第2話 入学式1

 東京都のちょうど中心付近にありながら、隠れ家のように潜む街、荻窪。

 東村山に次いで若いアニメーターやら金のないマンガ家やらがどこからともなく集まるといわれている、作家の卵たちの憩いの町たる荻窪はかつて地味そのものであったらしいが、駅の北側にランドマークの如き聳え立つ高層ビル、そのお膝元で城下町のように真新しい飲食店などが軒を連ね、時代の激流と共にあっという間に東京らしい町並みに変わった。ただし、経済効率に重きを置いた町に浪漫を感じなくなったのか、昔ほど若手作家が拠点にすることはなく、おかげで随分と酔っ払いが減ったのは皮肉な余談である。

 さりとて街が整頓されても、雑然と入り組む住宅街は変わらずで、メインストリートたる青梅街道から横道に入った途端、一方通行にひっかかり、行き止まりにぶち当たり、最終的には細道で車体を擦る、入ったら戻れない蟻地獄のような街だ、と制作進行の人から文句を聞いたことがある。

 さて、わたし達が新しく通う高校は、そんな荻窪駅から直通のバスが通っており、約十五分ほどかかった先の、緑に囲まれた都心のオアシスのような場所に位置する。近くに控える井の頭公園からやってきた樹木の香りが、悲しきコンクリートジャングルに少しばかりの癒しと潤いを与えてくれる、『愛あふれる成長を』、そんなキャッチフレーズを掲げる、少々胡散臭さのある高校。

 それが都立吉祥苛烈高校である。



 学校に到着するや否や、新入生は体育館へ移動させられ、いたって形式的で味気のない入学式が始まった。足元が冷える中、けったいな校長先生の長話が般若心経の如く続き、意識が飛びかけた頃にようやく話は終わって、その間、我が幼馴染といえば、今朝まで夜更かしをキメこんでいた反動で、恥も外聞もなく爆睡しており、隣の男子生徒に頭から突っ込んでは迷惑をかけていた。

 式が恙なく終了すると、新入生はクラス分けに従って教室へ移動を始めた。ここまで延々と惰眠を貪り続けた日芽香だったが、このタイミングでようやく本調子を取り戻したのか、元気いっぱいの様子を新しい学友達にみせてくれた。


「アンちゃんのはくじょーもの! はくじょーもの!」


 廊下で地団太を踏みながら、懸命に怒りを表現している幼馴染。どうやらクラス分けに関して不満があるようだ。しかし、決まったことはしょうがない。

 そう、記念すべき今日という日に、わたしはついに念願が叶うことになった。ここまでの十六年間。幼稚園から中学校まで同じ進路を辿ってきたわたし達だが、なんの因果か呪いなのか、ずっと同じクラスにさせられてきていた。――それが今日! この晴れやかな高校生活初日にて! 日芽香とついにクラスが分かれることが決定した! こいつのクラスは一組。私は四組。組としても最も離れた形になった。

 ――嗚呼、これは悲願である! 日芽香の世話に振り回される日々からようやく脱却されるのだ!


「はくじょーもの! はくじょーもの!」


 段々と遠ざかる「はくじょーもの!」の声。廊下で地団駄を踏みながら、ぽろぽろと涙を流し始める幼馴染。ははは。

 さらば、我が友。頑張って友達作りなよ。






 四組へ向かう廊下では、思いのほか静けさが際立っていた。足音が僅かに反響するほどだ。学校というともっと騒がしい場所という印象があるが、さすがに入学初日、皆借りてきた猫のように大人しい。とはいえ、一か月も経たないうちに騒がしさと共に華やいだ学園生活が幕を開けると思うと、これから始まる淡い青春に仄かな期待を寄せてしまうのは、わたし自身も浮足立っているからだろうか。気付けばスキップをかましていた。

 まだ見ぬ未来への期待と希望を胸に秘め、一年四組の教室の敷居を跨ぐ。さあ、記念すべき新たな学友よ、今後一年間、よろしく頼むよー!

 なんて、活きの良い挨拶などかませるわけはなく、「へへっ」と下っ端じみた会釈をひとつ、黒板に張られていた座席表を確認する。

 人はたくさんいるのに、沈黙と緊張に包まれている教室というのはやたらと居心地が悪い。誰か馬鹿な男子生徒が馬鹿らしくバカ騒ぎしていてほしいものだが、どうやらこちらにも借りてきた猫が集まっているようだ。

 わたしは一番窓際の一番後ろの席に向かった。「六路」の苗字ゆえに、「渡辺」や「渡部」がいなければ、名前順では一番後ろになる。目立たなくていい席だなと思いつつ、物音ひとつ立てないクラスメイトに配慮しながら、そろりそろりと歩いていると、その道中、とんでもないものを見た。


 とんでもないもの?

 的確に言うならば、美少女。

 とんでもない、美形の、女の子が座っていた。

 ただそれだけのこと。

 それだけのことだが、それだけのことが、わたしの足を止めた。

 胸が、高鳴った気がした。


 ――きれい。


 まず感嘆の声が口から洩れそうになった。

 腑抜けた産声はどうにか喉の奥に抑え込めたが、その代わり数秒の間、わたしの間抜けな眼は彼女に釘付けで、ようは見惚れてしまった。運命、なんて言葉が、沸と、湧き上がるほどに。

 カーテンを通して当たる柔らかな日差しの中で、彼女は、淡いパステルのような儚さをその身に宿していた。窓の隙間から流れるそよ風に艶めいた髪がなびき、磨き抜かれたガラスのような細く薄い体躯、同性すら色気に惑わされそうな脚線美、小顔ながらに身長は一般女性と比べてもかなり高く、伏し目がちながらもはっきりとした存在感のある青色の瞳は光を反射してきらめいていた。

 まるで、スズランのよう。カサブランカほど派手ではなく、カスミソウよりも存在感がある。俯く顔がしなだれた花を連想させ、目が離せない。

 純白で、純粋で、清純で、とにかく美しかった。白く澄んだその手に触れてみたかった。こんなセクハラめいた感情を抱いたのは初めてかもしれない。


 彼女は、間違いなく、わたしの心を射抜いた。


 しかも彼女はわたしの正面の席だった。やはり運命なのかもしれない!

 わたしは踵を返して、黒板へ一目散に向かった。彼女から目を背けてもその美貌が脳裏のみならず瞼の裏にまで焼き付いている。不可解なわたしの行動に対して幾人の生徒の視線を感じたが、そんな些事は捨て置け。わたしはあの美少女の名前を確認せねばならぬのだ!


 瑠々川鈴々。


 碧眼ゆえにハーフなのだと思ったが、名前は完全に日系だった。それに名前に〝々〟がふたつも入っている人を初めて見た。なんて読むのだろうか。わたしの名前の始まりが「ろ」で、二つ前の席に竜崎りゅうざきという男子生徒がいる。ということはおそらく「るるかわ」だろう。るるかわ、すず? うん、名前まで可愛い。

 美少女の名前はなによりも最上位に記憶せねばならない。というか、お近づきになりたい。あの西洋人形みたいな精巧な造りをした顔立ちに、わたしとは比べものにもならない艶めいた髪を梳かしてみたい。鼻先をあのいい香りのしそうな髪にもふっと埋めたーい!


 決めた!

 わたしは、彼女と友達になる!


 ……などと新たな決意を誓ったものの、声を掛ける時間もなく、担任の先生が邪魔をするようにやってきて、本年度最初のホームルームが始まった。

 わたしは担任の先生の話が終わるまで、正面に座る碧眼の麗人を誰の目も気にせず、眺め続けた。肩甲骨ほどまで伸びたアッシュ系の髪は毛先にかけてウェーブがかっており、まるで貴族のご令嬢のような上品さがあった。地毛がアッシュだなんて羨ましい! あの青みがかった深い銀色の髪を手櫛で梳かしてさしあげたい!

 そのような下賤な戯言を心の中でのたうち回っていると、ろくに聞きもしていなかった担任の先生の話があらかた終わり、学校全体の親睦を深めるための簡単なレクリエーションが行われるということで、一年生は踵を返すようにまた体育館へ向かうこととなった。鑑賞タイムは終わり。くそう、ゆっくり声を掛ける暇もないぞ! 絶対、絶対今日中に声を掛ける! それだけを心に秘めて、こぶしを静かに掲げたわたしであった。







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