第21話
「おおー……ここは何です?」
車を降りた紬が問いかける。彼女の目の前には、活力に満ちた緑の山と、いくつかの広場がある公園があった。
「ここは長串山(なぐしやま)公園ていう、まあ国立公園らしいですよ」
紬の問いかけに答えながら車を降りる結喜。彼女も目の前の山に目を向けていた。
西海国立公園・長串山公園。佐世保市と平戸市の中間に位置する公園で、標高234メートルに位置する公園からは、平戸島や九十九島などが一望できた。
「本当はこの公園はつつじが有名で、四月・五月頃につつじ祭りが開かれるんです。この山一面につつじが咲いて、たくさん人が集まるらしいですよ」
結喜の言う通り、四月になるとここの山一面につつじが咲き乱れ、まるでピンクの絨毯が山に敷かれているような、そんな不思議な光景が広がるという。その光景を見に来ようとたくさんの人が集まってくる。つつじ祭りではフォトコンテストが開かれるなど、大きなイベントとして知られていた。
今は梅雨の六月。つつじの季節はとっくに過ぎていた。そのためシーズンオフなのか、結喜たちが停まった駐車場には、彼女のたちの車以外は駐車している車は見当たらなかった。
「そっかー。それだと、つつじはもう終わってますね。ちょっと見たかったかな」
残念そうに呟く紬。結喜も同じように残念がった。こればかりは巡り合わせもあるから、仕方のないことだった。
そんな風に考えていると、紬が突然振り返った。
「でもまあ、それは次の楽しみに取っておきましょうか」
にっこりと笑ってそんなことを言うと、紬は山の方を指差した。
「じゃあ、行きましょうか。何だかすごそうですよここ」
わくわくする気持ちを抑えながら、紬が目の前の山に向かおうと足を踏み出していた。
結喜もそれに続くようにして、彼女の後を追いかけるのだった。
長串山公園は山に作られた公園だった。標高はあまり高くないが、それでも山頂に登って行くように作られているので、ちょっとした登山のようなものになっていた。
久しぶりに晴れ渡ったこともあり、夏の暑さが漂う天気となっていた。坂を登るようにして歩くので、結喜たちは汗を流しながら公園を歩いていた。
その途中、紬がある物を見つけた。
「あ、海鳥さん。あれって野外ステージですかね?」
紬が指差す方向を見ると、そこにはコテージみたいな建物と、その前に広めのスペースが広がっていた。
「どうでしょう? ステージかはわからないけど、けっこう広いですよね」
どれほどの広さかはわからないが、結構な数が入れるスペースだと思われた。そこにステージなど設営すれば、野外コンサートもできなくはなさそうだった。
「いいな~。いつかチャンスがあったら、ここでライブするのもいいかも」
そんな風に呟く紬。そういえば彼女はバンドをしていると言っていたのを結喜が思い出した。
「そういえばバンドでギターをやってるんでしたよね。いつもライブは有田の方でやってるんですか?」
「ええ。大学で知り合ったメンバーとずっとやってるんです。有田や武雄。時々佐賀市のイベントにも行くことがありますよ。もし興味があったら、海鳥さんも見に来てください」
紬のお誘いに結喜が思案顔になる。結喜も音楽は嫌いではないが、ライブに行くことに興味はなかった。それにライブハウスのような騒がしい場所は、自分には合わないと結喜は思った。騒がしいというイメージ自体は偏見だと彼女にもわかるのだが、インドア派の彼女には縁遠い場所だった。
だけど、紬がやるなら聞いてみたいとも思っていた。何故か紬を見ていると、そんな風に結喜は思ってしまうのだった。
「……ありがとうございます。いつか機会があれば、見に行きます」
結喜にそんな風に言われるとは思っていなかったのか、一瞬意外そうな顔をした後、紬は嬉しそうにはにかむのだった。
それから二人はさらに山を登った。山頂近くまで上ったところで立ち止まると、結喜たちはそこから世界を見下ろした。
「うわあ……」
紬がそんな声を上げていた。その横では、結喜が無言で立ち尽くす姿があった。
彼女たちが見たもの、それはその瞬間、その場所でしか見られない光景だった。
そこにはどこまでも果てなく続く青空と、雄大に佇む海が広がっており、それらが溶け合うようにして、水平線の先まで続く光景が広がっていた。
きっとそれは、二人が初めて見る『青色』に違いなかった。
「すごい……空も海も、こんなに青くなるんですね」
紬がそんな声を呟いた。まるで感動という感情を言葉にしたような、そんな声色だった。
その時、横に並んでいた結喜がスマホを取り出すと、そのまま海に向かってシャッターを切った。
どこまでも続く青い世界に向かって、結喜はひたすら写真を撮り続けるのだった。
二人は長串山を下りた後、再び車に乗り込んで鹿町、そして小佐々町を走り回った。
海沿いを流れる一本道。船が並ぶ小さな港。海にかかる水色の鉄橋など、それら見るもの全てに紬がはしゃいでいた。
「あ、海鳥さん。あの建物って何ですか? すっごく大きいですよ」
彼女が指差す方を見ると、そこには荘厳さを感じさせる白い建物があった。それを見た結喜が納得したような声を上げた。
「ああ。あれはキリスト教の教会ですよ。佐賀では珍しいんですかね? ここら辺にはキリスト教徒の人たちが住んでいるんですよ」
「へえ~……あれって教会なんですね」
紬が感心したように声を上げた。長崎県はキリスト教徒が多く住んでおり、結喜の知り合いにも何人かキリスト教徒がいた。
長崎県は教会建築群が有名で、世界遺産にも登録された教会が多くあった。そうした遺産以外にも、地域に根ざした教会が建てられていて、地域住民の信仰の場となっていた。
佐世保では三浦町教会が一番有名だが、町ごとにそれぞれの教会があり、今彼女たちが見ている建物も、そんな教会の一つだった。
「けっこう大きいですね。有名な教会なんですか?」
「有名……とは違いますけど、どうも住民の寄付で建てられたらしいですよ。私も聞いただけだから詳しくないですけど、ここら辺は網元、ですかね? 漁業経営者が暮らしているらしくて、そういう人たちの寄付で建てられたって聞いたことがあります。ここもそんな教会の一つだと思います」
結喜の話に紬が感心したように頷いていた。紬にとっては聞いたこともない話なのだろう。そもそも彼女にとって、キリスト教自体が珍しいかもしれなかった。
紬は目の前の教会をじっと見つめていた。人々の信仰の結晶とも言える教会を、特別なもののように見つめるのだった。
それからも二人を乗せた車は鹿町を走り続けた。見るもの全てに目を輝かせる紬。そんな彼女に呆れつつも、楽しそうに笑う結喜。二人旅はどこまでも楽しく、笑いに溢れたものになった。
そうして走り続けた二人が、その場所へとたどり着いたのだった。
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