第3話 入学式2
初めてのホームルームが終わり、新入生歓迎会を兼ねたレクリエーションが行われるということで、一年生はぞろぞろと体育館へとんぼ返りをさせられていた。こんなことなら入学式のあとにそのままレクリエーションに繋げるとか、やりようがあっただろうにというぼやきは胸の奥にしまった。段取りを整理するという一見単純な作業が存外難しいことをわたしは知っていたからだ。
それにしてもさっきから前が詰まってなかなか先に進まない。廊下で立ち往生させられて若干のイラつきを感じ始めた頃、前方でワァと歓声が響いた。言葉になっていない声の塊で、ちらほらと怒号に似た叫びのような何かも聞こえてきたので、最初は喧嘩か何かかと勘繰ったが、よくよく聞いてみるとどれもが黄色めいた応援とも声援とも言えない、若さに駆り出された好奇心による興奮の塊であることがわかった。
例えば、現役の芸能人に偶然出くわした時、――みたいな。
せっかくだからわたしも野次馬の一員にでもなって、何事か見物してやろうと企みはしたものの、群衆の背が高すぎてちっとも先の様子が見通せず、野次馬デビューは早くも失敗に終わった。決してわたしがチビだからではない。周りが高すぎるせいだと、念を押しておこうか。
「あの、何かあったんですか?」
わたしは仕方なく、近くの女子生徒に声を掛けた。
すると女子生徒は興奮を隠しきれぬ様子で前方を指さして、こう答えた。
「
指が差された先へ背伸びをして見てみると、なんとなく人混みの中に妙なスペースが空いてあるのが見えた。ちょうど日芽香の在籍する一組の入り口で、ひとりの女子生徒が多数の生徒に囲まれていた。まさか日芽香に揉め事か、などの杞憂はその人物の顔が見えてると払拭され、同時にその女子生徒がびっくりするほど美形なことだけは理解した。
「あの噂は本当だったんだぁ!」
わたしが話しかけた女子生徒はそう言い残し、群衆をかき分け、その秋宮楓のもとへ近づいて行った。随分とパワフルな子だこと。野次馬デビューは彼女に譲ろうかしらね。
……全然列が進まなくなったと思ったらこういうことか。
秋宮楓。
あまり芸能のあれこれには詳しくないが、そんなわたしでも流石に見知った人物だった。
少し前にこの高校に入学が決まったとかでSNSで話題になっていた、現役のアイドルグループ『ラストペンギンズ』のセンターで、今人気沸騰中の人気アイドルだ。
人混みの隙間からでも分かるくらいには華やかさが段違いで、周りの女子生徒と見比べてみても、やはりオーラから違った。まあそりゃそうか。
顔つきに自信が満ち溢れていて、けれどもそれが偉そうに感じるわけでもなく、なによりも圧倒的な可愛らしさが全身から爆発的に溢れ出している。もはや暴力的、とすらいっていいほどだ。肉眼で見れば見るほど、自分との違いにウンザリする、なんて嫉妬めいた感情すら湧き上がらないくらい、清々しいほどの格の違いを見せつけられる。
ツートーンヘアーで真反対の白と黒を混ぜ込んだ髪色は流石にインパクトが強く、横切る者を絶対に振り返らせる派手さがあるが、爛々と光を受け輝く大きな瞳がその派手さに負けず若さを主張し、結果としてアイドルらしいキュートさを見事に両立している。顔立ちこそ幼さを残しているのに、立ち振る舞いは周囲の生徒とは一線を画すほど大人びており、制服を気崩していないのにも関わらず、プロポーションのよさゆえに垣間見える袖口から手指にかけて、太ももから足首にかけての肌にはコケティッシュな魅力が際立っていた。
「なるほど、あれが芸能人かね」
それにしても芸能人がわざわざ〝都立〟高校なんて選ぶもんなんかね。普通は〝私立〟だったり、通信系の高校を選びそうなものだけど。この苛烈高校なんて、都内で最も校則が緩いこと以外、特別取り上げるところなんてない。髪色自由、ピアス自由、バイト自由。取り柄といったらそれくらいだ。
秋宮楓は道行く生徒から声を掛けられて、クラスの前で立ち往生していた。迷惑そうだなと思いつつも、彼女自身はそれに対して嫌な顔一つしておらず、ギャルっぽい軽い口調で挨拶を返しては人を的確に捌いていた。見た目こそ尖った音楽アーティスト感が強いが、人と接しているときの振る舞いや表情を見ると、アイドルらしい清純さと可愛らしさがその印象を上回る。話によると、彼女特有のアイドルらしからぬギャップのある見た目が大きな話題になって、今ではグループの色として取り入れられているらしい。
「素材から違うってのはこういうことなのかね」
自分のみすぼらしい体躯を見ながらぼやく。彼女もそれなりに背が低く、胸も小さいのに、どうしてこうも違うのだろうか。うちのママだって贔屓目に見ても奇麗な方だし、その遺伝子を少しくらいもらっていてもおかしくないはずなのだが。
……まさか、あのくそ親父の遺伝子が混ざったせいか! ちくしょうめ、絶縁だ、絶縁! なんでママはあんな男を選んだのか。将来わたしまでハゲたら末代まで呪ってやる!
「……綺麗な方」
わたしが控えめな反抗期に片足を突っ込んでいると、耳元で、そう呟く声が聞こえた。ウインドチャイムが流れ星を思い奏でているような、そんな優しい声だった。
振り返ると、すぐ隣に瑠々川さんが立っていた。どうりでさっきからいい香りがしていたのか。――というか、今こそ話しかける絶好のタイミングでは!? などと思ったが、秋宮楓に、ぽぅ、と見惚れている彼女の横顔を見て、喉の奥まで出かかった言葉が引っ込んだ。少し、じぇらる。
椅子に座っていた時は実感がなかったが、瑠々川さんは立つとその背の高さがよくわかる。近くの男子生徒と同じくらいの身長で、それなのにわたしよりも腰の位置が高い。実写の世界では、女は下から撮るな、鼻の穴が目立つからNGというが、瑠々川さんは鼻の穴が見えても最高に美人だった。
ふと瑠々川さんと目が合った。いけない、いけない、思わず見つめてしまっていた。誤魔化すついでに、スカートをひとつまみ、にこっと微笑んでみる。彼女のお眼鏡に叶うようにお嬢様らしく、優雅な感じで。我ながら百点の出来ではないだろうか。
しかし瑠々川さんはわたしの自信作に評価を下すことなく、さっと目を背け、彼女特有の思慮深そうな表情で俯いてしまった。
……わたしの好みは、やっぱりこっちだな。
なんて親父臭いセリフは、口が裂けても言わないことにした。
体育館へ移動すると、入学式で使われていたパイプ椅子がそのままの状態で並んでおり、一年生はクラスごとに分かれて座った。それからさほど時を置かずして、上級生主催のレクリエーションが始まった。生徒会が主体となって堅苦しい挨拶に加えて同じく堅苦しい学校の紹介が行われる。終始眠くなるような話が続いて、うつらうつらしていると、いつの間にか対面式は終わっていた。
小休憩を挟んだのち、お待ちかねの部活紹介の時間がやってきた。各部活が壇上に上がって、ちょっとしたパフォーマンスを行うらしい。一年生はそれを見ながら、それぞれ入りたい部活を探していくのが恒例のようだ。本格的に部活を見学するのは明日からで、今日はあくまで部活動のデモンストレーションであると実行委員が補足していた。
しかしながら、粛々と始まったその催しは、はっきりいって地味そのものだった。身内受けを狙った運動部のパフォーマンスは絶妙に白けており、背後に控える二三年生の茶化しがいい具合に品の悪さを醸し出していた。
吹奏楽部の演奏が始まるまで、一年生は退屈な時間を過ごし、わたしもスマホで軽いネットサーフィンをしたり、隣の席の瑠々川さんのかぐわしい香りをすんすんと嗅いだり、こっそり椅子を瑠々川さんの方へ寄せるくらいには暇だった。合間に話しかけようかと考えもしたが、瑠々川さんは思ったより真剣にレクリエーションを見ていたので、邪魔することなくその真剣な横顔を堪能するだけで我慢しておいた。
しばらくすると目玉の吹奏楽部の演奏が始まり、ようやく一年生らの関心が少し傾いた。しかしながら、流行りの曲が演奏され始めたあたりで、一度音が飛んで、そのままなし崩し的に乱れた演奏を披露した吹奏楽部は後味悪い印象で終わった。
ま、普通の高校なら逆にこの程度のほうが安心する。何でもかんでも本気で取り組まれても、軽い気持ちで部活動がしたい身からすればむしろ願い下げだ。全国目指すより、思い出づくりに楽しくやりたい。そう考えると、質は悪いが、部員同士は仲良さそうだし、実は結構いいレクリエーションなのではないだろうかと思い始めていた。
そんな天邪鬼めいた思考が働いた頃、突然体育館が暗くなった。きゃっ、と女子生徒がかわいらしい悲鳴をあげていた。瑠々川さんもビクッと肩を震わせていて、「電気を消す時は予告くらいして差し上げろぉ!」と思わず怒鳴りつけてしまいそうになった。いかんいかん。
そんなわたしのモンペ根性など露知らず、壇上に白いスクリーンの幕が下りてきて、生徒会役員がプロジェクターの準備を始める。
「アンちゃん! アンちゃん!」
「うわっ!」
聞き慣れた声が突然近くで聞こえて、わたしは驚きで椅子から転げ落ちそうになった。不思議の国でもしもカエルに突然話しかけられたら、こんな気分なんだろうな、なんて妄想が頭をよぎる。
見ると、足元に不肖の幼馴染がいた。流石のわたしも目を疑ったね。下ろし立ての制服を容赦なく床にこすりつけて、乳と尻だけがやたらでかい女が、床に這いつくばっていた。そう、まるでカエルのように。
「来ちゃった」
えへへ、と日芽香がはにかむ。このセリフがトキメキではなくドン引きで受け取られるのは、おそらくこの女かメリーさんくらいだろう。いや、メリーさんでも「今、あなたの後ろにいるの。――来ちゃった」、これだったら、めっちゃ可愛いわ。つまり日芽香、あんたの一人負けだ。
聞けば一組の列から床を這ってここまでやってきたらしい。あまりにも奇行が過ぎる。某作品の巨人だって、二足歩行で歩くんだぞ。こいつ、しばらく友達はできないだろうな。
さきほどぶりに別れた厄介が舞い戻ってきて、ため息をついていると、名前順ゆえに隣に座っていた瑠々川さんが不思議そうな視線を注いでいることに気が付いた。
「ごめんなさい、わたしの友人です」
「あっ、いえ、その、……大丈夫です」
瑠々川さんはわたしが話しかけた瞬間、小動物のように肩をびくつかせ、しどろもどろになりながら顔を伏せてしまった。
……あれ、わたし嫌われてないよね? さっきから顔背けられまくってないかな。
「ねえ、アンちゃん!」
わたしが乙女さながらの想いを馳せていると、空気の読めない日芽香が口を挟んでくる。
「次、ネマコンだよ! トリだよトリ!」
わたしはため息をついた。
「いいから、はよ元の場所に戻れ」
新品の上履きでげしげしと日芽香の脇腹を蹴る。これ以上、瑠々川さんに変な見られたらどうするつもりだ。もはや彼女と仲良くなることは、わたしの青春が青春たりえるかを決めるターニングポイントと言っても過言でないほど、最優先の重大案件なんだぞ!
しかし、わたしに蹴られても日芽香は微動だにせず、興奮したようにわたしの膝をばしばし叩き返した。
「ほら、始まるよ! そのちっさいお尻少し横にずらして!」
「あ、ばか! 狭いって! あんたのでかい尻で二人は無理だってば!」
日芽香と押し問答をしているうちに一人の男子生徒が壇上に上がった。彼はマイクを手にすると、こほんと咳ばらいを一つ、それからぎょっとなるような声で話し始めた。
「え゛ー、こんな声でずみまぜん。徹夜明けなもんで、喉をやられまじだ。熱血漫画根性部の部長、
彼の声は酷くしゃがれており、喉が潰れたようにくぐもっていた。
「今がらお見せするのは我々の部が制作した作品でず。結構評判がいいので、退屈はじないと思いまず。是非見て言ってくだざい。見終わったら、まだ登壇します。でば」
そう言い終えると、彼は疲れ果てたようにふらふらと歩いて壇上から降りた。
壇上に点いていたライトも消え、にわかに生徒達が湧きたつ。「漫画部なのにアニメ作ってんの?」なんて誰しもが思う当然の疑問を口々にしている者もいて、一部ではネット上の噂を知っているのか「あのひどいアニメを作った部活だろ?」なんて呟いている者もいた。
せっかくの上映なのだから、せめてお口くらいは閉じられないものかと辟易していると、その数秒後、体育館内の生徒は一斉に静かになった。
生徒を黙らせたのは、一本のアニメーションだった。
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