第9話 始動1
その朝はとにかく慌ただしかった。
初日に学校から配られた連絡網が早速フル活用されて、しかしながら全員がまだ『初めまして』の状態もあってか連絡を回すのに時間掛かり、名前順で構成されている連絡網の後ろの生徒――つまりわたしのことだが――が学校が休みかどうかわからず、制服を着たまま家で一時間近く待たされる事態に陥った。それから一年生のみカリキュラムの説明の続きを行うとのことで、わたしは茫然自失としている日芽香を連れて、学校へ向かった。
蒼白とした日芽香を不安ながらも一組へ送り届けた後、私は四組で鈴々と話をした。鈴々は一人暮らしをしているという都合から、昨日の時点で担任の先生と連絡先を交換していたらしく、今朝、色々と詳しい事情を聞いていた。
「――煙草、だそうです。制作室で部員が煙草を吸っていたらしく、その火の不始末が原因で夜中、制作室に保管していた原画に火が点き、あっという間に燃え広がって、隣の作画部室まで焼けたそうです。どちらも紙媒体の成果物を多く保管していたせいで火の勢いは凄まじく、室内は全焼、ライトテーブルも炭だらけになって、悲惨な状態らしいです。
それとたばこを吸っていたという上級生はすぐに見つかったそうです。……といいますか、制作部員全員が該当者みたいで、自分たちから名乗り出たそうです。これから警察との事情聴取の末、学校での処罰が下されるとのことですが、先生曰く、規模が規模なため、停学はおろか、おそらく退学になるだろうと」
わたしは流石に頭を抱えた。
そんなの、あまりに、……ひどすぎる。
先輩達への処罰がじゃない。
これからネマコンに入ろうとした新入生が。
頑張って受験を乗り越えた日芽香が、――まるでバカみたいじゃないか。
「それで、その……」
鈴々は躊躇ったのち、告げた。
それは最期の頼み綱だったもので。
一斉にガラガラと崩れていく音が聞こえてきた。
『熱血漫画根性部の部長が、廃部を申し出た』と。
本来予定されていた学校でのカリキュラムの説明が全て終わり、しばらくの間、部活見学等は中止とされ、火災のあったB棟で生活する二・三年生は安全が確認できるまで休みになっていると担任の先生が説明した。一部の大会が近い部活動を除いて、ほとんどの部活動は少しの間、活動を控えることとなり、昨日までは運動部の活気や吹奏楽部の演奏練習で華やぐ放課後だったが、今は静けさに身を隠し、代わりに学校の正門前には僅かながら報道陣が詰めかけて、教頭や他の教員がその対応に追われている姿が、帰り際の教室の窓から見下ろせた。
わたしは鈴々に手早く別れの挨拶を済ますと、鞄を抱えてすぐさま日芽香の教室に向かった。一組をざっと見渡すが、日芽香の姿が見当たらず、同じクラスの人に声を掛けてみる。
「久留生さんなら、登校してすぐカリキュラムも聞かずに帰りましたよ」
嫌な予感がした。いや、的中したというべきか。
そもそも予感なんて必要ない。
日芽香の心境なんて、赤の他人でも容易に察せる。
あの子が、――心待ちにしていたネマコン部が、言葉通り跡形もなくなるのだから。
わたしは飛ぶように家に帰り、日芽香の家に押しかけた。インターホンを押しても返事はなく、日芽香の両親から預かっていた合鍵を使って中に入った。玄関には投げ捨てたかのように二足のローファーが散らばっていて、それを整えたのち、靴を脱いで、日芽香のいる二階の部屋へ向かった。
廊下の一番奥、日芽香の部屋。扉には小学校の頃にわたしと二人で作ったネームプレートが飾ってあって、『ヒメとアンズ』と書いてあった。
なんと声を掛けようか。
そんな考えが僅かに巡ったが、とにかくあの子の様子を知りたかった。
わたしは部屋の扉をノックした。
「ヒメ」
中から返事はなかった。
けれど衣擦れの音が聞こえる。人がいる気配はあった。
「ヒメ、入っていい?」
返事はない。
いつもならどんなに喧嘩しても、扉は開けてくれる。
しかし、今日は何もなかった。
仕方なく、自分でドアノブを回して、扉を開けた。鍵は掛かってなかった。
部屋は真っ暗だった。扉を開ければその分だけ廊下の明かりが室内に差し込む。床には大量の紙が散らばっていて、その全てにデッサンの練習跡やアニメーションの模写が描かれてあった。それらは小学生の頃に買ってもらったと誇らしげにしていたライトテーブルの上にもあり、壁には好きなアニメの原画集のコピーが埋め尽くすほどに飾ってあった。
「……ヒメ」
日芽香を見つけた。
部屋の隅で布団を被って、膝に顔を埋めていた。
声を掛けても、ピクリともこちらを見ず、全く動かない。
「隣、いい?」
日芽香はフルフルと首を横に振った。
けれどもわたしは近寄り、日芽香の横に座った。
「んっ」
日芽香がぐっとわたしを手で押しのけてくる。
弱い力だ。いつもと比べると、随分と。
伸びた手を掴んで、指を絡めて、ぎゅっと握った。
「……部活、廃部だって」
しばらくして、日芽香のグズる声が聞こえてきた。
手がぎゅっと握り返される。
もう突き放してくることはなかった。
「学校辞めたい」
日芽香がか細い声で言った。
「もう、続ける意味、ない」
「うん」
「アンちゃんとアニメ作りたかった」
日芽香が私の手を懐へと引き寄せた。
とくっ、とくっ、と心臓の鼓動が、手のひらを通して感じる。
「夢だったの。アンちゃんと一緒にアニメ作って、苦しみながら、でも楽しくて、全部吐き出して、妥協なしにやりつくして、燃え尽きて、二人で同じクレジットに名前載せて、これがわたしとアンちゃんの作品だ! って自慢できるような、そんなアニメが作りたかった」
「……ネマコン部じゃなくても、できるよ」
「できないよ」
日芽香が膝に顔を埋めた。
「だってこのままだと、アニメが嫌いなままだもん」
それはわたしが言った言葉。
『アニメなんて大嫌い』。
これまで何度も繰り返した言葉だ。
「あたしね、画うまくなったの。おじさんや晴子さんにも褒められるようにもなったの。だから今度はアンちゃんの役に立てる。一緒に苦しさを共有できる。助けることができる。だから、もう一度だけアンちゃんにアニメを好きになってほしかったの」
薄々は気付いていた。
日芽香が画を描く以外で一生懸命になる時は、自分のためか、わたしのためだ。
「でも、部活、なくなった」
日芽香がまたグズり出す。
昔を思い出す日芽香の泣き方。
鼻をすすって、苦しそうに背中を揺らして、芋虫みたいに丸くなって。
わたしはいつも、そんな日芽香の横に並んで、寄り添っていた。
日芽香が落ち込む時、悲しむ時、それは大抵、日芽香が頑張って頑張って、それでも上手くいかなかった時。努力しても結果が実らなかった時。それ以外で日芽香が泣きごとをいうことはない。本気で泣く時は、本気で何かに取り組んだ時だけ。
だから日芽香が声をあげずに、静かに泣いている姿を見るたびに、心臓の辺りが痛みを持つ。自分を重ねて、失敗した時を想像して、自分まで辛くなってくる。
その度にわたしは日芽香を慰めた。
わたしもこうならないように。
こうなった時、誰かに助けてもらえるように。
日芽香がまた大きく肩を震わせ始めたので、わたしは覆い隠すように抱きしめた。容赦なく攻めたてる不安や苦しみから守るように。
結局日芽香の涙が止まったのは、疲れて寝てしまった後だった。
無性に叫びたくなったのは、随分と久しぶりだった。
◆
翌日。
四時限目が終わるとすぐに、昼休みの時間を使って職員室に訪れた。
担任の先生伝いにネマコン部の顧問を紹介してもらうと、わたしは事情を説明して、ネマコン部の活動継続ができないか打診した。
しかし、顧問から言われた最初の一言は、
「三年生はもう全員退部しましたよ」
というものだった。
ネマコン部の顧問は初老の男性で、名を
まず、ネマコン部の廃部は免れないであろうということ。
制作部はもちろんのこと、今回の件の責任を取って作画部員の三年生は部長を通して全員退部届を提出し、受理し終えたとのこと。それと引き換えに煙草の不始末で処罰を喰らう制作部員たちの罰を軽減して欲しいと申告したこと。憎いはずの相手に殊勝なことだと、顧問の先生は随分と感心していた。
そして部長曰く、自分達の処遇を受けていれているとのこと。
どれもが、わたしを落胆させるのには一役も二役も買っていたのは皮肉である。こちとら今から日芽香を部活に入れようと思っているのに、後ろから刺されてしまってはかなわない。前途多難にも程があるというものだ。
念のため、顧問の先生に部の再建もしくはアニメ制作を主軸とした別の部活動の設立は可能か訊ねてみたが、両者とも認められないであろうと即答された。
まず名を変えたところでアニメ制作現場が火災の原因になった以上、数年はアニメ制作を主軸とした部活動は世間体も鑑みて、認められないだろうとのこと。それと同じ理由で部活の復活は難しいとのこと。
現時点では廃部の決定は下されていないものの、制作部員計八名は全員除名、作画部員も三年生全員分の退部届が受理され、その時点で廃部にならずとも部活動の活動自体が不可能に近い事は火を見るよりも明らかだった。
「大々的にニュースにまでなりましたしね。うちとしても部になんらかの処罰を下さないといけないわけなのですよ。一応、その前に三年生達が責任を取って退部届を出してくださったおかげで落ち着いているけれども、ね」
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