第13話 吉報

 日芽香に事の詳細を話したのは、明珍先輩と会った後すぐの、夜のことだ。

 文化人類学者である日芽香の両親が仕事のためアラブ方面へ長期間出張中であることをいいことに、相変わらず部屋に引き籠ってばかりいるその愚娘・日芽香の部屋を訪れると、どうしてだがベットの下に潜り込んで、携帯のライトで照らしながら、ブーたれた顔でクロッキー帳に『魔女っ子まじょりてぃ☆サンドイッチマインマイン!』の作画を模写していた。

 見かねたわたしが、そんなに暇してるなら学校に来い、と叱咤してみたが、もう辞めるもん、の一点張り。意固地な奴め、と力いっぱいベットの下から引きづり出そうとしてみるが、こいつは、うぎぎっ! と抵抗しやがり、一向に出てくる様子がなかった。

 仕方なく、タッパーに入ったママの晩御飯をちらつかせると、何度か横目で眺めた後、害虫さながら、カサカサとベットの下から這い出てきた。


「あんた鼻炎持ちなんだから、埃っぽいところにいるんじゃないよ」


 髪についた埃を払ってやる。ブラシで髪を梳かして、ついでにティッシュで鼻をかませてやった。

 日芽香はママのご飯に興味津々で、わたしを世話なんてそっちのけ。くんくん、じろじろと、透明なタッパーを四方八方から眺めながら匂いを嗅いでいた。


「食べる?」

「……ん」


 日芽香に手を差し伸ばすと、バシッ、と握り返した。そのまま日芽香の部屋を出て、一階のリビングでレンジを借りて、タッパーごと温める。日芽香は冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して、二つのコップにそれぞれ注いで、片方を渡してくれた。コップには『アンちゃん』『ヒメ』と幼い字で書かれていて、わたしが使うのはなぜかいつも『ヒメ』の方だ。


「これ、なんでわたしの専用になったんだっけ」

「え、覚えてないの、アンちゃん」


 日芽香が鼻っ面を持ち上げて、生意気なほど呆れたような顔をする。


「幼稚園の頃に作ったやつでしょ。忘れるよ、普通」

「あたしは覚えてるもん」


 日芽香は、ぼすん、と食卓の椅子に座ると、机の模様を指でなぞりながら、続けた。


「アンちゃんがね、あたしが作ったコップの方が可愛い、ズルいって、文句言ったんだよ。でもあたしはどっちでもいいから、「じゃあこっち使っていいよ」って言って、それで逆を使うようになったんだよ」

「――ああ、思い出した」


 そういえばそうだった。

 実際には、日芽香がわたしの名前を書いたコップが可愛い、と言ってゴネたのだ。アンちゃんの持っている方が可愛く見える! そんな駄々をこねた結果、コップの所有者が逆になったのだ。つまり真実は日芽香の主張とは全くの正反対ということだ。


「あんた、都合のいい頭してるよね」

「え? 褒めてる? んふふ」


 褒めてない。笑い方キモい。


「そういや、いっつもわたしの持ち物ねだって、欲しがって、ママたちを困らせてたよね」

「えー? そうだっけー?」

「今もそう。わたしの部屋にあるぬいぐるみ、もう一個もないんだけど、今はどこにあるのか、日芽香さんは知っているかしらねぇ?」

「う~ん? 歩いて逃げちゃったのかなぁ」


 ばかやろー。

 さっきてめーの部屋にたくさん飾ってあったわ。


「……ねえ、アンちゃん」

「うん?」

「……学校、楽しい?」

「来る気になった?」


 すると、日芽香は子供みたいにプイッ、と顔を背けた。


「行かないもん。勉強やだし」

「ネマコン部、入れるかもしれないのに?」


 そう言って。

 日芽香がどういう反応をするのか。

 わたしにはわかっていた。

 わかっていたけれど、ついつい魔が差してしまった。悪戯心のようなものだ。

 日芽香が、その場で目をぱっ、と開いた。それからゆっくりとした動きでわたしを見た。

 犬だったら、耳がピーンと立っていることだろう。

 日芽香は瞬きを忘れていた。


「ネマコン部、入りたいんでしょ?」


 わたしはオレンジジュースを飲み干した。

 それからレンジがチンッ、となったので、取り出して、中身を皿に盛りつけてあげた。

 日芽香の前にその皿を置く。

 ママが作ったのは、日芽香が大好きな、とっても辛い麻婆豆腐。

 ウチは全員辛いのが苦手なので、日芽香専用のメニューだ。

 ちなみにわたしも少し手伝った。


「はい、どうぞ」


 辛そうな匂いが、少し離れたところにまで香ってくる。わたしには食べられない辛さで、見るだけでお尻がヒリヒリしてくる。

 けれども、日芽香は見向きもせずに、呆然と座りつくしてた。いや、僅かに腰が浮いているので、半分空気椅子状態で放心している。


「せっかく作ったのに。食べないの?」


 わたしがそう言うと。


「アンちゃん」


 日芽香が一言、わたしの名前を呼んで。

 椅子を蹴飛ばして。

 勢いよく、飛びついてきた。

 大好き、は随分と聞き飽きた言葉だった。

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