第11話 始動3

「日暮先輩、ひとつ質問があります」

「なんだい?」

「ネマコン部では、この春期に応募の予定はありましたか?」


 妙な質問だと思ったのか、日暮先輩は訝し気になりつつも、答えてくれた。


「あったよ。いや、実際には夏期に納品日を延期するか揉めていたところなんだけど、とりあえず春期のエントリーだけは済ませていたよ」

「そうですか。ならばエントリー自体はできるってことですね」

「ちょっと待て。一体何を考えている?」


 日暮先輩があからさまに眉をしかめた。

 やり方はもうこれしかない。

 アニメ作りはいつだって、――力業だ。


「日暮先輩、お願いがひとつだけあります」

「……嫌な気がするんだけど」

「禊と思って」


 卑怯な言葉だなと自分でも思った。

 だがしかし、日暮先輩には効いたようだ。

 不服げながらも「……聞くだけなら」と腕を組んだ。


「さきほどの二年生の退部届の提出、今月末まで引き延ばせませんか」

「……どうしてだ」

「部員が五名未満になった段階から一週間で廃部ですよね」

「そうだね」

「その段取りなら、逆に一か月と少しの間であれば、ネマコン部は学校公認の部として活動可能なはずです。であれば、作品の提出は問題はない。エントリーを取り消さない限り」

「……できることはできる。エントリーはすでに終わっているし、完成品はデータで送るだけでいいから、そもそも学校に申し出る必要はない」


 日暮先輩はそこで言葉を区切り、わたしを睨むように見た。たぶん、睨む意図はないのだろう。ただ、驚きと否定が隠せなくなってしまっているだけだ。 

 先輩は細い息を鼻から吐き出して、重たい声で訊いた。


「だが、部の活動は先生が許さない。今回の騒動で、ネマコン部は活動停止を命じられるはずだ」

「表立ってやらなければ、バレることはありません。ただ画を描いているだけです。校庭を借りて野球をするわけじゃない。ライトテーブルと鉛筆と紙さえあればどこでだってやれます。それにバレたところで趣味でやっているだけと無理やり通すことだってできる」

「そんな屁理屈で……」


 日暮先輩が頭をがしがし掻いて、またわたしを睨んだ。


「まさか、本気で春期枠に今から臨むつもりなのか?」

「それしか方法はないです。作品で結果を出したばかりの部活を、学校側もおいそれと廃部にはできないはず。仮に廃部になったとて、部再建のための交渉の余地くらいは生まれると思います」

「いや、無理だ」

「いえ、可能性はあるはず、」

「――無理なんだッ!」


 日暮先輩がガッと立ち上がった。

 そして矢継ぎ早に叫び散らす。


「仮にアニ祭に参加できたとしても、たったの一か月とちょっとでは結果を残せるほどの作品なんて絶対に作れない! なぜならすでに腕のあるネマコン部員は辞めている! 全盛期のネマコン部であれば可能だったかもしれないが、少なくとも三年生は馬鹿をやった奴らの罰を軽くするために動くことはできない!」


 まるでボリュームを弄るつまみが壊れたみたいに、日暮先輩の声量がまばらに大きくなっていった。校舎に叫び慣れていないであろう先輩のうわずった声が反響し、冷たい金属音が混じる。


「君の考えは机上の空論だ! 最高傑作を作って、学校にバレずにこっそり提出して、最優秀作品賞を受賞する。それができれば、確かに廃部は回避できるかもしれない。――だが、アニメ制作はそんなに甘くない! 一人でどうこうできるものじゃないんだ! 大勢の人が集まって、頭を下げて協力を得て、それでも死に物狂いで完成させる、それくらい過酷なんだ!」


 わかってるさ。

 そんなこと、痛いほどに。

 それでも。


「それでも、手段がそれしかないなら、やるだけです」

「いったい自分が何を言っているのか――、どれほど難しいことをしようしているのかわかっているのか!?」

「難しい、は不可能という意味じゃない。頑張れば叶えられるということです」


 日暮先輩は大きく頭を横に振った。

 まるで悪夢を振り払うみたいに。

 わたしに叫び散らしている言葉は全て、もしかしたら自分自身に言いかけているのかもしれない。一度は考えたのかもしれない。これから廃部にならない方法を。どうにかあと一年、自分達が卒業するまでの間だけでも、作品を作れる可能性を。

 けれど、この人達はそれを捨てた。

 かつての部員を助けるために。

 馬鹿をやった、仲間とはすでに呼べないかもしれない奴らのために。

 だからこそ、わたしの言う言葉に腹が立っているのかもしれない。行き場のなくなった憤りと悔しさが、歳に似合わない大人らしさという衣を突き破って、破裂した。

 顔を赤々と染め上げて、泣きそうにすらなっている日暮先輩を見て、わたしはようやく、ネマコン部の日暮という人を見つけられた気がした。


「言っておくが、制作部はもう一人もいない! 君にアニメの作り方を教えてくれる先輩は誰もいない! 手伝ってくれる人は誰もいない! アニメーターも皆無だ! 今回の一件で外部への依頼も困難を極めるだろう! だから、無理なんだ!」


 無理。

 もう無理。

 できない。

 間に合わない。

 そんな言葉は、腐るほど聞いてきた。

 ぴりぴりとした、あの空気を今でも思い出す。

 目の下の隈を作りながら、進捗の遅れに絶望して。

 それでも納期は変わらない。

 だからこそ。

 制作部は無理を通す。

 通さなければ、作品は誰の目にも届かないのだから。


「……君に、そんな苦労をかけるわけには、いかないんだ」


 日暮先輩はわたしを見ていた。

 懇願するように。

 諦めろと、言わんばかりに。

 たぶん、今のが彼の本音なのだろう。


「君に、アニメは作れない」


 日暮先輩はうなだれるように、俯いた。


「――――」


 笑わせる。

 アニメを作るのが大変?

 そんなこと、百も承知だ。

 わたしひとりで、どうやってアニメが作れるもんか。

 わたしは画力はおろか、絵心も皆無だ。

 人間どころか、動物、いや木の一本ですらまともに描けない。日芽香に言わせれば小学生が描いたみたいと大笑いされるだろう。

 けれど。

 そんな奴でも、役に立つことがある。

 こんなわたしでも、できることはあるんだ。


「作ります。一か月以内に、最高のアニメを」


 ネマコン部を潰させない。

 日芽香がずっと求めていた、夢のために。

 今回だけ、一ヶ月とちょっとだけ、頑張るだけだ。

 本当に気は進まない。啖呵を切ったものの、取り消して逃げ帰ってしまいたい気持ちはある。けれども、だれにもどうしようもできなくて、それなのにわたしにだけその解決の糸口があるのなら、――あの子を救ってあげられるのなら、もう一度だけ、あと一度だけ、挑戦してみようと思った。

 だって、日芽香にはどうしようもなくても、わたしなら、もしかしたらなんとかできるかもしれないのだから。

 できるのにやらない。それに罪悪感を感じて、それ以上に後悔を生むくらいなら。

 ――日芽香と昔みたいに笑って話せなくなるくらいなら。

 もう一度、あの地獄みたいな日々に身体ごと浸かってやろう。


「本気、なのか」


 日暮先輩は、意気消沈したように肩を大きく落とした。先程までの熱が急激に冷めていき、白んでいるように見えた。目元を手で覆う様は悔しさを堪えているようで、やがてため息とともに中空を見上げた。


「なんで、なんだろうな」


 わたしも同じように首を持ち上げてみた。

 いつの間にか、夕暮れになっていて、空は真っ赤に燃え広がっていた。朱色の雲が尾を引いて、ぐっと伸びている。まるで竜が飛んで行ったみたいに。


「やれるだけ、やってみようと思います」


 日暮先輩は覚束ない足取りで、またベンチに座り、俯いた。


「……ひとり、紹介する」


 日暮先輩がぼそっと呟いた。


「ネマコン部の二年生だ」

「えっ」

「一人だけ言うことを聞かず、部に残ってる」

「でも、作画班の人間は全員退部届を出したと……」

は、ね」


 日暮先輩は疲れたような笑みを浮かべた。


「ウチには制作班と作画班以外にもうひとつだけ班があるんだよ。まあ、班と言うには少なすぎるんだけどね」


 てっきり、退部届は二年生全員分だと思っていた。そういえば確かに、全員だとは日暮先輩も言っていない。


「在学中にどうしても自分の作品を作りたいんだとさ。僕も説得したんだけど、もともと変わったやつでね。全く話を聞いてくれなかった」


 自分の作品を作りたい?

 それは、もしかすると――。

 日暮先輩はようやくわたしの方を見て、頷いた。


「部に残ると決めた最後の一人。元々は作画班のメンバーだったんだけど、二年生に進級した時に鞍替えして、演出班に所属している。ま、僕と二人だけの、名前だけの班だけどね」


 日暮先輩が最後にようやく、肩の力を抜いて、朗らかに笑った。

 この人は本当はアニメを一緒に作りたいのではと、そんなことを思うほどに、疲れ切っているけれども、彼らしい、屈託ない笑顔を見せて。


「監督、必要なんだろう?」

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