最後の日、或いは私の長い始まり
舎まゆ
ベルトを外してもいいですよ、と降ってきた声に従い腰に巻き付いていたそれを外す。ふわりと身体が浮くような感覚がしたと思ったがそれもすぐに失せて、私は椅子から立ち上がった。長い時間動かせないままでいた足が覚束ないままで歩けばポーン、と軽快な音が鳴り響く。
『重力制御装置が安定するまで暫くお待ちください』
「普通は安定してから外すものじゃないの」
スピーカーから聞こえてきた声に、私は苦言を呈する。座りっぱなしだったというのに疲労感はあって、軽い伸びをしながら周囲を見渡す。眼前三方、銀色のシャッターが降りたままで外の様子をうかがい知る事は出来ない。ただこの室内が作動していることを示す電子音とランプは一定のリズムを刻んでいる。
『外を見てみましょう』
再び声が降ってきて、私ははっと我に返った。重々しい音と共にシャッターが上がっていくのが見えて、己の心臓がどきりと跳ねたのを感じた。
「あー、待って、心の準備が出来ていない。ドッキリだったらどうしよう? 実は私が座っていた椅子はただガタガタと揺れていただけで、そのシャッターを開けると皆の意地悪な顔が」
『大丈夫ですよ』
早口な抗議の言葉を無機質な声が無慈悲に否定する。待って、待ってってば、と情けない声を出す私をよそに、目の前のシャッターは舞台の幕のように開いていく。やがて大きな窓となったそこには、真っ黒な闇と――私の生まれ育った星があった。
星と言われて思い浮かべるものは大抵がまるいものである。この星も、そうだった。
銀色の球体が、闇にくっきりと浮かんでいる。
『無事に星から〝脱出〟しました。発射から既に一時間が経過しています。これより当機は、星の軌道に乗ってゆっくりと周回します。――見てください、あそこ、滅んでいますよ』
声が指し示す方向を、私はおそるおそる見た。銀色の地表にひとつ、ぱっくりと亀裂が入っていた。ひび割れのようなそこからは真っ青な光がちろちろと瞬いている。
星の中身だ。
亀裂の傍をよく見てみると、建造物の群れがあった。ぽっきりと真ん中から折れている巨大な白い塔には見覚えがある。あれは、第三都市だろう。
あんなにも大きな亀裂を生じるほどの地殻変動に、たかだか都市が耐えられる筈がない。白い都と謳われた第三都市は、その大部分が瓦礫と化していた。
『拡大して詳しくみてみましょう』
「いいよ、別に」
あくまで冷静な声の提案に、私はあせって止めたがそれもむなしく、窓にモニターが浮かび上がった。そこには第三都市が拡大で映し出され、遠目から見た光景よりも生々しい滅びを私に突きつけてくる。
小刻みに揺れる地面、ぼろぼろと瓦礫を零しながら崩壊していく建物、生き残った市民たちの豆粒のような影は、真っ白な道を右往左往している。しかし次の瞬間、一際大きな揺れと共に、彼らの足下に亀裂が走り、獣の口のように彼らを飲み込んだ。
奈落で揺らめく青い光へと、市民達は落ちていく。運良く亀裂を逃れた者も、白い砂塵に巻き込まれ消えていった。
「消して」
私が吐き捨てると、ぷつん、とモニターが消えた。
窓の外では第三都市の終わりが続いている。もう数時間もしないうちに、あれは全て地に飲み込まれ、跡形もなく消えるだろう。
『今の記録画像は全て保存しています』
「どうもご親切に。ねえ、この船はいつ星のまわりをぐるぐるしなくなるんだい」
『星が終わるまでです。船長。あの亀裂から溢れた青い光――マントルが星を包むまでの経過を見届け、記録する。それが我々に与えられた最初の任務です』
さほど日数はかかりませんよ、と慰めるような声が、私には白々しく思えた。悲しい理由はそういうことではない、と叫びたくなったがぐっと、堪えた。
「七大都市のうち、今しがた滅んでいる第三都市を含め既に四つが喪失しました。この船を打ち上げた第六都市……つまり、あなたの故郷からは通信反応があり、まだ無事であります。今から二十二時間後に当機は再び第六都市の上空を飛行します。それまで彼らが持ちこたえてくれることを、地表がぐずらないことを祈りましょう。最後のお別れですから」
「……分かった。じゃあ、それまで少し休むよ。飲み物は?」
応えるように、背後で電子音が鳴る。そこへ向かえば温かい飲み物で満たされたカップが湯気を立てていた。それを手に取り、あらかじめ私室であることを教えられていた部屋へと入れば、そこには皺一つ無いシーツに覆われた寝台と先ほどまで座っていた椅子よりももう少しだけ座り心地のよさそうな椅子があった。そこに腰掛け、デスクにカップを置く。
『アラームを二十時間後に設定しました。電波放送の圏内なので、第六都市所属の放送局が何かを流してくれているかもしれませんよ。音楽とか……』
星が滅亡するっていうのに、暢気に音楽を流す奴がいるかよ、これだから人工知能は。そんな悪態を内心で呟きながら、私は一口飲み物を飲んだ。
数分、何も出来ずにぼんやりとしていたが本当に放送しているのではと気になってしまい、デスクのボタンを押した。それから横のダイヤルをカチカチと回せば、ノイズ、ノイズ、割れた音声、そして。
――みんな、空は見上げた? 僕たちの船がつい数時間前に無事に旅立っていったよ! もし僕たちが明日まで生きていられたら、あの小さなスペースシップがこの都市を通るのを見ることが出来るね。
それは馴染みの声だった。数年前から電波放送のパーソナリティを務めていて、軽妙な語りで一番人気の彼の舌は今日もよく回っている。
――さて、どんどん音楽を流そう! 時間は限られているからね! ここ一ヶ月、チャートは愛の曲と別れの曲で埋め尽くされていて、僕はみんなの要望に応えているわけだけど……ちょっとこういうのはどうだい? つい数分前に匿名でこっちに音楽データが送られてきたんだ。みんな、気に入ると思う。僕は気に入ったよ! それではお聞きください、曲名は【クソッタレ】
ノイズ混じりの激しい音と罵詈雑言の、曲と言えるかどうかも妖しいそれに、私は思わず笑ってしまった。
クソッタレ。
本当に、本当にそう思う。
背もたれに身を預ける。手のひらの中におさまったコップは、ぽかぽかとあたたかい。泣いているのであろう、運命を罵る歌声に耳を傾けながら、私は備え付けの小窓から外の闇を眺めた。
――というわけで、番組はここでおしまいだ。
寝台に移りうつらうつらと微睡んでいた私は、その声で意識を引き戻された。スピーカーから聞こえる声は先ほどよりもノイズがひどく、音割れしている。
――八時間前までは第九都市、そして皆知っているとおり、つい二時間前……第一都市の交信が途絶えた。僕があそこの放送局に通信を繋いで、そっちはどう? っておしゃべりしようとした矢先にね。僕の呼びかけに一瞬だけ応えてくれた奴は僕の……友だちだったんだ。最後にあいつの声が聞こえてよかった。何言っているかは分からなかったけどさ。
二十時間近く、いやもっとそれ以上、延々と語り、音楽を流し続けてきた彼の声色には疲れが見えていた。しかしそれでも、誰とも交代せずにやめなかったのは、きっと彼の意地のようなものだろう。
つるりとした天井を眺めながら、番組の締めに入ったであろう彼の言葉を聞く。
おそらくこれが、私が聞く最後の仲間の、私がいた文明の声なのだろう。
自覚はあるが実感は乏しく、神妙に聞く気にもなれず。寝台に寝転んだまま、私は彼の声を聞いていた。おしゃべりの声に混じって、時折、地響きの音が聞こえてくる。
予兆だ。
『船長』
「はーい?」
「アラームまであと十五分ほどありますが、あなたの故郷――第六都市に差し掛かります。船長室へ」
「……分かったよ」
天上のスピーカーから聞こえてきた声に返事をし、のろりと身を起こす。
――それじゃあね、みんな。さよならなんて言わないよ。だってすぐに一緒になるんだから! あの青い光の中でね、そこを音楽でいっぱいにしよう。そうして星を楽しさで満たそう。大丈夫、最後の最後まで、君たちに音楽を届けるから。周波数はそのままで。――それじゃあ、みんな、よい一日を。
奇跡的に、その言葉にノイズは被らなかった。
しかしすぐに地響きの音が電波放送を侵略していく。何かが割れる音、落ちる音、終わりの音はノイズに溶けて、判別がつかなくなっていく。
――いやだよう。
ため息交じりの呟きが、スピーカーから聞こえてきた。そして何事もなかったかのように、差し障りのない音楽が音割れしながら流れ始める。
いやだよう。
この星そのものが発した、今際の声にも聞こえた。
いやだよう。
まだ道理も分からない幼体みたいに、純粋な言葉だった。
『船長』
スピーカーの声がもう一度、促してくる。スピーカーの電源を切れないまま、私はメインルームへと向かった。
『あなたの故郷が最後でしたね』
スピーカーの言葉を聞き流しながら、大窓の前に腰掛ける。
「電波放送もついさっき終わったよ。よい一日を、だって」
『はたして滅びの日がよき一日なのか、判断しかねますが』
大窓に映し出された第六都市は、地響きを繰り返しながらもまだその形を保っていた。推力を下げますというアナウンスと共に船のスピードがいくぶんか落ちる。
都市の全貌を映し出す大窓に、いくつかの小さなモニターがぱ、ぱ、と映し出された。
拡大された都市の姿を眺めながら、私は背もたれに身を預ける。
繰り返す揺れに煽られて、住み処を出た市民達が街の広場に集まっている。一人で終わりを迎えるには心細いと自然に集まって出来た集団のようだった。
それぞれ知り合いなのか、そうでないのかは関係なく、ただ身を寄せ合っている。
もう一つのモニターにはまだ倒壊を免れている建物の屋上でひとり、ぼんやりと座っている者が映し出されていた。
何をするでもなく空を見上げたまま、呆けている。
次の瞬間、私は彼と目が合った気がした。この星の軌道に乗って進む船の中にいる私を認知しようもないのだが、ぱちり、と火花が散るように目が合ったと錯覚したのだ。
理由はすぐに分かった。
彼は私――正確にはこの船を、黄色い空の中に浮かぶ小さな船体を見つけたのだ。
ぼんやりとした顔を、瞬く間に涙で濡らして彼はこちらに手を振った。
何事かを、叫んでいるようだった。しかし遙か上空から彼の肉声を拾う装置は、この船には搭載されていないだろう。
「……ねえ、あの人に何か……合図を送れないかな」
「ライトがありますよ。ちかちかとさせてみましょうか」
すぐに〝ちかちか〟が見えたのか、こちらに振る手を止め彼は驚いたように目を見開いた。そしてそのまま、大きな揺れと共に倒壊していく建物に飲み込まれていく。
私はそれを呆然と見届け、すぐに悟った。
終わるのだ、第六都市は。
私の故郷は。
この星は。
『大規模な地殻変動を観測しました。第六都市東部に巨大な亀裂が出現。いよいよです、いよいよですよ、船長』
「…………」
開いていたいくつかのモニターが消える。残ったのはメインの、第六都市の全景をうつしたものだけで、それは都市の終焉を克明に写しだしている。
よく通っていた店がある通りにも地割れが生じ、青い光を漏らしながら銀の地表を飲み込んでいく。私が家族と住んでいた居住地区はもはやどこにあるのか分からない。ほとんどが、鮮やかな青に輝くマントルに沈んでいた。辛うじて判別できる建物といえば。つい先ほどまで電波放送を発信していた電波塔のみである。
それもたった今、一際大きな揺れと共に根元から折れて、青い亀裂へと真っ逆さまに落ちていった。
終わった、と思った。
ぐったりと身体の力が抜けていく感覚に、思わず天上を見上げる。
『マントルが星の地表の九割を覆いました』
大窓の映像が切り替わる。いつか本で見た、自分が住む星は銀色に輝いていた。地殻を構成する鉱物と、遙か遠くにある輝く星からの光がそうさせているのだと、教わった。
しかし今、目の前に浮かぶ丸いそれは、明るい青の、どろどろとした流動体に覆われていた。生物が耐えようにもお話にならないほどの熱量を孕んだ青が、静かに星を包み込んでいる。
「あれ、よく滴らないね」
『星の重力についての解説をご希望でしょうか』
「いいや、大丈夫。――ところで」
あんな色をした不味い飲み物があったなあと暢気なことを考えながら、私はスピーカーへと問いかける。
「どうして私は、こんなにも落ち着いているのだろうね。今しがた、私の故郷が滅んだわけだけど、別に泣き叫びたくもないし、ただ、そう、単純に嫌だなぁと思うだけなんだ。これじゃあ私は薄情者だ」
私の言葉は虚空に消え、暫く沈黙が室内を満たした。
ややあって、船長、お答えしますと平坦な声が降ってくる。
『あなたが無作為によってこの船の〝船長〟に選ばれ、今日までの数ヶ月……任務の準備をなさってきました。その過程であなたには――ちょっとした処置が施されています』
「処置?」
『感情の急激な乱れを抑制する処置です。星の滅びを目の当たりにしたあなたが、仲間の後追いをしないかどうかは、彼らも私も分かりませんでした。なので少しだけ、ほんの少しです、船長。星の滅びが、少しお気に入りだったマグカップが割れた、ぐらいの悲しみで済むように、処置を』
「へえ! 初耳だ。私に許可はとった?」
「いいえ、しかし今、報告しました。問題ないかと、船長」
思わず鼻で笑ってしまった。これも〝処置〟のおかげであろうか。私は目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をしたのち、再び大窓の中でぷかぷかと浮かぶ青い星を眺めた。
「これからどうするんだい」
『星の滅びを見届け、ログを保存しました。画像、音声、全てです。それを精査した後、その情報を宇宙の波に乗せて送ります』
「どこに? あてはあるの?」
いいえ、と声が否定する。
『どこかに、です。無作為に、無差別に。研究では我々以外の知的生命体がこの宇宙に存在することが理論上照明されています。どこかにいる彼らに向けて、発信するのです。我々がいたという証明を他に知らせる。それがあなた方の文明が最後に残した、足掻きです』
「じゃあ、星の滅びを見届けた私は用済み?」
『いいえ』
きっぱりと否定された。
『これから我々は宇宙を放浪します。これも事後報告となりますが、船長、あなたの身体は老化を大幅に遅らせる処置が施されています』
「色々といじってくれたものだね。どれほど?」
『最低でもあなた達の種族の最高齢……の三倍ほどです』
私は考えるのをやめた。途方もなさ過ぎる。
『その中で訪れた星を記録し、やはり無作為、無差別に発信します。種の存続を成せなくなったあなた達の存在は、そうすることで意義を保てる。――と、判断しました』
「誰が?」
『私の作成者です』
「自分でやればよかったのに」
『死んでも嫌だったそうです』
「最低だな。君の顔は全く見えないが、君を作った奴の顔が見てみたいものだ」
『画像データを提示します』
「いらない」
あーあ、とため息を吐く。その最低な奴も今頃は、あの青いどろどろに溶かされて、何者でもなくなっているのだろう。
「そうだ、もう一つ」
『はい、なんでしょう』
私はスピーカーを睨みつけた。彼の顔が見えないのだから、仕方が無い。
「君は何と呼べば良い、人工知能くん」
『ジモクと呼ばれていました』
「由来は?」
『無作為な文字の羅列から良い感じのものを』
そう、と私は頷く。呼ぶ名前がないよりは、いい。
「じゃあ、ジモク。行こう。もうあの星には……星ですらない。私達が行くべきは、星だろう?」
『分かりました、船長。地表がマントルに覆われた影響で、軌道が不安定になっています。一気に抜けましょう、ベルトを締めてください』
「ああ、待って。暫く動けないなら端末を切らなきゃ」
私は私室に戻り、デスクのスピーカーに触れた。僅かなノイズが聞こえてくる。しかしもう意味のある音は聞こえない。
かちり、とスイッチを切る。
最後の日、或いは私の長い始まり 舎まゆ @Yado_mayu
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