第6話 あなたの過去

ささやかな朝食を食べながら、蝶々は自分のことをぽつぽつと話してくれた。

「祖父が狼でした。継いだ母はさほど狼の血は引き継がなかったんですが…、俺は隔世遺伝で狼の血を色濃く引き継いだんです。」

「そうだったんですね。スープのおかわりは?」

いただきます、と素直に頷く蝶々に紅夜は器にスープを注ぎ、手渡す。

「ありがとうございます。…どこまで、話しましたっけ。ええと…、ああ。そうだ、隔世遺伝。」

次に出る言葉を待っていると、蝶々は言い淀みしばしの沈黙の間が降りる。紅夜は急かすことなく、お茶を飲んで待つことにした。

「…あの、せっかくの食事がまずくなる話をしてもいいですか。」

「どうぞ。」

紅夜が、にこ、と微笑んでみせると、蝶々は幾分か安心したように小さな息を吐いた。

「神職の方は聞き上手ですね。じゃあ…。続き、なんですけど。祖父が狼だということは、母の世代では周知されることはなかったんですが、俺が狼の耳と尻尾を持って生まれてしまい血筋がバレてしまったんです。」

「可愛かったでしょうね。」

紅夜は生まれたばかりの蝶々を想像して、微笑ましい気持ちになる。蝶々は紅夜の感想に心底驚いたかのように目を丸くした。

「…本当に、そう思いますか?」

「? ええ。大きな耳に、ふさふさの尻尾なんて可愛らしいじゃないですか。」

「…。」

蝶々の金色の瞳から、一粒の涙が零れた。真珠のように丸くて、きらりと光を反射させて涙は頬を伝って顎から落ちた。

「大丈夫ですか?今、ティッシュを…、」

席を立ちかけた紅夜の手を蝶々は握って止めた。

「すみません、大丈夫です。大丈夫だから…そのまま聞いてください。」

「…はい。」

紅夜がおずおずと椅子に座り直しても、不安なのか蝶々は手を放してくれなかった。

「周囲の人たちが、紅夜みたいな人ばかりだったらどんなに良かっただろう。」

「…。」

「…母親は、俺を産み落としてすぐに死にました。俺を生んだから、殺されました。」

狼は悪魔の手先、邪悪でずる賢い生き物とされる風潮はあった。紅夜だって、ルー・ガルーの噂を聞いたときは恐怖を感じた。だけれど単なるおとぎ話ではなく実際に蝶々に出会い、話をすることによって印象は変わった。

「呪われた子。悪魔の子。俺を生んだ母は魔女に違いないと、そう言われて火あぶりにされたそうです。」

「そのお話は、誰が?」

「父です。父は俺を連れて逃げてくれた。そして、真実を隠さずに教えてくれたんです。」


ー…お前は自らの正体を隠して、生きていくことになる。中途半端な存在のお前は人にも、狼にも愛されることはないだろう。


父親は学者だった。

森の中で食べられる植物、火の起こし方。人に会ったときの処世術。安全な水の飲み方など生きる術を教えてくれた。純銀の弾丸をくれたのも父だ。


ー…人を傷つけたら、死になさい。そのときはお父さんも一緒に死んでやるから。


そう言ってくれた父も二年前に死んだ。以来、ずっと蝶々は一人だったと紅夜に話してくれた。

「話してくださり、ありがとうございました。…つらかったですね。」

ぎゅっと強弱をつけて、その荒れた気持ちを落ち着かせるように紅夜は蝶々の手を握った。

「紅夜にはもう、俺の正体を知られているから。だから…、話したんです。本当に、すみませんでした。」

改めて、蝶々は深く頭を下げる。紅夜は謝罪を受け取ったという意味で、その頭を優しく撫でた。

「大丈夫です。さして、私にあなたは害を与えていない。だから…どうか、あなたを殺せと言わないでください。」

お返しします、と銃弾のネックレスを蝶々の手に握らせた。「…すみません。」

「もう謝らないでください。この話は終わりにしましょう。」

「…はい…、あの。食事を終えたら、俺は出て行きます。ありがとうございました。」

蝶々の言葉に紅夜は、うーん、と首を捻る。

「行く宛はあるのですか?」

「いいえ?宛も、伝も、何もありません。ただ流れるだけです。」

一息吐いたかのようにふと呼気を漏らし、目を伏せて蝶々は笑う。

なんて。なんて哀しい、生き物なのだろうと思う。ルー・ガルー…、狼男は。

だからだろうか、紅夜は自然と言葉を紡いでいた。

「ここで一緒に暮らしませんか?」

蝶々は顔を上げる。

「部屋に空きはありますし、教会でのお手伝いをしてくれる方を探していたんです。」

「いや、でも。」

紅夜が胸を張って答えても、蝶々はまだ躊躇しているようだった。

「大丈夫です。私の親戚だと村人に説明すれば、納得してくれます。実はそれぐらいの信頼は村人と築けているんですよ?」

「…ははっ。それは、頼もしいです。」

蝶々は笑う。その瞳に涙がにじんでいたのは、気付かないふりをした。

「…何でもします。よろしく、お願いします。」

そう言って、蝶々は再び頭を下げるのだった。

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