異世界転生してみたら知ってる名前の奴がいた。

春待ち木陰

妹が織田信長だった件。

 

「きゃーっ!」


 悲鳴が聞こえた。外からだ。


 家の手伝いをしていた俺は剥きかけのイモとナイフをその場に放って駆け出した。


 全力全開全速力だ。


 通りを挟んで斜向いにある空き地まで飛んでいった俺は「やだー」と嫌がる妹と、妹の服を引っ張っている男の子を認めると、


「こらーっ!」


 速度そのまま男の子に体当たりをかましてやった。


 男の子が吹っ飛ぶ。


「おにいちゃーん」と妹が俺に抱きついてきた。涙目だった。


 妹の年齢は7歳。俺の5つ下になる。


 いま俺が体当たりで吹き飛ばした男の子は10歳か9歳か。妹よりも少し上で俺よりは下の年齢に見えた。


「いてて」


 少し向こうで男の子が起き上がる。見た目だけ派手に転がっただけで特に怪我はしていないようだった。


「おい」


 男の子に近付いて耳打ちをする。俺の背中にしがみつくように隠れている妹の耳には届かないように小さな声で。


「妹に手を出すな。これ以上すれば――お前の家が燃えるぞ?」


「え……?」


 男の子は一秒間ほど言葉を失った後、


「うわーんっ!」


 大泣きしながら走り去っていってしまった。


「ふんっ」と俺は鼻を鳴らす。忠告はしたからな。


「おにいちゃん」


 イジワルな男の子が居なくなってようやく妹が俺の背中から離れた。


 だがその顔はまだ泣き出しそうなままだった。


 俺は妹を安心させる為、その頭を優しく撫でてやる。


「もう大丈夫だ。――信長」



 

 俺の妹の名前は「織田信長」だ。ファミリーネームはベイカー。


 フルネームは織田信長・ベイカーとなる。


 正確に言えばオダノブナガ・ベイカーだ。


 この世界の人類は全て前世を持っていた。そう。「この世界」だ。地球から見れば此処は「異世界」になる。


 この異世界では子どもが生まれると神殿で洗礼を受けて神様から前世の名前を教えて頂く。神様からの賜り物としてその名前がそのまま子どもの名前になる。


 俺の妹は前世が「織田信長」で、今の名前がオダノブナガだった。


 日本人にとっては「あの」織田信長だが、この世界で日本史を知る人間なんてまず居ない。「織田信長」が生まれてから七年ちょっとが経つがいまのところその名前を聞いて大騒ぎするような人間には出会っていなかった。


 前世があっても今世はその続きじゃない。この世界で生まれた人間が前世から引き継ぐものは、そのほんの一部分だけだ。


 思考能力やその傾向、容姿、筋力、癖、トラウマ等々、その者が持っていたありとあらゆるもののうちから何を引き継いでいるのかは本人にも分からない。


 前世の事など全く覚えていないのだ。


 俺のように「ありとあらゆるもの」の中から「記憶」を引き継いだ人間以外は。


 俺の名前は鈴木涼介。スズキリョウスケ・ベイカーだ。誰がスケベだ。ほっとけ。


 鈴木涼介は日本史にも世界史にも出てこないし、ネット検索してみたところで出てくる「鈴木涼介」は同姓同名の別人だ。「俺」は個人でSNSもしていなかった全く無名の一般人だった。


 平成を生きて令和に死んだ。


 享年は40。


 だが今の俺には40年分の人生経験なんてものは無い。まだ無い。


 前世から引き継いだものは誕生と同時に全てが発揮されるわけではなかった。


 現世の体に馴染む為の時間が必要だと言われている。


 例えば前世の「怪力」を受け継いでいたとしても、産まれたばかりの赤ん坊が大人顔負けの力を振るう事は出来ない。


 キャパオーバーなのだ。


 現世の俺の脳みそはまだまだ12歳で、40年分の人生経験が詰まった辞典のようなものは頭の中にあるはずなのだがまだそれを上手には使いこなせていなかった。


 妹にしてもそうだ。その名前から確実に「あの」織田信長の何かは引き継いでいるはずだが、今までの妹は普通に優しい女の子で織田信長っぽさの欠片もなかった。


 織田信長の何を引き継いでいるのか俺には見当も付いていなかった。


「案外、織田信長とか言っても『あの織田信長』じゃなくて、昭和や平成以降に生まれた同姓同名の別人かもな。きらきらネームとかいうやつ。高橋織田信長みたいな」


 神の啓示で賜る名前は必ずしも正式名称ではなく、通名である事も多いらしい。


 前世が「高橋織田信長」でも神様が「織田信長」とだけ教えてくださった可能性は十分にあった。


 あの織田信長もフルネームなら織田と信長の間に上総介や三郎が入るとか入らないとか言うし。まあ「俺」も豆知識程度にしか知らないが。


「うん。そうだ。そうだ。妹の前世はきっと『高橋織田信長』だ。『あの織田信長』じゃない。うん。同姓同名の別人だ。そうに決まってる」


 なんて思い込もうとしていた矢先の事だった。


「おにいちゃん。見て見て」


 妹の七回目の誕生日。両親から贈られたプレゼントのマントをその場で身に付けた妹はとても嬉しそうにくるくると回っていた。


「かわいい? かわいい? えへへ。えへへ」


 妹のその仕草、様子は非常に可愛らしかったが、


「……赤地に黒で虎柄って。奇抜過ぎるだろう」


 俺は頭を抱えてしまった。


「父さん。なんであんなド派手なマントにしたんだ」


 喜んでいる妹には聞こえないように小声で父親を責めるも、


「オダノブナガに選ばせたんだ。どうせなら本人が欲しいものをと思ってね」


「せっかくのプレゼントだもの。喜んでもらえる事が一番だわ」


 両親共にみじんも後悔は無いようだった。


 実に理解のある素敵な父と母である。コンチクショウ。


「いいじゃないか。オダノブナガ。よく似合ってるぞ」


「素敵ね。お姫様みたいよ」


 踊る妹に父が声をかける。母も続いた。


 両親の遺伝子をしっかりと受け継いだ妹の外見は金髪で肌も白かった。


 このくらいの年齢の子ども全員に言えてしまえそうだが確かに妹はお姫様みたいに可愛らしかった。


 だがしかし。素材はお姫様でも真っ赤な虎柄のマントなんか羽織ったら一気に第六天魔王だ。金髪に白い肌と赤色の衣装は似合わなくもないが、それが余計に。


「7歳の女の子らしくはないだろう」


「そうかあ? でもオダノブナガらしいじゃないか。はっはっは」


 父が笑った。


「確かに『織田信長』らしくはあるけど。はは、ははは……」


 俺も笑った。



 

 次の日から妹は一日中そのマントを身に付けて過ごすようになってしまった。


 家の中でお絵描きをしているときも、斜向いの空き地で押し花の素材を集めているときも、お友達とおしゃべりをしているときもおいかけっこをしているときも。


 するとすぐに。それはまるで必然であるかのように、


「なんだそのマントー! だっせー!」


 妹は近所の悪ガキに目を付けられてしまった。


 最初に俺がその声に気が付いて空き地まで出ていったとき、


「ださくありません。すてきなマントです」


 妹と悪ガキの間に割って入ろうとしてくれている女の子が居た。


 アーチャン・テイラー。8歳。最近できた妹の友達で、


「パパが作ったマントです。すてきなマントです」


 妹が赤地に黒い虎柄のマントを買ってもらった仕立て屋の娘だった。


「はいはい。ケンカしない」


 俺はのっそりと力強く妹から悪ガキを引き剥がす。


「君ねえ」と悪ガキを軽く叱ってやろうとしたところで、


「うっせえ、ばーか」


 と悪ガキは逃げていってしまった。まったく。どこのガキだ。親の顔が見てみたいもんだぞ。


 この街は王都と大聖地を結ぶ大きな街道の途中にある交易都市で人口も多い。村民100人、同じ年頃の子どもは全員が親友同士みたいな小さな集落とは違って、自分と近しい年齢の子どもでも何処の誰だか分からないなんて事はざらだった。


「ありがとうね。妹の事をかばってくれて」


 アーチャンにも声をかけて、


「大丈夫か? 信長。怪我させられたりはしてないか?」


 妹にも声をかける。


「いえ。わたしはマントのことばっかりで。すみませんでした」


「おにいちゃん。だいじょうぶ。マントもさわられただけ。やぶれてないよ」


「そうか。良かったな」と俺は二人の頭を撫でてやる。


「あはは」と妹は笑った。アーチャンは「ん」とくすぐったそうに目を閉じていた。


 妹は可愛い。こんなにも可愛い妹の前世が織田信長とは。嘘だと思いたかったが、嬉しそうに羽織っているそのド派手なマントを見せられると否定できなくなる。


 きっと妹は「織田信長」から「趣味嗜好」を受け継いだのだ。


「もし、やぶられちゃっても」


 アーチャンが言ってくれた。


「わたしのパパがきっと直してくれますから」


「でも。なおしてもらうにはお金がひつようなんだよ。おしごとなんだもん。お金、もってない、わたし」


「大じょうぶです。やぶった人が悪いんですから。お金はその人に、はらってもらいましょう」


「あい手も子どもだから。お金はもってないかも」


「うーん。そうしたらその子のパパかママに」


「あ、そうだ。その子がお金をもってなかったら、その子のかわをはいで、そのかわでマントをなおしてもらおう! これでざいりょうひはかからないね」


 妹が何とも無邪気な顔をして言った。


「……はい!?」と俺は大きな声をあげる。


「びっくりしたあ。なあに、おにいちゃん。きゅうに大きなこえ」


「いや……」


 聞き間違いだろうか。


「えっと。とにかく。大じょうぶです。やぶれちゃったらパパに直してもらえば」


 ただ「聞き間違えた」のは俺だけじゃないらしく、アーチャンの笑顔もこころなしか引きつっているように見えた。


 まさか。妹が前世の織田信長から引き継いだものは「趣味嗜好」だなんて幅の狭いものじゃなくて、もっと大枠の「性格」なのか?


 だとすると。妹はこの先、あの織田信長みたいな人間に育ってしまうのか?


「織田信長」と言えば――。


「記憶」を探って真っ先に出てきたのが「比叡山延暦寺の焼き討ち」だった。


 織田信長はそれが誰であろうとも何であろうとも、自身と対立した敵は許さない。


 徹底的にやり込める。


 自分にイジワルをした男の子の「かわをはいでマントをつくる」などという発想はまさに「織田信長」的じゃないか。


「……マズイぞ」


 このままでは将来、妹はこの街を燃やし尽くしてしまうかもしれない。サイアクの場合だ。


 俺は可愛い妹を第六天魔王にはしたくない。


「どうしたら……」


 いままでは、昨日までは、悪ガキが妹にイジワルをするまでは、織田信長は良い子だったんだ。


 あの悪ガキさえこなければ。


 ――そうだ。


「織田信長」だって延暦寺が敵対しなければ焼き討ちなどしなかった。


「織田信長」も「敵」さえいなければ、魔王と成る必要はなかったはずだ。


 悪ガキがいなくなれば。そのイジワルを未然に防げれば。妹が過度な仕返しをしてしまう前に俺が代わりに悪ガキをこらしめてやれれば。妹が織田信長的発想を実行に移してしまう事はないはずだ。


「俺が……信長を守ってやるからな」


 腰を下ろして目線を合わせて、俺は妹に言い聞かせる。


「だから信長はこのままでいてくれ。いまの信長のまま。変わらないでくれな」


 俺の言葉に妹は少しだけ驚いたような顔をした後、


「うん! おにいちゃん、大すき!」


 ぎゅっと抱きついてきた。


 うん。妹は可愛い。大丈夫だ。


 俺がこの可愛い妹の第六天魔王化を防いでみせる。


 延いてはこの街を大火から守ってみせる。


 俺はこの日、心にそう誓ったのであった。



 

 とはいっても12歳の俺には仕事がある。家の手伝いだ。


 我が家はパン屋を営んでいて店内にはちょっとした惣菜なんかも置いていた。


 俺はその惣菜の仕込みを手伝っていた。


 毎日毎日、早朝から昼過ぎまで野菜の皮をナイフで剥いている。


 作業場所は台所の隅で目の前の勝手口を開けて外に出れば斜向いの空き地にはすぐ駆け付けられるが、


「おにーいちゃーん!」


 助けを呼ぶ声を聞いてからでは当然、イジワルを未然に防ぐ事は出来ない。精々、妹が過度な仕返しをする前に相手を追い払うくらいの事しか出来ていなかった。


「これはもう抜本的な対策が必要だな……」


 赤地に黒い虎柄というド派手なマントを身に付けるようになって以降、妹は毎日のようにイジワルをされるようになってしまった。最初こそ口で悪く言われるくらいのものだったがそれも徐々にエスカレートしていき、最初のイジワルから数えて半月が経とうとしている今ではマントを引っ張って、無理矢理に脱がせようとしているのかマント自体を傷付けようとしているのかといったところにまできてしまっていた。


「止めろ。悪ガキ。もう二度と妹に近付くな。死にたいのか?」


 とか、


「お前の命ひとつで収まる話じゃなくなってくるぞ。家族を殺したいのか?」


 などと相手を泣かせるほどきつく叱っても強く忠告しても次の日にはまた別の子が妹にイジワルをしにくる。一匹潰してもまた一匹……が延々とだ。


「お前らの前世はGか!?」と人権を無視したツッコミを入れたくもなってくる。


 昨日も今日も、恐らくは明日も。10歳前後と思われる男の子ばかりが次々に、だ。


 俺の妹にイジワルをする事がガキどもの間で流行ってしまっているのか。


「流行って……。……うん? 流行らしてる人間が居るのか? もしかして」


 俺は単発のイジワルが次々に降り掛かってきているのだと思っていたが、それらの単発をまとめたこの一連が大きな一つのイジワルなのか?


「何のつもりか知らないが。この一連を操っている黒幕を突き止めてこらしめないと終わらないのか? いつまで経っても」


 まったく。何処の誰だ。陰湿なヤロウだな。


「……どうやって犯人を突き止めるか」


 まずはイジワルをしに来ていた人間を整理してみるか。


 悪ガキどもの素性を並べられれば、その繋がりから大本が辿れそうな気がするんだけどな。どうかな。やってみよう。


「信長。さっきの悪ガキは信長の知ってる子か?」


「ううん。しらない子だった」


「アーチャンも知らない子?」


 今日も妹と一緒に遊んでくれていたアーチャン・テイラーにも聞いてみた。


「えっと。知ってます」


「お。ホントに? 助かる。ありがとう。何処のなんて子だろう」


「名前はチャンウェイ・ウッズ。まちの東に住んでます」


「きのうきた子はわかるよ。ジルベルナール!」


 妹もアーチャンに負けじと教えてくれた。


「ジルベルナール・キッシンジャーです。まちの南にある、しっ地たいのかん理人の息子です」


 アーチャンが補足してくれる。しっかりした子だな。


 妹の信長が誕生日を迎えたばかりの7歳で、アーチャンは8歳。前世の記憶にある「学年」で言えば小学一年生と三年生か。


「えらいぞ、二人とも。じゃあ、その前とかその前の前に来てた子とか、分かるだけ書き並べてみるか」


 土の地面に木の枝で、二人が口にする名前を次々に書いていく。


 名前が出揃ったら、


「この中でこの子とこの子は友達同士だとか、そういうのは分かる?」


 互いの関係性を書き足していく。


 そうして出来上がった相関図は……スカスカだった。


「うーん」


 単なる名前の羅列というか箇条書きというか。


 家が近所だとか遠い親戚らしいだとかで薄っすらと繋がっている子も居るには居るが完全に浮いてしまっている子の方が多かった。


「誰かから始まって伝播していった流行りじゃあないのか……? 何の関係性も無い子達が同時多発的に信長にイジワルをする? そんな事があるのか?」


 シンクロニシティなんて概念もあるが「偶然」という言葉を安易に使う事は思考の放棄に繋がる。考えろ。考えろ。もっと考えろ。


 が幾ら考えても分からない。少なくともいまのところは。


 誰か大人に頼ってみるか? いや。オトナ的に考えるなら、もっと単純な「解決」方法を提示されてしまいそうだ。


 悪ガキどもの妹に対するイジワルを無くさせる一番簡単な方法は妹に標的とされているマントを着用させない事だ。家の外では。たったそれだけの事で良いはずだ。


 でも。それは違う気がする。


 妹の「織田信長」っぽさを肯定したいわけじゃない。むしろ否定したいくらいだ。


 ただその前世も含めて今のオダノブナガ・ベイカーなのだ。


 妹はただド派手はマントが好きなだけだ。


 他の子からの理不尽に押されて自分の好きを我慢する事は絶対に違うと思う。


 やめさせるべきものはマントの着用じゃなくてイジワルの方だ。


 諦めずにもう一度、考えてみよう。


 う-ん。何でこの悪ガキどもの矢印は信長に向いているんだ。


「もう少しヒントが欲しいな。大きなピースが足りてないって感じがする」


 この不完全な相関図の何処に「オダノブナガ・ベイカー」が入るんだ。


 何処に入れても不自然だ。


「考え方が間違ってるのか……?」


 もしかしたら「オダノブナガ・ベイカー」じゃなくて「アーチャン・テイラー」が入るとか。


 悪ガキどもの本当の目的は信長のマントを腐す事じゃなくて、信長の隣によく居るアーチャンの気を引く為とか。一緒に居ないときにもイジワルはされていたが信長のマントはアーチャンのパパが仕立ててくれたものらしいし。


 その線か……?


 相関図の外側に「アーチャン・テイラー」の名前を書いてみたところ、


「あ。ちがうよー」


 妹が言った。


「アーチャンはアーチャンじゃないんだよ」


「ん? アーチャンじゃない? 何の話だ?」


 俺が首を傾げていると「えっと」とアーチャン自身がまた補足をしてくれた。


「『アーチャン』はあだ名というか、そうよばれているだけで。わたしの名前はアケチミツヒデです」


「へえ。そうだったんだ。アケチミツ……――明智光秀!?」


「あ、はい。申しおくれました。わたしはアケチミツヒデ・テイラーです」


 とアーチャン改め明智光秀が言い終えるよりも先に、


「おーまえかぁー!」


 俺は光秀の胸ぐらを掴んでいた。叫んでいた。


「お、おにいちゃん?」と怯える妹を背後に隠して、


「お前が妹にイジワルをさせてたんだな! 近所のガキどもをたぶらかして!」


 俺は恫喝を続ける。


「そ、そんな。言いがかりです。しょうこはあるんですか?」


「証拠なんざ必要ねえ! 信長にイジワルをする陰の主犯は光秀に決まってる!」


 後から冷静になって考えると本当に酷い言い掛かりだ。前世と今世はイコールじゃないし今世は前世の続きでもないのに。俺は彼女が「明智光秀」だから「織田信長」である妹を害したのだと思い込んでしまっていた。頭に血が上ってしまっていた。


 しかし、


「な、なんで分かったんですか……。……すごい」


 今回に限っては正解だったらしい。光秀は怯えながらも熱い眼差しで俺を見詰めてきていた。俺は完全に興奮状態に陥ってしまっていた。


「お前が明智光秀だからだ! おい。これ以上、信長に手を出してみやがれ。お前、竹槍で脇腹を貫かれて死ぬぞ! いいか!? 死ぬんだぞ!!!」


「なんて具体てきな……。ああ、ああ……」


 8歳の少女が顔を真っ赤に染め上げて、あたかも恍惚の表情をこしらえていた。


 ……何かヤバいぞ。


 反対に俺の興奮は急激に冷めてしまった。


 光秀に正気を取り戻させる意味も含めて、俺は固く握ったげんこつをごちんと少女の頭に落としてやる。


「ぎゃんッ!?」


 光秀はとろんとさせていた目を大きく見開いてからぎゅっと強く閉じた。


「もうしないな? 明智光秀」


 目線の高さを合わせて問えば、


「……はい。もうしません」


 光秀はしっかりと頷いてくれた。少女はすっかりと普通の顔に戻っていた。


「よし!」


 俺は大きく手を打って、この一件の落着を示した。


 が怒涛の超展開についてこられなかった妹の信長は、


「おにいちゃん?」


 と頭上に大きなハテナマークを浮かべていた。


「喜べ。信長。明日からはもうイジワルされる事はなくなったぞ」


「ほんとに? わーい。よかったあ。やったあ。でも。どうして?」


 うん。「どうして?」だよな。さて。どのように説明をしたら良いものか。


 光秀ことアーチャンは信長の友達だ。


 友達のアーチャンが実は黒幕でしたなんて言ってしまってよいものか。普通ならばトラウマものだと思うが。


 いや、今更か。


 目の前でアーチャンの胸ぐらを掴んで怒鳴りつける兄の姿を見たのだからきちんと理解は出来ていなくとも薄々は気付いているだろう。


 ここではぐらかしても良い事はないと思う。


「うーん。実は」とアーチャンが裏で糸を引いていたという事実を告げると、


「どうして?」


 また信長は不思議そうな顔をした。


「どうしてアーチャンは男の子にわたしにイジワルをさせてたの?」


 それは俺も引っ掛かっていた。この件の一番の疑問は光秀の動機だった。


「どうしてなんだ? 光秀」と俺は本人に聞いてみる。


「それは」と光秀が語るには、


「さいしょはぐうぜん」


 だったそうだ。


「お兄さんがさいしょにオダノブナガちゃんを助けたとき『おれがノブナガを守ってやるからな』って言ったのがすごく……カッコよくて」


 妹を守る兄の姿をもっと見たい。一人っ子であるらしい光秀は強く思ったそうだ。


 そして、その為にはまたイジワルが必要だ、とも。


 ちょっとした悪口から始まったイジワルは徐々にエスカレートしていってしまったが、それに立ち向かって相手を泣かせるまでやり込めていた俺の勇姿に感謝と感動をしていたという。


「お兄さんはすてきでした。こらしめられている男の子を見ているとわたしまでおこられているようで、どきどきしてしまって。ああ。もっと。もっとおこられたいと」


 光秀の顔色がまたよろしくなくなってきていた。


 相手に怒ってもらいたいから悪い事をする。それだけを聞くと無関心な親に対して子どもが構って欲しいとの思いから発するSOSみたいにも聞こえるが、


「もやすだとか死ぬだとか。強い言葉でせめ立てられたい。追いこまれたい。ああ」


 ……これは違うよな。


「アーチャン……?」と信長も軽く引いている。


 もしも、これがアーチャンに受け継がれた「明智光秀」の性質なのだとしたら。


 もしかして「本能寺の変」って、


「究極、殺されたくて殺しにいったのか……? ……破滅願望かよ」


 俺には理解が出来ない話だった。



 

 理解が出来ないと言えば、その後の妹――信長の事もそうだった。


 流石は「織田信長」なのか。妹は一連のイジワルの黒幕で主犯だった明智光秀ことアーチャンと今も仲良く遊んでいた。


「器が大きいのか、それとも何も考えていないウツケなのか」


 更にはイジワルがぱたりと止んだ事から信長が「すごい。すごい。おにいちゃんはすごい」と言い出したばかりか、どの面を下げて言っているのか光秀まで「本当に。お兄さんはすごいです」と妹に追従してくれやがったおかげで周囲に変な伝わり方をしてしまい、今やスズキリョウスケ・ベイカーは相手の本質を見抜く目を持っているだの、実は的中率の物凄く高い占いの能力を前世から受け継いでいて、相手の名前を聞いただけでその全てを見通すだのといった厄介なデマが流れてしまっていた。


「ったく。逆だよ。逆。凄いのは俺じゃなくて『織田信長』とか『明智光秀』の方だから。超有名人の信長と光秀の関係性なんか『記憶』さえあれば一般常識だから」


 ごく普通の「ジャン・カーソン」とか「上野ヨウスケ」の名前を聞かされても何をした人間かなんざ1ミリも分からねえっての。本質も未来も知らねえよ。


 ただのパン屋に「占ってください」なんて来るんじゃねえよ。もう。


 親がやんわりと断っても埒が明かず、俺本人の口から「すみません。出来ません。その噂は嘘なんです」と言ってきっぱりと断る為だけに、俺は台所の隅でやっていた野菜の皮剥きを店内の隅でやらされるようになっていた。


 もう。いやになる。


 今日も今日とて、


「ごめんください」


 家族連れと見られる三名が店に入ってきた。大人の男女と男の子だ。


 広くもない店内を見回すその視線はパンではなくて人を探しているようだった。


「はぁ……またか」


 こっそりと溜め息を吐いた俺の存在に気が付いて大人の男性がやってきた。


「はじめまして。今度、こちらの斜向いの空き地に家を建てまして、引っ越してくる予定のアロンオコナー・クラークです。これから宜しくお願いします」


 斜向いの空き地? 一連の現場となった空き地に新しく家が建つのか。


 うん。これは良い事だ。あんな変な思い出の場所は無くなってしまってよろしい。クラークさん一家には感謝だ。


「スズキリョウスケ・ベイカーです。こちらこそ宜しくお願いします」


 俺は差し出されていたアロンオコナーさんの手を握って大きく振った。


「アロンオコナーの妻のノンナマスロフ・クラークです。宜しくお願いします」


 大人の女性も頭を下げる。


 そして最後に男の子がにっこりと笑った。


「息子のジャンヌダルク・クラークです。よろしくお願いします」


「ジャンヌ・ダルク――!?」


 男の子の名前を聞かされて、俺は再び頭を抱えた。


 今度は燃やされる方かよ……。



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