉を失った。

「紅夜。いたのか。」

ぱた、と聖書を閉じて、蝶々は紅夜と向き直る。

「何か用?」

「え?…いいえ、用ってほどじゃないよ。ただ、熱心に聖書を読んでいるなって思って。」

邪魔してごめん、と言葉を結ぶ。

「全然、邪魔じゃないよ。こっちこそごめん。気付かなくて。」

「ううん。聖書はおもしろい?」

蝶々は愛しそうに、聖書の表紙をなでた。

「興味深いよ。」

「そう。よかった。」

二人はしばらく、祭壇に掲げられている十字架を見つめていた。窓には前には引かなかったカーテンが掛かっている。月光を遮るためだ。

蝶々は月光、特に満月の光にはあらがえないという。二人が出会った日も、満月だった。

「…紅夜。」

「何?」

「俺が渡した弾丸は、持っている。」

紅夜と暮らしを供にすることを決めた日、蝶々は紅夜の手のひらに再び純銀の弾丸のネックレスを握らせた。

「うん。ここにあるよ。」

紅夜は自らの胸元を押さえるようにして答える。

「見せて。確認させて。」

「いいよ。」

ローブの留め具を外そうとすると、蝶々の手が遮った。

「俺が。」

蝶々は長い指を使って、ローブの胸元を見るために留め具を一つずつ外していく。まるで焦らされているように、ゆっくりとした手つきだった。

「…っ、」

やがて露わにされる紅夜の胸元。わずかに覗いた肌の上に、弾丸はあった。ちり、と金属のチェーンがこすれ合う音が響く。蝶々が弾丸に触れた。

「…うん。ちゃんとあるね。いい?紅夜、これは肌身離さずに持っていて。」

そう言うと、蝶々は弾丸に口付ける。蝶々が鼻の先、すぐそばにいる。

約束したのだ。

村人を襲うことがあれば、今度こそ殺してくれ、と。

紅夜は重荷になるとおもったので口にはしなかったが、そのときは自らも死のうと思った。

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